水太子選考会⑥
「そっちも元気そうだね」
皆の視線が消に集まっている間に、沰が起き上がっていた。演は消の向かいに立ったままで、顔を沰に向けた。
あんなに大きなバキンという音を立てていた割には、沰の腕はちゃんと動いているので、折れてはいないようだ。
「腕を石化した……いや、腕を石膏か、それに近いもので覆ったのでしょう」
「僕もそう思う」
腕を石化していたとしてもあの音では、演の蹴り技で折れたはずだ。腕の覆いだけなら、それを折った衝撃で蹴りの威力を分散できる。腕本体が無事かどうかは、沰の回避技術と演の戦闘力次第だ。
沰が腕を擦っているところを見る限り、無傷とはいかなかったようだ。
「先代さまは武術では蹴りを好むようですね。前回大会でも足が多かったように思います」
潟が素直な感想を漏らした。
演が戦うときは理術を使うことが多い。理力が高いから、大体が理術で済んでしまう。
理術でなければ剣術だ。即興で作った氷刀や氷柱剣などを使い捨てで用いることがある。今までで持っていた水晶刀は戦闘向きというよりも、浄化や結界向きだったけれど、普通に武器として使うことも出来たらしい。
太子時代に水晶刀で何人切ったか覚えていない、と言ったときの演の顔は今でも忘れない。思わず抱き締めて、気づいたら日付が変わっていたことがある。
これから決まるであろう太子がそんな思いをしないで済むように、僕は気を引き締めて世を収めなければならない。
「動きに無駄がなく、体格に似合わない威力があります」
「演は小柄だからね。体重を乗せると攻撃しやすいって言ってたよ。手で攻撃するときには速さでカバーするって」
どうやって身に付けたのか。それこそ太子時代かと思ったけれど、そうではなく、氷之大陸にいた頃にはすでにそう心掛けていたらしい。
理術が使えない状況に陥ったときでも、対応できるように、本や兄たちとの実技で学んだそうだ。
理術で何でも済ませられそうなのに、敢えて自分が不利なことに取り組んでいるのだから、本当に尊敬する。
「あぁ、なるほど。考えたこともありませんでした。今度やってみます」
誰に? と聞くべきか否か。
「それにしても沰は動かないですね」
「自分から動く必要はないんじゃない?」
自分の攻撃は当てているから、演の攻撃を待たなくてはならない。それはそれで恐怖だ。
演は顔だけを沰に向けたまま、無造作に消に手を伸ばし、首元の服を掴んだ。日頃から演は、自分は体格も良くなければ、体力もあまりない、と言っている。けれど、消を片手で持ち上げようとしてるところを見る限り、それは謙遜にしか聞こえない。
「よ、いしょっ、っと!」
演はしっかり遠心力が掛かるように、軸足を中心に一回転した上、地面に対して平行に消を投げ飛ばした。成人の人型を投げたとは思えないスピードだ。
消は叫び声すら上げずに、ただ飛ばされていき、背中から沰にぶつかっていった。
沰の「あっ」という顔が見えたときには、沰の腹に消の背中が乗っていて、投げ飛ばされた勢いに踏ん張りが効いていなかった。
起き上がったばかりの沰を巻き込んで、消と沰は砂埃の中へ消えていった。
「よしよし。二人とも私の攻撃に耐えたな」
耐えた……? のか?
これで二人とも気絶していたら候補者がゼロだ。選考会がまた振り出しに戻ることも考えなければならない。
「どうやら二人とも無事なようですね」
潟の視線は二人が飛ばされた方へ固定されていた。そこには二人の姿の代わりに、大きな土の山が出来上がっていた。
短い時間の沈黙のあと、山が崩れて中から土まみれの消が這い出てきた。
「沰の理術を使い、柔らかい土で衝撃を緩和したようです。そして恐らく、先代さまの攻撃の威力も……多少なりとも消されているでしょう」
沰の理術と消の力の合わせ技だ。無意識に協力したのか、それとも……。
消に次いで、沰も消にやや引っ張られる形で姿を現した。沰の方がダメージが大きいようで、土の山から出てきてから腹を抱えてうずくまってしまった。
背中の衝撃は緩和できても、腹にぶつかってきた消の衝撃は、まともに受けている。消が威力を消していなければ、もっと酷い怪我をしていたかもしれない。
消は沰に声を掛けているようだけど、小さくてこちらからは何を言っているか聞こえない。
演も攻撃を続けることなく、二人の様子を見守っている。
消が沰の後ろへ回って背中を擦り始めた。数回繰り返したところで、腹を抑えていた沰の表情が軽くなった。
腹から手を離し、もう一度腹に手を当て、不思議そうな顔で撫でている。
「痛くない……?」
「痛みを消してみたんだけどぉ……ごべんねぇ」
消は何故か泣いていて鼻声だ。また演に鼻水の精霊と認定されるかもしれない。
「ごべんでぇ! 怪我は消せなかったぁ」
「い、いや、いいんだ。助かる」
消は沰に促されて、一緒に立ち上がった。それを見た周りの精霊からは自然と拍手が起きていた。
ライバル同士のはずなのに、手を折り合っている姿が美しいのか。それとも先代の攻撃から立ち上がったことか素晴らしいのか。あるいはそのどちらもか。
会場が最高に盛り上がっている。僕と潟は比較的冷静だった。
「怪我を消すつもりだったんだね。消せるという概念なら何でもありなのかな」
「治すわけないところが弱点でしょうね」
「弱点?」
僕はむしろ『消す』という能力に脅威さえ覚えている。
「怪我を消すためには、正確に怪我の場所や範囲を認識している必要があるでしょう。今のように内面の怪我だと、内臓ごと消してしまう可能性があります」
それはそれで生死に関わる問題だ。自分で言うのも烏滸がましい話だけど、涙湧泉の水は割と万能で怪我が漠然としていても、治すことができる。
消すという行為では、何を消すのか正確に把握していないと通用しない。便利そうで不便かもしれない。
「だから怪我を治すのではなく、痛みを消すという判断をしたのでしょう。この短時間でいい判断です」
「でも沰の痛みを取ってしまったら……」
痛みがなければ苦痛はない。でもそれは危険だ。
「このあと、沰がもっと酷い怪我を負っても気づかない可能性がありますね」
沰は演の攻撃をあと三回躱さなければならない。更に今の怪我も悪化する可能性がある。痛みで気絶することもないだろうから、棄権もできない。
「消がそれを分かっていて、わざと痛みを消したのだとしたら、とんだ食わせ者ですが」
そこまで性悪な感じはしない。ちょっと失礼して感情も読ませてもらった。ほぼ初対面なので正確には読み取れないけれど、悪質な感情はなさそうだ。恐らく危険性は分かっているけれど、沰を危険な目に合わせたいわけではないのだろう。
「それでも何とか助けたい……って感じがするよ」
「なるほど。だとしたら純粋ですね」
「純粋、か」
それは僕がよくかけられてきた言葉だった。




