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水精演義  作者: 亞今井と模糊
三章 火精動乱編
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40話 雨の降る日

 静かすぎて目が覚めた。部屋の暗さからまだ明け方だろう。良く寝たはずなのにまだ薄ら暗い。


 なぜこんなに暗いのだろう。そう思って庭に出ると静かに雨が降っていた。遠くで雷もなっている。


 庭の水場で顔を洗うのはあきらめて、両手の上に水球ボールを作った。


 そこに顔を突っ込むと冷たい。とても冷たい。鳥肌が立ってしまった。温度調整はまだ苦手だ。


 使い終わった水球を庭にポイッと投げ、顔を雑に拭った。少しだけ寝坊してしまったことを除けば、いつも通りの朝だ。


 前髪から拭き取れなかった雫が滴ってくる。どこか色が違うように見えるのは、天気のせいだろう。


 それにしても何だか頭がスッキリしない。身体も重く感じる。のそのそとした動きでようやく着替えを終えた。


 兄の事件から七日。僕の生活に特に変わったことはない。先生の授業を受けて、空いた時間で掃除をして、ご飯を食べて、眠って……。


 ただあれからびょうさまに一度も会っていない。騒動が落ち着いてもまだ忙しいのだろう。


 ひとりで簡単に朝食を済ませてしまう。食欲もあまりない。洗い物は後回しにした。先生が来る前に資料室で待機しなくては失礼だ。そう思ったのに。


「おぉ、雫。早いのぅ」

「お早うございます、先生」


 先生の方が先だった。先生は来るのも帰るのも一瞬だと最近になって知った。何でも伯位アルになると、本体と王館を自由に水流移動できるらしい。伯位アルに昇格したばかりの母上も使っていた。


 それを教えてくれた先生もやっぱり伯位アルなのかと尋ねたら、少し悩んだあと、孟位エクスだと教えてくれた。聞いたことのない位だ。結局、詳しくは教えてもらえず、はぐらかされてしまった。


 先生がじーっと僕を見ている。僕を、というよりも僕の頭を見ている。鏡を見ないで来てしまったから、寝癖でもついてたかもしれない。


「ふむ。わしにとっては見慣れぬが……」

「寝癖ついてますか?」


 手で髪をグッと押さえる。


「なんじゃ、確認しておらんのか? さては、鏡を見ておらんな」


 ず、図星です。

 先生は黙って水鏡を出してくれた。宙を漂って近寄ってくる。その動きに合わせて覗きこんだ。


 茶色の瞳に碧の髪。


 誰、これ。


「華龍どのより少し淡いかのぅ。深さの違いか。はたまた河と泉の違いか」


 わしゃわしゃと自分の髪を両側から掴む。鏡に映っているのは間違いなく僕だ。見慣れない碧色の髪。茶色はどこへいったのだろう。


「早く御上の驚く顔が見たいのぉ」


 先生はいたずらっ子の顔をしている。悪いことを企んでいそうなのに憎めない表情だ。


「淼さまはやっぱりお忙しいんですか?」

「理王会議が終わったとは聞いておらんからな」


 七日前に開いた会議がまだ終わっていない?


 僕の疑問を読み取ったように先生が続けた。


「理王会議は一定の結果が出るまで閉会しないからのぉ。あれはなかなかキツいぞ」


 七日丸々会議し続ける……信じられない。ご飯とか睡眠とかなくても平気だというのは最近聞いた。けれど、それでも疲れは溜まるはず。びょうさまは大丈夫だろうか。先生は何故か遠い目をしている。


「なんじゃ。嬉しくないのかの? 本来の姿を取り戻したのに」


 これが僕の本来の色らしい。美蛇から理力を取り戻した結果だ。


「もちろん嬉しいです。けど」

「けど?」


 喜ぶべきことだ。でも全身で嬉しいと感じることが出来ない。睡眠不足のように頭が朦朧としている。


「なんか頭がぼーっとしていて……」

「あぁ、確かに顔色が良くないの」


 先生が近寄ってきた。僕より背が大きいはずなのに、なんだかいつもよりちょっとだけ小さい気がする。


「先生。背縮みました?」

「誰が年寄りじゃ」


 面積の小さい先生の目がギラッと光った。気がした。


「ち……違いますっ」

「ふん」


 先生が僕の額に手を当てる。ひんやりと冷たくて気持ちいい。思わず目を閉じた。


「ふむ。雨酔いじゃな。復活したての泉に雨水が混じっているんじゃろう。普通は生まれて間もない精霊がなるんじゃが……」


 先生の声が頭に入ってこない。先生の手が心地よくてそのまま眠ってしまいたい。


「……聞いとらんな」


 ハッとして目を開けた。先生の手が離れていった。


「今日の授業は中止じゃ。炊事も掃除もせんで良い」

「え? じゃあ、何をすれば」


 僕から勉強も仕事もなくなったら何が残るのだろう。やることがなくなってしまう。


「何もせんで良い。体調が悪いときに学んでも吸収できることは少ない。少しゆっくり過ごすと良かろう」


 開いてあった指南書テキストを先生は閉じてしまった。


「わしも今日はここで調べ物をすることにしよう」

「はぁ」


 完全に授業の雰囲気ではなくなってしまった。何となく居心地が悪い。


「ここにいても良いが、部屋に戻って休んで良いぞ」

「じゃあ、部屋で休みます」


 居ても邪魔になりそうだ。先生にそう告げて資料室を出た。さっきよりも頭が重い。気分も悪くなってきた。


 歩みも重く自分の部屋に戻り、寝床に突っ伏して意識を手放した。







『ははうえー』


 小さな両手に小さな水球ボールを乗せて、数人の輪の中へ入っていく小さな影。


『あらあら。るいも水球を作れるようになったのですね』

るいすごいじゃない! じゃあ、今度はお姉ちゃんが氷結を教えてあげるね』

『ず、ずるいぞ! なら俺は波乗板サーフボードを教えてやるよ!』


 小さな子供たちが、更に小さなひとりの子供を取り合っている。全員同じような碧の髪色だ。


『何言ってんの! るいに波乗板はまだ早いでしょ!』

『……乗る。一緒に』

『あ、いいね! 涙を乗せて遊びに行こうよ』 

『賛成! ねぇ母上良いでしょう?』

『そうですね。良いですが、母の河から出ては行けませんよ』

『はーい!』


 両手に水球を乗せたまま戸惑う幼子。それを余所よそに話はどんどん進んでいく。


るい、おいでー。僕の波乗板はすっごく速いんだよー』

『お、俺のはすっごくでかいんだぞ!』

『あたしのだって!』


 取り巻かれるその光景に懐かしさを感じながら、小さくなっていく影を見送る。


 あれは僕だ。

 幼い日の僕。こんな……こんなに穏やかな日を忘れていたなんて。





 サラ……サラ……と静かに音がする。一定のリズムで葉が擦れるような音だ。葉が川に落ちてきたのだろうか。ゆっくり目を開けると、淡い色で視界がいっぱいだった。擦れる布が邪魔で少し首を動かすと、輝く銀髪が視界に入った。


「び」

「起きなくて良い」


 持ち上げようとした頭を軽い力で戻された。またサラ……サラと同じ音が聞こえてきた。淼さまが僕の髪を撫でているらしい。


「雨酔いだって?」


 淼さまが手を止めずに尋ねてきた。尋ねるというよりも確認だ。


「はい。そうみたいです」

「キツいと思うけど、今、雨水に慣れないと後々辛くなるから少し我慢だね」


 久しぶりに会ってこんな状態とは情けない。淼さまは僕の寝床に腰かけて、身をひねっているようだ。


「淼さま。会議は終わったんですか?」

「一応はね」


 淼さまはそれ以上語ろうとしない。手は相変わらず僕の髪を撫で続けている。


「……弟か妹がいたらこんな感じだったかな」

「淼さまにですか?」


 ため息の準備みたいに、大きく息を吸うのが聞こえた。


「私も末子だからね。雫と同じように」


 知らなかった。びょうさまから自分のことを話してくれたのは初めてだ。今まで知らなかったことはちょっと寂しいけど、淼さまのことを少しだけ知って嬉しさもある。


「ご兄弟は多いんですか?」


 僕はとてもいっぱいいる。兄のせいで少し減ってしまった。しかも今まで関わりがなかったから正確には分からない。でも百くらいいると思う。


「兄が四人だ」


 もっと詳しく聞きたかったけど、淼さまの手が止まった。身体のひねりを戻したようだ。


「雫。雨が止んだら……」


 不自然な間が空いてびょうさまを見る。けれど、淼さまの背中しか見えない。


「出て行って良いよ」


三章が始まりました。引き続きお付き合いいただければ嬉しいです。

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