416話 旧敵の時
「父上が、水太子を庇って……落命して、夫が水太子、に盗られて、絶対に、水太子を、水太子という地位を、許さないと思ってた。けど、今は、そう、思わない」
添さんからは強い決意が感じ取れた。息切れしながらも捲し立てた。
「父上が守ったものを私が恨むなんておかしい。父上が繋いだ義を私も繋ぎたい!」
添さんは少し前まで父上のことを語らなかった。けど、ここまで至るにはかなりの葛藤があったはずだ。
ありがたいとは思うけど、今の添さんに手伝ってもらえることはない。あるとしたら……。
「僕に従ってくれるなら、ひとつ頼まれてくれる?」
「……変なことじゃなければね」
添さんには、何を頼まれるのかという期待と不安が入り交じっていた。
「旗を立ててきて。理王の婚姻の旗を」
添さんは驚きで一度足を止めた。あったいう間に僕との距離があいてしまい、慌てて追いかけてきた。
「魂繋は失敗したんじゃないの? 真名が違ったんじゃなくて?」
なるほど、真名を間違えて失敗したと思われていたのようだ。ハビーさんのことやたくさんの魂のことは説明が難しいから後だ。
「違うよ。真名はあってる。でも色々あってまだ魂繋まで行き着いていないだけだ。今度こそ、魂繋をする」
「……本当ね? 旗を立てたら、全世界に知らせることになるのよ。水理王が魂繋したって。やっぱり出来ませんでした、なんてことになったら、御上も淼さまも赤っ恥よ」
後には引けない。引かない。
「恥どころか……信用を失って、皆従わなくなるわ」
「いいよ。失敗はしない」
もし、逸と暮さんに協力してもらえなかったとしたら。または魂の熟成がうまくいかなかったとしたら。
今度は強引に魂繋をするつもりだ。僕の魄が壊れてしまったら……演と一緒に逝くのも悪くない。でもそうならないことを願う。
「分かった。行ってきます」
言い切った僕に何を言っても無駄だと思ったのか、添さんは足を止めて別の方向に走り出した。
「演、着いたよ」
謁見の間に着いた。両手が塞がっているので背中で扉を押した。体重をかけて、やっと出来た隙間に挟まらないよう滑り込む。
扉が閉まるのを待って中へ進んだ。玉座から距離をとったまま正面に立った。演を片手で支えながら、一番上の装束を脱いだ。
行儀は悪いけど足でそれを床に広げる。その上に演を横たえた。
いつだったか。演が僕を抱えるか、僕が演を抱えるか、そんな話をして笑いあったことがあった。
僕が大きくなってしまって、もう自分では抱えられないと演は言った。何かあったら僕が演を抱えると答えたけど、その言葉通り僕が演を抱えることになってしまった。演が僕を担いでくれたのが遠い昔のような気がする。
謁見の間に少し風が入ってきた。
「来た、水太子」
重い音を鳴らしながら扉が閉まった。全身を布に巻かれた木乃伊が、謁見の間に入ってくる。
「暮さん、来てくれてありがとう」
「あと、連れる、来た」
腕から伸びた布の先に逸が巻き付いていた。久しぶりに見る逸はやはり少し窶れていて……でもどこか満足そうに見えた。
「自由になったのか?」
「この状態が自由に見えるならね」
逸はジャラッと音をさせながら両手首を持ち上げた。金属の鎖が巻き付けてあった。とても重そうだ。
二の腕は胴に巻き付けてあって、両手には鎖。物理的には自由に程遠かった。
「沌から自由になったのか、という意味だ」
「分かってるわよ、わざと言ったのよ」
逸が鼻で笑った。でもすぐに真顔になった。暮さんに引っ張られて、僕に近寄った結果、 横たわった人影が見えたのだろう。視線が床をむいていた。
「まぁお陰さまで。解放はされたわ。右腕が切り離されたでしょ? 新しい腕は私に関わりのない部位だから、自由と言えば自由ね。真名も帰ってきたし」
逸も沌に名前を上書きされていたようだ。右腕が切り離されたことで、支配から逃れたようだ。
「そうか」
「真名は時よ」
聞いていないのに名乗ったということは、免の字が付いた前の名が嫌だったのだろう。日の字が付いた名は暮さんの元の名である晩に繋がって、姉弟だということを改めて認識させられた。
「水太子、用、ある?」
暮さんを放置していた。細い布をブラブラさせて暇そうにしていた。
「実は二人に頼みがある」
場所を空けて演の姿を見せた。暮さんの顔は布で見えないので反応が分からない。時は表情を変えなかったけど、剥き出しの肩を少しだけ竦ませた。
「水理王の魄に滞留している魂のときを進めてほしい」
「魂のとき、同じ? さっきと」
暮さんが聞き返してきた。さっきというのはいつの話か、少し考えてしまった。
「違うわ、逆よ。さっきは理力から魂に戻す作業。今度は魂を理力にする作業よ」
「おー、すごい。姉上、似てる精霊」
姉上に似てる精霊と言われ、時は複雑そうな顔をしていた。
「要は魂を熟成させてほしいってことでしょう? そんなことをしたら水理王が世界の理力に還るわよ? 良いの?」
話が早い。潟には何も伝えていないのに時が分かっているのは、沌も同じことをしていたからだろうか。
時に事の次第を伝えた。
原子力から得た水の理力のせいで、演の理力が膨れ上がっていること。
その負担を減らすために僕が魂繋しようとしていること。
でも僕の魄が持たなくて魂繋出来ないこと。
そのために、まず演の魄にいる大量の魂を理力に還そうとしていること。
そして、演の魂は隔離してあるから問題ないことと。
概ねのことは伝えた。告げなかったのは演の魂がどこにあるか、ということだ。流石に時の全てを信用できるわけではない。必要ないことは言わなかった。
時は黙って聞いていた。暮さんは聞いているのかどうか分からなかった。布の下で欠伸でもしているかもしれない。
「分かった、良いわよ」
「やってくれるのか?」
ここまで話してはみたけど、断られることも少し考えていた。
僕が時を信用しきっていないのと同様、時の方も僕を信用していないだろう。信用していない者の頼みなど聞いてくれない可能性もあった。
それがあっさり承諾するとはどういうわけだろう。
「水理王には口をきいてもらう約束をしてるものね」
なるほど。暮さんのことか。
暮さんを返してくれるのか、と時が聞いたとき、演は言っていた。世界が崩壊しなければ、名も含めて解放するように、理王会議で進言すると時に明言した。
あくまでも進言だ。だから必ず解放出来るわけではないけど、時としては可能性に掛けたいのだろう。
「でも、約束してほしい。仮にそれで水理王が助からなくても、暮を……晩を解放してもらうわ」
「その約束はできない。僕には決められない。……でも他の理王方へお願いはしてみる」
時の願いの中に自分の解放が入っていない。本当に暮さんが大切なのだろう。
でも暮さんは時のことを覚えていない。時のことは『姉上に似ている精霊』という認識だ。時が発言すると、首が動いて彼女を見ているような気がするけど、それは単に会話の流れを見ているだけだ。
時は自分のことを覚えていない弟を自由にして……それで満足なのだろうか。
「今はそれでいいわ。でも認めてもらうまで交渉してもらうわよ」
「努力するよ」
時はどうするのかとは聞けなかった。姉弟でこのまま精霊界で暮せばいいのに、と思ったけどそれも言えなかった。
「さぁ、さっさと離れて。じゃないと巻き添え食うわよ」
一緒に熟成されたくなければ離れろという警告だ。どこまで離れようか迷って玉座まで離れた。いつもの場所に立つと、不思議と安心感がある。
けれど演は隣にいない。離れたことで演の魄が余計に小さく見えた。
あの小柄な魄の中に、千以上の魂を抱えて過ごしていたなど、誰が想像できるだろう。その中にハビーさんもいる。ハビーさんともここでお別れだ。
演の魄を挟んで時と暮さんが向かい合う。
謁見の間が闇に包まれた。




