410話 演の強さ
「加護を与えていたのは、水の星の沌ですよね?」
「そうだ。詳しいな。雫も水の星から来たのか? 出身はどこだ? ご両親は何だ?」
ハビーさんは急に前のめりになって、顔を近づけてきた。演と同じ顔が目の前にある。沌の名よりも、水の星の方に反応したようだ。
「いえ、僕は……」
「いや待て待て。当ててみるぞ」
ガバッと手で口を覆われた。温かい手に容赦なく、発言を制される。
「言語から判断して東の島国か。いや、それにしては先ほど通じていなかったな。ならば南の大陸か?」
パッと手を外された。熱が離れていってホッとした。
「僕は精霊界で生まれました。水の星のことはある方の記述で知りました」
「なんだ、そうか」
ハビーさんはガッカリしたようだった。姿勢を戻しながら小さくため息をついていた。広い意味での同郷の者だと期待させてしまったようだ。悪いことはしていないけど、裏切ってしまった気分になった。
「あ、でも父は水の星出身なんです。母は東の大河で精霊界生まれですけど、父は始祖の精霊のひとりです」
「始祖の精霊? それは何の精霊だ?」
また通じなかった。恐らく、始祖の精霊がそう呼ばれるようになったのは精霊界が出来て、ずっと時間が経ってからだろう。
何事でもあとが続いてから、始祖とか初代とか呼ばれるようになることがほとんどだ。
ハビーさんは確か、精霊界が出来てすぐに亡くなったそうだから、まだ始祖の精霊という言葉が出来ていなかったのだろう。
「玄武伯と一緒に精霊界を作ったひとりです」
「玄武伯?」
玄武伯も通じない?
「あの……はい、北の伯位の大精霊で」
「伯位?」
次から次へと、語句の問題が出てきた。
もしかして、精霊が伯位から季位に分けられたのもその後なのか?
「配偶者である閖閣下のことです」
最初から真名を言えば良かった。真名を呼んだことに対して、玄武伯から皮肉を言われてしまったので、それから口に出すことに抵抗があった。
「閣下!? あのヤンチャなガキ大将が閣下ぁ!? アハハハハッ」
「ガ……」
ハビーさんの高い笑い声が闇の中へ消えていく。ガキ大将だった玄武伯が容易に想像できてしまった。
かなり失礼なことを考えていた自覚はある。咳払いで誤魔化すとハビーさんはヒィヒィ言いながら、笑いで乱れた息を整えた。
「ハハッ……ハァハァ。なるほど。ガキ大将閣下ねぇ。差し詰め、閖、䦦、䦌、閑、焛あたりが始祖の精霊か?」
玄武伯と名が並んだということは大精霊の五人だろう。その内、三人は会ったことはないけど。
「その五人の他に、各属性からひとりずつと光と闇の精霊がひとりずつで、合わせて十二人です」
「何だ、首謀者全員か」
「首謀者……」
精霊界の立役者というべき存在を、犯罪者のようにいえるのは、同じ時代を生きてきた精霊くらいだろう。
「そういえば䦌も私の記憶では死にかけていたが、元気なのか?」
「えーと……」
ひとつひとつ説明するのも大変なので、順番通りに話を進めた。先生の講義や潟の説明を真面目に聞いていて良かったと心底思った。あのとき受けた説明をそのままハビーさんに話してあげることができた。
沌について話をしようと思ったのに、それどころではなかった。
「なるほど。それで雫の父上は初代の水の精霊王で、それが泣というわけか」
「はい、そうなんです」
天地開闢の話を聞いて、ハビーさんは目を輝かせていた。知っている名が多かったのだろう。
「失礼だが、顔はあまり似ていないな」
「よく言われます。母似なもので」
「そうなのか。ご母堂は美しいのだな」
僕の顔を見て母上の容姿を褒められても……どう返すのが正しいのか。
「いやしかし、泣が王とは……あの泣きむ……いや、失礼。なんでもない」
ハビーさんは途中で言うのをやめたけど、父上が泣き虫なのは母上も言っていたことだ。それは仕方ない。
「ということは泣も理力を奥方に託したのだな。私と同じように」
「はい。僕は兄と姉が多くいますが、一番上の兄を除いて、父が去った後、残した理力から生まれました」
ハビーさんは腕を組んで、首をやや傾けた。
「雫は末子か」
「そうです」
兄姉が多いと言ったので末子と判断されたのだろう。言葉の端々をよく聞いている方だ。
「演も末子だ。だが、娘は生まれるはずではなかった」
「は?」
まるで生まれてきてはいけなかったとでも言わんばかりだ。ちょっとイラッとした。威嚇するような声が出た。
「誤解するな。強すぎる理力を持って生まれるはずではなかったという意味だ」
ハビーさんは僕の威嚇を受け流すように、ちょっとだけ首を振った。
「私と閖の間には四人の息子がいる。私が存命中に生んだ。だが、娘は……」
まるで机があるみたいに、何もないところにハビーさんの肘が置かれた。体重を預けてもずり落ちることはなさそうなので大丈夫だろう。
「私が集めた魂は私の魂と共に熟成されて、理力に変わるはずだった。それをいくつかに分けて閖の理力と合わせ、あと何人か子を為してもらえれば良いと思っていた」
魂の熟成か。沌がやっていたことだ。あのときは人間の魂だった。
精霊なら死ねばすぐに理力に還元されると思っていたけど、水の星から来た魂は人間でも精霊でも、熟成させないと理力にならないらしい。
「子は多い方がいい。何人どころか何十人、いや、何百人でも良かったのだ。閖の理力と合わせれば千だって為せたはず。それを……あのガキ大将閣下が熟成も待たずに、全てひとりの子に受け継がせたのだ」
ガキ大将閣下……。
玄武伯の威厳が本人のいないところで失われていく気がしてならない。
「そのせいで娘の中には多くの魂が宿っている。私を含めてな」
「それが演の強さの理由ですか」
それは本人が望んだことではない。努力して変えることも出来ない。
強い強いと讃えてきたのは、演にとって誉め言葉でなかった。僕は気づかない内に演を傷付けていたかもしれない。
「勿論、それだけではない。継いだ閖の理力が薄く、閖の子の証である水門を受け継ぐことが出来なかったのだ」
昔は、理力を垂れ流して歩いていたらしい。自分のものではない魂を魄に収めているのだから、漏れていた理力はその分に違いない。
「息子四人は水門を受け継いだことで、私の瀰る性質を調整できた。しかし娘は水門を持たず、私と同じく広がり続ける性質を持ってしまったのだ」
子が自分に似ていたら、喜ぶ親の方が多いと思っていた。けど、ハビーさんはガッカリしたように目を伏せていた。
「ただでさえ強力な理力に、演び続ける魄。そして魄に合わせて増え続ける理力」
「そこに原子力が加わって更に強力に……」
ハビーさんはナニソレ? という顔をしていた。原子力はハビーさんも知らない力のようだ。ハビーさんに向けて手を振って何でもないと示した。
「まるで化け物だ」
怒りと焦りがハビーさんの中で混在していた。




