408話 雲泥子・瀰
「あなたは誰?」
何故か分からないけど、敵ではないと確信していた。
演のフリをしていたのは少しだけ腹立たしく思う。でもどういうわけか、込み上げるほどの怒りは湧いてこなかった。
「フッ……フッフ」
演と同じ顔を下に向け拳を握り、その手を口に当てて笑みを半分ほど隠した。すぐに顔を上げて僕を見つめ、手をそのままに小さく口を開いた。
「好好」
はお?
また頭に手を伸ばしてきた。でも先程みたいに科を作った演技ではなく、サバサバした雰囲気でスッと髪に触られた。不思議と今度は払う気が起きなかった。
「你一看就看出来了」
頭をポンポンされた。突然何を言っているのか分からない。さっきまで『会いたかった』と言っていたから、言葉は通じていたはず。
でもどうやら誉められているらしかった。ニコニコと微笑む顔は満足そうだ。
「很好很好」
変?
変だと言う割には上機嫌だ。
出てくる言葉は聞き取れないものばかりだ。何が言いたいのだろう。
先代の木理王さまも言葉が通じにくかったけど、あのとき以上に何を言っているのか分からない。木の王館みたいに言の葉があれば良かったのに。
「你是个有趣的人」
「すみません、なんて言ってるんですか?」
もう聞き取るのを諦めて口を挟んだ。すると相手はあれ? という顔をしてハッと何かに気づいたようだった。
それから口を両手で覆い隠した。隠した手の内で口をモゴモゴさせているみたいだった。
しばらくそうしてからパッと両手を開き、再び口を開いた。
「東の顔立ちなりければ、言語選びぞ誤りたる。ごめんなれ」
「あ、えぇ、はい。いえ大丈夫です」
口から出てきた言葉の音質が変わった。やっと少しだけ聞き取れるようになったけど、半分くらいは何を言っているのか分からなかった。
ごめんという言葉が聞き取れたので、謝罪をされていることは確実だ。
自分でも微妙な顔をしていたと思う。それを見たせいか、相手も微妙な顔をしていた。
「今はいづれの時ぞ?」
「今? 時間ですか? ちょっと時計を持ってないので……」
しかもこの精霊の周りは明るいけど、それ以外は闇だ。時間が分かる要素が全くなかった。
「さにあらず」
首を振って短くそう言うと、今度は両手で僕の頭を挟み、こめかみ辺りで押さえつけた。本当に温かい手だ。
その温度に気を取られて、一瞬、ゴンッと額をくっ付けられた。すぐにパッと離れていったけど、額にまだ温かさが残っている。
「これでどうだ?」
今度は言葉が急に流暢になった。呆気に取られて答えなかったら、やや不安そうな顔をされてしまった。
「まだ通じないか?」
「あ、はは、はいっ! 通じます!」
不安そうな顔から一転して、うんうんと満足そうに頷いている。
「それは良かった。会話も出来ないのでは対面した意味がないからな」
「でも、さっき演のフリをして『会いたかった』って言っていませんでしたか?」
二回も。
「あぁ、そなたに認識されるよう水通音質変形術を用いたのだが、私の残存理力が少なすぎて、持続しなかったようだな」
水通音質変形術……長くて噛みそうな理術名だ。初めて聞いたけど、言の葉みたいな理術だろうか。使えたら便利そうだ。
演のフリをしていたことには触れなかったけど、否定もしなかった。
「それにしてもよく見分けたものだ。騙されたら灰にしてやろうと思っていたぞ」
「僕が演を間違えるはずがないですから」
自信たっぷりにそう言うと、ため息の漏れる音がした。呆れか、それとも感心か。
「そこまで想われるとは私の娘はなかなか幸せ者だ」
「娘……もしかして、貴女は雲泥子ですか?」
僕がそう言うと意外そうな顔をして見返してきた。
「いかにも。私を知っているとは意外だ。どこかで私と会ったことがあるか?」
素早く首を振った。精霊界が出来るか出来ないかという頃に活躍していた方に知り合いなどいるわけが…………いや、父上がいた。
うっかり忘れていた。後で怒られそうだから黙っていよう。
「そうか。尤も雲泥子とは種族名に過ぎない。私の名は瀰という。短い時間になると思うが宜しく」
雲泥子が種族名だったとは知らなかった。きっと水棲馬とか海豹人とかそういった類いの精霊だ。何らかの特異な性質を持っているのかもしれない。
「宜しくお願いします。僕は涙湧泉の雫です」
何を宜しくお願いするのか不明だ。でも真名教えるという誠意を見せてもらった以上、受けるのが筋だ。
「雫か。私とは真逆だな。満ち足りた水が広く瀰る、それが私だ」
演と似ているのは顔だけではなくて、性質もだったか。
「瀰さんは……」
「言いにくいだろう。気軽にハビーと呼べば良い」
「は、ハビー?」
思ったよりも気さくだ。ハビーさんは肩にかかった銀髪を勢いよく払った。演がよく同じ仕草をしている。
「そうだ。雫と呼び捨てても構わないか? 不快ならば何らかの敬称をつけるが」
別に呼び捨てて構わないのにと思ったけど、それはこの方の信念なのかもしれない。
「雫と呼んでください。演につけてもらった名です。そのまま呼んでほしいです」
ハビーさんはうんうんというように首を上下に動かした。
「良い。気に入った。魂繋を止めた甲斐がある」
「魂繋を止めた!? 何故です!?」
それでは演を助けられない。
何てことをしてくれたんだ。何で邪魔をするんだ。
「このまま魂繋しては、雫の魂魄が壊れるからな。ひとまず止めたのだ」
やはり演の理力は尋常ではないらしい。受け止めきれない自分が情けない。気づいたときには膝から崩れ落ちていた。
「強引に魂繋すれば、まず雫の魄が壊れ、本体を失った魂が壊れるだろう。そして雫の魂に続いて、娘の魂も壊れる」
魂繋失敗の具体的な順序を説明してくれた。けど、別に知りたくなかった。知りたいのは別の情報だ。どうすれば魂繋できるか。
「私は娘とその配偶者候補を無闇に死なせたくない。だからこのまま魂繋させるわけにはいかない」
「どうすれば……どうすればいいんですか? 何か方法はありますか?」
「ないわけではないが、その前に雫。ここがどこだか分かるか?」
今更ながら場所が分からない。真っ暗な闇の中でここだけが……正しくはハビーさんの周りだけが明るくなっている。
「分かりません。ハビーさんは分かりますか?」
「まぁ、そもそも呼んだのは私だからな」
ハビーさんは僕に手を差し出してきた。その手を掴み立ち上がる。相変わらず温かい手だ。唯一演と違うのはここだ。
「ここは雫の中だ」




