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水精演義  作者: 亞今井と模糊
終章 一水盈盈編
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398話 ベルの本体

 不敵に微笑んだまま、澗さんは顎から外した手で、パタパタと顔を扇いだ。

 

「いやー、お熱いですね。氷之大陸オーケアノスが、朱雀伯の火之大山エトナのようですね」

 

 火之大山エトナなんて行ったことがないので、比較のしようがない。


 澗さんの真面目な雰囲気はどこへやら、いたずらが成功したみたいな顔をしている。


「澗さん、からかったんですか?」

 

 真剣に答えた僕がバカみたいだ。

 

「いえ、滅相もない。真意を知りたかったのと、ちょっと試したかったことがありましたので」

「僕のこと、試したんでしょう」

「いいえ、違います。淼さまが愛称をご存じだと仰ったので……イケるんじゃないかなと思いまして」

「どこに行けるんです?」

 

 僕が間髪入れずに返すと澗さんは何故か吹き出した。末っ子が危ないというのに、もう冗談なのかなんなのか分からなくなってきた。僕が澗さんの真意を知りたいくらいだ。

 

「いや、失礼。行くとしたら、勿論、玄武伯のところですよ」

「行けるんですか?」

 

 つい壁に接近しすぎた。顔をかなり近づけると、やや冷気を感じとることが出来た。そこまで近づいても、『やや』という程度だ。

 

「私は行けますよ、その気になれば」

「連れていってください、お願いします!」

 

 壁から離れて頭を下げた。頼れるものはなんでも頼る。それこそカオスでさえ。

 

「行くことはできますが、行ってどうなさいます?」

「もう一度、玄武伯を説得してみます!」 


 語気が荒くなってしまった。澗さんは首を縦には振ってくれなかった。

 

「具体的な方法がなければ無謀というものです。また捕まって、御上が崩御なさる直前にしか王館に戻れない」

「崩御なんて縁起でもない! 止めてください!」

「例えばの話ですよ。私も望みません」 

 

 壁がなかったら掴みかかっていたかもしれない。この部屋に来てから初めて、この物騒な壁に感謝した。


「私が何故、父に反抗して、御上に持ち出し禁止の書を送ったのか分かりますか?」

「精霊界の危機を救うのに協力してくれたんですよね」

 

 カオスのことは正直、まつりごと云々と言っている場合ではなかった。玄武伯や他の大精霊が出て来ても理違反にはならなかったと、今なら思う。


「勿論それはあります。それでも王館が関わる以上、父は協力しなかったでしょう」

 

 自分達が作った精霊界が危機にあっても、関わりたくないのか。それで世界が滅んだら元も子もない。

 

「じゃあ、どうして……」 

「根本的な話として、御上を除いた兄弟四人の中で、唯一私だけが父に辛うじて反抗できるのです」

 

 どういうことだ。

 

 澗さんは頭に手を置いて、髪を撫で付けた。特に乱れてはいなかったけれど、黒髪が整って艶が増した気がした。


「嘆きの川は父と流れが逆なのです」

「逆とは?」

 

 玄武伯の本体である氷之大陸オーケアノスに流れがあるのか?


氷之大陸オーケアノスは大陸と名がついていますが、領域の大部分は大洋です。大洋と言えど流れは決まっています。私の嘆きの川(アケローン)は父と逆向きに流れているのですよ」

「だから、逆らえるってことですか……」


 僕たちの住む世界では、流れが同じだからと言って逆らえないことはない。本流に支流が逆らえないという感覚で良いだろうか。

 

「勿論、力の差は歴然ですし、無闇に逆らうわけではありません。まつりごとに関わるべきではない、という父の考えは理解できます。ですが、子に対する情を無視することには反対です」

「じゃあ、ベルさまの真名を教えてください」

 

 澗さんが玄武伯に多少なりとも反抗できるのなら、玄武伯の意に反して、澗さんに教えてもらえると思った。 

 

 でも澗さんは首を横に振った。

 

「我々があの子の真名を口にすると危ない。ここに残ったあの子の本体が何をするか分かりません」

「ここにベルさまの本体があるんですか?」

 

 本体を削ってしまおうという計画を思い出した。実行するつもりはなかったけど、このまま真名を教えてもらえなかったら……やるしかない。

 

「あります。ありますが、あってないようなものです」

「本体は何なんですか? やはり現象系ですか?」

 

 澗さんは首の後ろに手をやりながら、少し言いにくそうにしていた。

 

「そうですね。現象といって良いでしょう。あの子の本体は『遠くまで流れる水』『広がろうとする水』です」

「遠くまで流れる……」

 

 それだけ聞くと、川のような気もするけど現象系なら川ではない。

 

「ここにも、勿論王館にも、もしかしたら行ったことのある場所すべてに、あの子の本体が広がっているかもしれません」

 

 広がり続ける本体……恐ろしい。ベルさまの強さの秘密はこれなのだろうか。


「名が身を体すとはよく言ったものです」

 

 澗さんが今、ヒントをくれた。

 遠くまで流れる……広がろうとする水。それがベルさまの真名だ。

 

 でも、意味が分かったとはいえ、肝心の真名は全く想像できなかった。

 

 澗さんに教えてもらうことができない以上、玄武伯に頼るしかないわけだ。

 

「玄武伯は、ベルさまのことをどう思っているんですか?」

「あの子のためなら喜んで魂を差し出すくらいのことはしますよ、父としては」 


 意外な答えが返ってきた。いや、意外ではないのかもしれない。僕に本心を見せなかっただけで、心の中ではやっぱり自分の子を思っているに違いない。 

 

「ですが玄武伯としては、とても厳しい。他人には勿論、自分にはもっとです。他人を律するなら、まずは自分から、ということです」

 

 父としての立場よりも玄武伯としての立場を優先しているということか。大精霊としての責任がそうさせているのだろう。

 

 理王は何十年から何百年という期間で役目を終えるけれど、大精霊はその任を下りることは出来ない。寿命もないのだから、永遠に責任が付きまとう。

 

 期間の定めのない任に就いて、玄武伯は投げ出したくなったことはないのだろうか。


「我々兄弟は生まれたときは仲位でした。理力をつけて伯位になり、父はより厳しくなりました。己の立場を考えて行動するように、と」

 

 澗さんは手を組んで上に向かって腕を伸ばした。大きく伸びをして背中をほぐしている。

 

「御上と関わった罰として、私に絶縁か幽閉かという選択をさせたのもそういうことです」


 今度は屈伸をしたり、腕を捻ったりと入念な準備体操をしているようだ。何を始めるつもりなのだろう。

 

「大きな戦いがあったと仰いましたね。その言い方だともう終わっているようですが、私が送った情報は役に立ったのですか?」

「はい。ありがとうございました」

 

 あの情報があって、ベルさまが駆けつけてくれなかったら、負けていたかもしれない。澗さんがいなかったら、どうなっていたか分からない。本当はもっと澗さんに感謝すべきだ。


「ならば後悔はしません。嘆きの川を氷之大陸にしずめても、一切の悔いはない」


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