38話 これから
流没闘争の残党。その全てに美蛇が関わっていたこと。
伯位の者は流石にいなかったけれど、伯位昇格を狙う仲位が数名いたこと。
また流没闘争で被害のあった火精も取り込んでいたこと。
全てを淼さまは語ってくれた。
「美蛇は手頃な弟妹を弱体化させて仲位の水精や火精に差し出していた。理力を奪おうが、消そうが殺そうが好きにして構わないと言ってな。弟妹で足りなければ近くの季位を捕まえていたらしい」
火精に襲われたとき、引き渡すと言っていたのはそのことだったのか。
「美蛇はいずれ高位になるために周りを抱き込もうとしていた。力としては雫さえ手に入れば良かったんだ。只でさえ純度の高い泉だ。一滴とはいえその理力はとても濃い」
焱さんが注釈を入れてくれた。僕の理力は弱いけど濃い、ということ……で良いのかな。焱さんの言葉に頷きながら、淼さまが話を続ける。
「だから、私は逆にそれを利用した。全てに繋がる美蛇が雫を狙うなら、私はその雫を守り、美蛇が尻尾を出すのを待つことにした。その間、華龍どのには辛い思いをさせたが……」
隣を見ると、母上は静かに首を振った。
「元はと言えば我が子のしでかしたこと。そしてそれを止められなかったのは私めの罪でもあります」
「しかし、彼を『雫』と呼ばないのは私への当て付けだろう?」
淼さまは少し責めるように母上に問う。口調が優しいだけに少し怖い。
「…………滅相もない」
母上が淼さまから目線を外して下を向いてしまった。
「御上。華龍どのの子の中で生まれつき名がなかったのはこの子のみ。ただ一人自分で付けた名を上書きされて、そう簡単に受け入れられる訳あるまい」
「いえ、決してそのような」
何故か先生が母上のフォローをしている。当事者の僕はどうすることも出来ない。
「名を返してもいいのだが、雫を保護している雨伯の手前、そう易々とは名を変えられない」
母上が落ち込んだのが分かった。慰めてあげたい。けど、僕が口を開こうとすると淼さまがそれを制した。
「まもなく泉も復活するだろう。そうすれば雫は『一滴の雫』ではなくなる」
そう言われて初めて気づいた。美蛇の兄がいなくなったから、僕が奪われていた理力が戻ってくる。
「よって、通称名を『涙の雫』に改める。これで了承願えないか?」
淼さまが母上を気遣うように言った。隣を見ると母上は目を見開いて、口角をほんの少しだけ上げた。
「有り難うございます。御上のお心に感謝いたします」
「それと華龍どの。長年の苦しみと協力に報いるべく、昇格させる。本日より華龍河・清を伯位とする」
母上が更に目を大きく開いた。予想していなかったのだろう。驚きで口も少し開いている。
「母上、母上! おめでとうございます!」
母上は固まっている。その腕を掴んで軽く揺する。
「雫もだよ」
「え?」
「今言った通り、泉の復活を認める。並びに本来の位である叔位に昇格させる」
今度は僕が固まる番だった。僕が叔位? しかも本来の位?
周りから、良かったなとか、まぁ当然じゃなとか、何か言われている気がするけど、頭に入ってこない。
「二人とも任命書はあとで渡す」
淼さまの言っている意味が理解できない。ただ、先に立ち直った母上が動いたので、つられて僕も頭を下げた。
「これで水精は落ち着くかのぅ」
「恐らくは。この数ヵ月で対象者はほとんど粛清したので。地位の降格、名の剥奪、本体の差押さえ、合計百三十一件。これで収まらなかったら……許さん」
ピシッと言う音がして茶器の中身が凍りついた。顔を上げると部屋に雪がちらついている。淼さまの隣にいる先生がまぁまぁと宥めている。
「となると、火精の方がやばいな……」
焱さんがズルズルと背もたれからずり落ちて、より深く安楽椅子に沈んだ。
「流没闘争で受けた無念や悲しみが癒えていない。火精が暴れだすぞ」
皆が一斉に焱さんを見た。焱さんは安楽椅子に長い足を上げている。
「やり場のない気持ちを弱い水精を襲うことで晴らそうとしていた。勿論そんなことをしても解決はしないが……こういう気持ちは理屈じゃねぇからな」
御上に相談しねぇと……と焱さんはぶつぶつ言っている。不安定な姿勢のまま茶器に手を伸ばすと凍った中身を炙って解凍してしまった。
「……焱さんは火精なの?」
焱さんに集まっていた視線が僕に集まった。ふ……不適切な発言があったでしょうか。一瞬の沈黙の後、
「ほら! 言うタイミングがなくなったじゃねぇかよ!」
「十年も騙しておればのぉ」
「騙してはいないです!」
「我が子ながら純粋というか純水というか」
暗い話をしてたはずなのに皆急に元気になった。母上まで僕のことを残念そうな目で見ている。
「雫を守るのに協力を頼んだんだ。雫に近づくために、強すぎる火の理力を押さえる必要があったから、『淡』の仮名を付けた」
『淡』という名前を聞いてもしっくり来ない。聞いたこともあるし、呼んでいた記憶もあるのだけど。
「もう、『淡』の名は使わない。数年前に、『泡』から混同するのでやめてほしいと言われたからね」
「俺は結構気に入ってたけどな。まぁ、今度はこっちが忙しくなるから、水精ごっこは終わりだな」
焱さんは茶器の中身を一気に飲み干した。
「御上に相談してからにはなるが、俺は王館を離れることになるだろうな」
え。何で? やっと会えたのに。また一緒にごはん食べたり、出掛けたりしたいのに。
「火精は本当は水精を襲いたい。でも水精にはまず敵わない。だとするとその怒りが向くのは……」
「金精でございますね」
母上が口を挟んだ。淼さまと焱さんの話には、あまり口を出さなかったのに。
「金は水を生じさせますので、親しい金精も多くおります。定期的に往来があったのですが、最近は音沙汰がありません」
母上の話に寄ると、華龍河の近くは湿気が高く、金精は水を生みやすい。しかし溜まった水を放っておくと錆びてしまう者もいると言う。
そのため、溜まった水を華龍河へ流しに来ていた。良好な関係だったはずなのに、最近訪問がないので、美蛇が追い返しているのかと思っていたらしい。
「……まずいな」
「申し訳ありません。自分と子らのことで精いっぱいで……」
例え母上が金精の異常に気づいたとしても、美蛇の兄が牛耳っている限り、どうすることも出来なかったと思う。
「華龍どののせいではない。気にするな」
淼さまは軽くそう言う。けど、焱さんは神妙な面持ちだ。先生まで唸っている。
「思いの外、深刻じゃな。金理は把握しておるのか。……おっと、そうじゃ、その前に。御上に報告があったのじゃ」
「……あぁ、そういえばお勤めご苦労でしたね」
今更という感じで、淼さまが労いの言葉を述べた。そういえば、僕も先生が二ヶ月ぶりに戻ってきたという事実を忘れていた。
「全く……追加事項で清どのの救出を命じられるとは思わなかったぞ? 少し休暇をくれてもいいんじゃぞ?」
先生が冗談っぽく首を傾げる。仕草は小動物みたいだけど、全然可愛くない。
「どこかでサボってなければこんなに遅くならないでしょう」
「おっと、報告でしたな」
先生が強引に話を遮って前のめりになった。これ以上言い合いをしても結論は出ない。でも二人はこの会話を楽しんでいるようにも感じた。
「渦の主は消滅を確認した。よって、わしが予定通り管理を引き継いだ。じゃが、それと同時に『魄失』の存在を確認した」
僕以外の全員がその場で凍りついた。




