393話 ベルの兄たち
潤さんから金属が擦れる音が聞こえた。剣を抜いたのだろう。
「どうぞ武器をお取りください。理に適った行いを私や父にお見せください」
ザリッと靴音がした。片足を引いて既に構えている。僕が構えるのを待っている
さっきから潤さんが言う『理に敵った行い』とは何だろう。太子として正しい行動を指すならば僕がここにいる時点で間違いだ。
玄武伯は僕を諭しているのかもしれない。でもここで帰りますと言って、引き下がるわけにはいかない。
潤さんにベルさまの真名を教えてもらえば、玄武伯に合わなくても帰ることが出来る。でも、潤さんは玄武伯の意向に沿って動くはずだ。ここで教えてもらえるかどうかは分からない。
だったら、まずは相手に合わせた方がいい。
「始めてください」
「え……」
潤さんの視線が僕の腰に向けられた。剣は佩いていない。丸腰で来たのだ。
潤さんは構えを少しだけ解いた。
「武器をお持ちでないのですか? 良ければお貸ししますが」
「いえ、大丈夫です。持っていたとしても捨てます。どうぞ」
王太子は理によって守られている。即位前にその任を下りることは許されない、と言われている。
そうだとすれば、潤さんの攻撃を受け止めたとしても、死ぬことも消えることもないはずだ。多少の怪我は我慢しよう。……多少なら。
潤さんは剣を構え直すと、息を吸うほんの僅かな時間だけ動きを止め、それから床を蹴って飛んだ。足元の灯りが届かない位置まで上がり、姿が見えなくなる。
潤さんの理力が落ちてくる。肌がヒリヒリする。ベルさまに似た理力だけど、そこまで強力ではない。抑えているのかもしれない。
頭の上で風を切る音がした。
絶対に避けるものか。
顔を正面に向けて剣が振り下ろされるのを待った。
「……っ」
左耳にチリッとした痛みを感じた。髪が焦げた独特の臭いがする。
……でもそれだけだ。それ以上の苦痛はない。強いて言えば緊張しすぎて心臓がバクバクと忙しく動いている。
左の頬を冷たい金属が擦っていった。潤さんが剣を引いていた。
「は……こんなことが」
潤さんが剣をかざして眺めている。途中でポッキリと折れていた。僕の足元で灯りに照らされた刃先が、赤く光っている。包丁として再利用できそうな長さだ。
「王太子は理に守られていると言いますが、綺麗事だと思っておりました」
左耳を押さえた。ちゃんと顔についている。血も出ていない。もしかしたら皮くらいは剥けているかもしれないけど、もう痛みもなかった。
強いて言うなら、髪がゴワゴワしているところがあった。摩擦で焼けたのだろう。
「私の剣が……」
「す……」
謝ろうとして止めた。ここで僕が悪いと認めてしまったら、進めないかもしれない。僕は動いていないのだから、僕に非はない。
「この剣は、ひとりの金精が生涯をかけて鍛えた波里剣です。金剛石に次ぐ固さを誇ります」
「それは残念でしたね。お察しします」
なんかちょっと嫌みっぽかったかもしれない。言わなければよかった。でも愛用の武器が壊れた辛さは僕にも分かる。
「淼さまの守りの方が強靭でしたね」
「恐れ入ります」
正直言って何もしていない。
潤さんは折れた剣を柄の方だけ鞘に収めた。僕を見たまま諦めたように薄く笑った。
「恐れ入ったのはこちらです。……濶、瀾、これ以上の手出しは無意味だ。もう出て来て良いぞ」
暗がりから二人の精霊が現れた。
ひとりはベルさまよりも少し年上のようだけど、もうひとりはまだ幼さが残っている。
養父上から以前聞いていた情報と照合すると、次男が濶さんで、四男が瀾さんだ。三男の澗さんがいないところを見ると、やはり罰を受けているのか。
潤さんが手を叩くと、足元だけだった灯りが上部も点った。長い廊下だということは分かっていたけど真っ白だ。しかも、その端は靄がかかっているのか、ぼんやりとしか見えない。
「淼さま、お目にかかります」
「……出番がなくなった」
不満を口にした精霊が、もう片方の精霊に睨まれた。
「弟はまだ幼いもので失言をお許しください。これは忘却の川の瀾。僕は悲嘆の川の濶です」
「ご丁寧に」
幼いと言ってもベルさまよりも年上のはずなのだけど、そこには触れないでおいた。
「俺はお前より年上だぞ!」
「はい、立派な龍だそうですね」
触れないでおいたのに自分から宣言された。龍であることを告げると、満足そうにふんぞり返っていた。図体は……いや、体格は良くても中身は幼いようだ。
潤さんが瀾さんの後頭部を掴んで、僕に頭を下げさせようとした。それをやんわりと止める。
「私が倒された場合、弟たちとも戦っていただく予定でしたが、淼さまには必要ありませんでしたね」
潤さんがニヤリと笑った。顔は似ていないのに、笑い方はやっぱりベルさまに似ている。
「父の元へ案内いたします。誰かいるか!? 露払いを!」
潤さんの声に反応して、壁から頭が出て来た。スルンッと壁から抜け落ちた頭は、髪もなければ首から下がない。地獄と同じだ。二度目でなければ、身構えていたかもしれない。
「露払イナリ」
潤さんがシッシッという仕草をすると、頭はピョンピョンと跳ねながら進んでいった。それに潤さんが付いて行くので、僕も後に続く。僕の後ろからは濶さんと瀾さんが続いた。
前後を挟まれる形になった。警戒されているのか、それとも守られているのか。半分半分というところか。
「あの……僕、紹介状を持ってないんですけど大丈夫ですか?」
以前、地獄では頭に紹介状を奪われた。今思うと、黄龍伯への引き継ぎだったのだろう。
「あぁ、氷之大陸にはそういうものはありません。紹介されて来るような精霊いませんから」
「そうですね。僕たちも来客なんて初めてです」
「消化異常なのか? 何か悪いもんでも食ったのか?」
ひとりおかしい。
僕の横に並んだ瀾さんは濶さんに引っ張られ、僕の背後へ消えていった。
仲が良さそうな兄弟だ。この輪に入ったベルさまはどんな子どもだったのだろう。
「ひとつお聞きしても良いですか?」
「御上に関するご質問は父にお願いします」
ピシャリと潤さんから拒絶された。ここでベルさまの真名を尋ねるつもりはなかったけど、そう思われたに違いない。
やはり僕がここへ来た目的を知られている。父上が王館の下から見ているように、玄武伯も見ているのかもしれない。
「いえ、違います。答えたくなければ答えなくても良いのですが、澗さんは……やっぱり罰を受けたんですか?」
「……あぁ、そうですね」
変な間が空いた。
後ろの二人も黙っていて空気が重い。頭が跳ねる音と声が異様に大きく聞こえた。二股に別れた不思議な階段を器用にのぼっていく。
「父子・兄弟の縁を切るのと投獄されるのと、どちらが良いか父が選ばせた結果、投獄を選びました」




