37話 明かされる闇
炎と共に現れたのは見慣れた赤い髪。立ち上がると背が高い。良く知っている姿だ。ただ名前だけが分からない。
「焱」
「分かっておりますよ。見ておりましたから」
見てたの? どこから?
「雫。バケツ貸して」
「あ、うん」
振り向きざまに言われて、軽く答えてしまった。けど、もっと畏まった方が良かっただろうか。火の太子と言っていた気がする。
でもそれを確認するのは後だ。急いで母上の入ったバケツを取りに行く。でも溢さないようにそっと運んだ。
「床に置いてくれ」
「う、うん」
バケツをそっと床に置く。赤い斑点のある天女魚は、すでに腹部を上にしていた。
「あ、あの、母上を」
「分かってる。任せろ」
その精霊は指を一本だけバケツの水に浸けた。天女魚に直接触れないように気を付けながら、指をユラユラさせている。
「大丈夫だ。まだ間に合う」
胸元に手を入れると細い針を取り出した。何に使うのだろうと思ったけど、邪魔をしないように黙っていた。
「『火鍼』」
一瞬炎があがって針が真っ赤に染まる。針が熱を帯びて真っ赤になっている。それを僕の見ている目の前で母上に刺した。
「なっ何を……」
「黙ってろ」
言われた通り口は閉じたけど、思わず睨んでしまった。これ以上、母上を傷つけるようなことはしないでほしい。
「よし、気づいたぞ」
「え?」
バケツを覗き込むとちゃんと背を上にして泳ぐ天女魚がいた。バケツが狭そうだ。
「母上……」
パシャっと尾ひれで水をかけられた。頬を水が伝っていく。けど、頬が濡れているのは、きっとそれだけじゃない。
袖でぐいっと顔と目を拭った。腕をよけたときには視界が少しだけ暗くなっていた。目の前に母上が立っている。
「母上」
「愛しい子。泣かないで」
母上にそう言われても涙が止まらない。
母上が無事だった。
信じていた兄に裏切られた。
赤い髪の精霊に再会できた。
先生が帰ってきた。
色々なことがたくさん起こって、自分の気持ちがどうなっているのか分からない。母の腕にすがり付き、声を上げてただただ泣いた。
◇◆◇◆
「すみません。お見苦しいところをお見せしました」
場所は変わって応接間。
淼さま、先生、焱さん、母上、僕の五人でひとつのテーブルを囲んで座っている。
執務室に置いてある安楽椅子よりも柔らかい。身体が沈みこむのを支えるため、膝に力がこもった。
泣きすぎて鼻が痛い。目も熱っぽくて腫れている気がする。早く部屋に戻りたい。
だけど、そういうわけにもいかない。先生が出してくれた氷で目を冷やしながら、母上の隣に座った。
僕以外は高位精霊ばかりなので、床に座ろうとしたら全員に止められた。何故だ。
「さて……」
淼さまに皆の視線が集まる。相変わらず、先生の目だけはどこを見ているのか分からなかった。
「この数ヵ月で様々なことが起こっている。それらはバラバラではなく、密接に繋がっている。私たちは情報を共有する必要がある」
「どこから話すつもりかの。順序立てて説明せねば混乱するだけじゃぞ」
「私が即位した頃から」
二百年前からか!? これは数刻コースじゃな。という周りの突っ込みを無視して、淼さまは語り出した。
二百年前、流没闘争が表向きは収束した。滝は上から下へ、川は山から海へ正しく流れを作るようになった。
けれどそれはあくまでも表向きで、裏では終わっていなかった。
覇権の拡大などを狙って動いていた水精は多く、見つけ次第に罰するというだけでは、根本的な解決に至らなかった。また側近の座を狙って近づいてくる者もいて、事実か虚構か見極めるのも余計な手間がかかった。
「事態が動いたのは十年前だ」
小波の漣を通じて華龍河の清から審判の要請を受けた。涸れるはずのない泉が涸れかけていると。
初めは水理王を呼び出すための虚言であるかとも思ったが、実際足を運ぶと事実だった。そしてその裏に泉を涸らそうとした者がいることも、華龍河が自ら手を出せない理由にも淼さまは気づいた。
「美蛇は私めの子らを質に取っておりました」
母上が突然口を開いた。
「抵抗しようとした子もおりましたが、美蛇は寄生性原虫を用いて次々とその子たちを……」
膝の上で品良く重ねた母上の指先が、わずかに震えたのが見えた。それでも凛とした声は変わらない。
「次第に美蛇に協力する者が出始めました。美蛇は手をかけた弟妹たちの理力と本体を奪い、力をつけていたのです。そんな長兄への羨望と恐怖が判断を鈍らせたのでしょう」
母上の髪が床を撫でた。淼さまに軽く頭を下げたようだ。
「雫が虐げられるようになったのは、その頃からか?」
焱さんの声だ。焱さんと呼ぶことに慣れないし、言いにくい。前こんな名前だったかな?
「左様でございます。元々は皆、優しい子達でした。兄弟姉妹の中でただひとり季位であったこの子を皆、慈しんでおりました」
「美蛇の兄う……いえ、美蛇が僕に優しくしていたのは」
僕に皆の視線が集まる。発言してはいけなかっただろうか。
「それも美蛇の考えでした。あなたは私の流れを受けた泉。地下で濾過される分、川よりも純度が高くなります。また受け継いだ理力は少なくても濃いものでした。美蛇はそこに目を付けたのです」
自分に親しむよう仕向け、幼い頃から少しずつ少しずつ理力を奪っていたこと。そして成長しきった時を待って、全ての理力を奪うつもりだったこと。母上は淡々と語っていく。
「十年ほど前、ついに泉が涸れ始めました。その頃には、質と呼べる子たちはいなくなっていました。みるみる力をつけた美蛇に皆が従っていたのです。もう私でも抑えることが出来なくなっていました」
「そこで水理皇上に助けを求めたわけか」
淼さまは黙って目を閉じている。先生も何も言わずに僕が入れたお茶に口をつけている。
「その頃ちょうど、漣さまがよく川遊びにおいででした。美蛇に気づかれないよう、忍んでお会いしました」
「ほー。川遊びとは優雅だな」
淼さまが先生を睨んでいる。先生は綺麗に無視しているけど、部屋の温度が下がった。背中が寒い。
「御上にこの子を救っていただいたことで美蛇の計画は崩れました。私めは少し安堵いたしました。これで子供たちが解放されると。……しかし」
「美蛇は諦めていなかった、か」
淼さまが、続きを促すように足を組み直すと銀髪が一房垂れてきた。
「美蛇の狙いは仲位への昇格だけではありませんでした。その後、御上の側近となり、ゆくゆくは」
「王太子か」
今のは焱さんだ。組んだ足の先が揺れて、イライラしているのが分かる。
「なろうとしてなれるものではないわ。馬鹿者が」
先生の怒った声に母上は俯いてしまった。
先生は……目が開いている! 目から何か飛び出してきそうだ!
「美蛇の悪事に関してはそれだけではない。私はこの十年で流没闘争に関わった者を調べあげた。問題があってから叩いてもキリがない。だから大元を掴もうとした」
読んでいただき有り難うございます




