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水精演義  作者: 亞今井と模糊
終章 一水盈盈編
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閑話 先代水理王~雫との出会い①

「御上はどうやって理力を抑えているのですか?」

 

 いつものように視察の報告を受けていた時だ。報告を終えた淼が、珍しく退がらずにそう言った。


 余は聞くだけで話すことはほとんどない。余計なことを言う必要はない、と侍従から言われているからだ。今日もそれで済むと思っていたのに……。

 

 隣に控える者に視線を送ったが、呆気に取られるだけで何も指示をしてこなかった。余が答えるべきなのか?

 

 淼は余が答えないことを、聞こえなかったと解釈したらしい。同じ質問を繰り返した。


 第三十ニ代目の水理王に即位してから……いや違う。太子だった頃も、その前も、いつも弱い弱いと言われ続けていた。

 

「べ、別に……何も……してない」

 

 掠れた声しか出なかった。今に限ったことではない。話すときは、いつも声を絞り出している。

 

 文章も頭で考えた通りには出てこない。どうしても片言か短い文になってしまう。

 

「なるほど。無意識になさっているのですね」 

 

 返事ができなかった。理力を抑えたことなど一度もない。

 

 淼はまっすぐに、濃い色の瞳で余を見つめている。こちらが飲み込まれそうになるほどの濃い色だ。さながら夜の荒れ狂った海のようだ。一度ひとたび、潜れば帰って来られないだろう。

 

「隠すのが実にお上手です。感服致します。私はまた先代に注意されました。理力を垂れ流して歩くなと」

 

 この度就任した新太子は、大精霊・玄武伯の子だという。大精霊の子だけあって、理力量だけで、すでに恐ろしい。こうして側に寄られるだけで、肌がヒリヒリする。

 

 執務室内にいても、部屋に通じる長い長い廊下の角を曲がったところから理力を感じる。その度に緊張感が走った。

 

 余だけではない。執務室にいる全員が固い雰囲気を醸し出していて、淼に恐れを感じているのが余だけではないことに少しの安堵を覚えた。


「御上が羨ましいです」

 

 曇りなき眼とはこういうことを言うのかと感じ入った。もし曇らせようと近寄った雲がいれば即座に飲み込まれるだろう。

 

「さ、左様か」 

 

 淼は太子選考会の時まで、氷之大陸オーケアノスから出たことがなかったそうだ。

 

 聞いたところによると、かなり世間知らずなところもあるそうだ。しかし、かと思えば膨大な知識量を披露して、嘗めてかかった古参の精霊を唸らせているらしい。

 

 嘘か本当か定かではないが、初代さまを倒そうとしたという。

 

 恐ろしい。 

 

 もし、余が理力量も体力も知力も……全てが、太子じぶんよりも劣ると知ったら、どう思うだろうか。

 

 ガッカリするだろう。いや、それでガッカリするくらいならまだ良い。

 

 余がこれまでに犯した罪を知ったら、どうするだろうか。ひょっとすると、こっそり存在を消されるかもしれない。


 冷や汗など出るはずがない。毛穴から出るはずの汗までが、淼に遠慮している。

 

「あ、御上。このあと、え、謁見が詰まっております」

 

 侍従が声をかけてきた時は、助かったと思った。普段はあれをしろ、これをしてはいけない、と口うるさい侍従が、今は頼もしく思えた。

 

 侍従の声も震えていた。淼との話を遮ったのだから勇気のある行動だと思う。


「あぁ、お邪魔でしたか。失礼しました」

 

 淼はそう言って脇へ避けた。その動きに、周囲の理力が付いていく。何の戸惑いもなく、理王である余の側を離れていく。

 

 まるでそれが当然のように。

 

 世界の理力までが私を嘲笑っているかのようだった。

 

 言われた通り謁見をこなし、

 言われた通り書類に判を捺し、

 言われた通りに何でもやった。

 

 言われた通りにやっていれば何とかなった。 

 

 淼を除いては。

 

 淼は事あるごとに余との距離を詰めようとしてきた。余を観察して理力の抑え方を学ぼうとしているらしい。それが苦痛でしかなかった。

 

 淼が視察に出ている間は、王館の理力が落ち着いた。やっと息をするのが楽になって、気持ちも落ち着いた。

 

 そういう日の夜。皆が帰って一人で過ごしていると、必ず側に来る者がいる。

 

「今宵も良い夜ですね」

「……救済者メシア

 

 理王になる前から余に付いていた。余を理王にするため、精霊を食べるよう両親に助言した者だ。

 

 この者がいなければ余は理王にならずに済んだのかもしれない。でもそうしなければ媛ヶ浦は滅んでいた。それほどまでに実家は弱っていた。

 

 そう思うと恨む気になれない。むしろ媛ヶ浦を救った者だ。名前は分からないので、敬意を込めて救済者と呼んでいた。

 

「どうしました? そんなに落ち込んで」

 

 心地の良い声が耳の孔から頭の中を突き抜ける。

 

「……救済者、余は怖い」

「貴方は理王です。恐れるものなど何もありませんよ」

 

 救済者が余の後ろから腕を回してきた。背中に固いボタンが当たっている。安心させるような声に、その通りだと思いかけて……淼の顔を思い出したらやっぱり怖かった。


「淼が怖い」

 

 正直に告げると、救済者は余の顔に手を乗せた。灯りが遮られて闇が訪れる。

 

「怖いものは見なければ良い」 


 暗い。深い深い海の底のようだ。

 

 ここなら荒れ狂った波は届かない。


「新たな淼は危険な存在です。距離をおいた方が良いでしょう」

 

 救済者の手が離れていく。

 

 急に開いた世界が怖くて、その手を追いかけたくなった。


「今後、貴方のみちを妨げる存在です。無視するのです」

「どうやって……」

 

 救済者なら、きっとこの先のこともかんがえてあるはず。そう確信して尋ねた。


「視察を増やしましょう。王館から離れざるを得ない状況を作っておきます」

「ほ、報酬は?」

 

 誰もが皆、見返りを求める。働きに応じた報酬は当然だ。大抵は昇格だったり、領域の拡大だったり……。しかしそれも余が考える前に、すでに側近たちが決めている。

 

 余は決められた通りに宣言をすれば良いだけだ。救済者もきっと、自分の望みの物を手に入れる算段はついているだろう。


「おや、まつりごとを覚えましたね」

「いや……そ、の」

「理王業が板についた証拠です。理王たるものそうでなければ……ふふ」 


 頬から顎へ滑り降りた手が肩に置かれた。

 背後に救済者がいるだけで安心感がある。侍従や側近とは比べ物にならない。

 

「そうですね。水の王館に保管してある王水をいただきましょう」

「王水……」

 

 王水は多くの金属を融解させる性質がある。金精にとっては恐怖の液体だ。正しい使い方をすれば非常に便利なものだが、その危険性故に王館で保管されているだけだ。市場に出回ってはいない上、管理が厳しい。

 

「心配はいりませんよ。在庫管理はこちらで調整しておきますから。貴方は何も心配しなくて良い」

「…………ぅん」


 風もないのに蝋燭の火が消えた。

 

 月のない夜だった。

 

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