382話 氷之大陸の件
養父上を迎えるために、場所を執務室から応接間へ移した。
潟が竜宮へ行っている間に、添さんが応接間を調えてくれた。低い卓に花まで飾ってあった。
庭に咲いていた赤い小蛙花だ。寒さで覆われた王館に、暖かみを演出しようと努力してくれたのだろう。
「なるほど」
養父上は僕の求めに応じて、すぐに来てくれた。潟が手際よく茶器を並べるのを待って、養父上に切り出した。
ベルさまが理力過多で危険な状態であること。
今は土理王さまが抑えつつ、木精に有益な分だけ吸収してもらっていること。
小康状態ではあるけれど、このままでは魄が持たなくなること。
養父上はまだ湯気の立つ茶器を両手で持っている。暖を取っているようだ。持参してきた毛皮を羽織っているせいで、白い毛玉から腕が生えているように見える。
「御上の本体を減らしてしまおうとは……我が養子ながら恐ろしいことを考えたものである」
「木理王さまも慌てさせてしまいました」
「うむ。我輩でもそんな物騒なことは思い付かないのだ。漣はうちの養子にどういう教育をしていたのだ」
養父上は冗談を言いながら、床に届いていない足をバタバタさせている。比較的リラックスしているように見えるけど、その顔は真剣だった。
「……御上は『本体はあってないようなもの』と常々仰せであったのだ」
「僕もそれは聞きました。だから何かの現象が本体なのだと思っています。そこから絞れませんか?」
雨、雪、雷、霙……雨伯の一族だけでも多数の現象がある。でも限界はあるはずだ。
「水精台帳には歴代理王のことは書かれていません。でも水の現象をひとつひとつ確認していけば、消去法で御上の本体を割り出せないかと思いまして」
「……ほーん」
養父上は、同意なのかどうなのか分からない声をあげた。
「それは無謀というものであるな。一族総出でかかっても出来ないのだ」
「どうしてですか?」
養父上はソファの上で身を乗り出した。ギリギリ爪先が床についている。
「例えば、一口に雨と言っても我輩だけではない。霖もいる。波と言っても大波も小波もある。ひとつの現象にひとりの精霊とは限らないのだ」
駄目か。
現実的ではない理由を示されて、自然と肩がガックリと落ちた。
両股に肘をついて、両手を前で組んだ。良い案だと思ったのだけど、これで振り出しだ。
「悪い案ではないのだ。領域がはっきりしているもの……それこそ雫のように泉ならば、本体が分かったかもしれないのだ」
養父上がピンと腕を伸ばして僕の頭を撫でた。椅子から落ちそうだ。
「しかし、御上の本体が現象系であってもなくても……本体に手を加えるのはかなり難しいのだ」
僕が顔をあげたので、養父上は僕の頭から手を離した。すっかり冷めてしまった茶器に手で蓋をして、再び湯気を出していた。
「御上は氷之大陸出身である。本体が氷之大陸にあったら、ちょっと厄介なのだ」
「場所が分かっている分、助けやすいのではないですか?」
本体の場所が分かっているなら、対処もしやすい。現象よりも減らしやすいと思う。
「氷之大陸という場所が問題なのだ。あの場所は玄武伯の自治区である。太子とはいえ易々と入れないのだ」
玄武伯。ベルさまのお父上。僕の実父と同じ始祖の精霊のひとりだ。
玄武伯は非王の誓いを立て、その代わりに初代理王と同じ不死の権利を得たという。その支配領域には自治が認められていて、理王でさえも原則、不干渉だ……と漣先生に習った。
反対に、玄武伯も政に干渉することを避けている。一度も会うことなく在位期間を終える理王も少なくないそうだ。
失礼ながら、先代水理王さまは会ったことがないと思う。
「漣先生は会ったことがあるって……」
確か、そう言っていた。
「漣は大海であったゆえ、領域が隣接していたのだ。それでたまたま会う機会があったと聞いている」
「養父上は会ったことがありますか?」
養父上は世界に雨をもたらすために飛び回っている。知らないところなど無さそうだ。でも養父上は予想外に首を振った。
「氷之大陸に雨は必要ないのだ」
雨が必要ないとはどういう場所なのだろう。雨がなければ、まず木精が困る。その内に土も乾いてヒビがはいる。最終的には川も沼も干上がってしまう。
自然界の根本的な理を無視しているようだ。ベルさまは随分変わった場所で育ったみたいだ。
「玄武伯に御上の状態をお伝えするべきでしょうか」
自分の子の見舞いなら来るかもしれない。玄武伯本人が来なくても、僕の立太子の儀に澗さんが来てくれたように、名代が立てられるかもしれない。
そうすれば、ベルさまの本体が何なのか尋ねられる。
「伝える必要はない……と思うのだ。玄武伯は御上が太子になったときに、親子の縁を切ると宣言したそうだ」
「え……」
親子の縁を切る……いくら理王に就いたからってそんなことまでする必要があるのか?
「我輩が思うに御上が憎くてそうした訳ではないのだ。氷之大陸と王館との繋がりを必要以上に深くしないためなのだ」
「だからって……」
「玄武伯は御上が太子に……ひいては理王に就くことを最後まで反対していたそうだ。王太子選考会は条件に合致してしまったので、参加せざるを得なかったそうだが、選ばれることは想定していなかったのだろうな」
僕には信じられないことだった。
母上がいて、父上が王館の下にいて、養父上までいる。親が二人以上いるなんて、僕はなんて贅沢な恵まれ方をしているのだろう。
「我輩なら縁を切るなんてことしないのだ」
僕だけでなく、雨伯にも受け入れ難かったらしい。身内が大好きで大事にする雨伯のことだ。雨伯だけでなく、雨伯一族全員が家族を大切にしている。縁を切るなんて思い付かないだろう。
そう考えると、玄武伯はかなり厳格な精霊のようだ。澗さんに会ったときに、厳しいとは思わなかったけど、馴れ合うことは出来ないという意思の固さは印象的だった。
今の状況で、玄武伯にしても澗さんにしても、話を聞いてもらえるかどうかすら微妙だ。
結局、ベルさまの身内から本体を聞き出すという作戦は実行前に失敗した。
「御上の本体が分からない以上、本体を減らすのは諦めた方が良いでしょうか」
「懸命な判断なのだ。本体を調べている時間で、他に理力を減らす方法を考えた方が良いのだ」
僕がベルさまの本体を減らすことを諦めると、養父上はほっとしているように見えた。かなり無謀というか……危ない計画だったらしい。




