366話 俛の最期
「父上、免が泰山の中腹へ向かいます!」
「免の動きを止めるのだ!」
義兄や義姉の動きが忙しくなった。大きな窓に免と思われる姿が映っている。向かっているのが中腹ならば、水の星へは行かないだろう。入り口は頂上、もしくは頂上付近のはずだ。
皆が大きな窓の前に集まってきた。ひとりが不自然にはみ出した取っ手を引くと、グンッと後ろに引っ張られた。竜宮城がものすごい速さで動きだして、慣性がはたらいたらしい。
竜宮城が動いているということは隼さんは無事のようだ。隼さんが入っていた黒い人型は、うんともすんとも言わなくなっていた。
すでに霖の義兄上が黒い人型を解体していた。頭の部分から小さい欠片を取り出して、窓の端の方に押し込んでいた。
「だめです。追い付けません」
「それでも追うのだ!」
小さくなっていく免の姿を追って、竜宮城が泰山へ近づく。泰山は立入禁止。……ということで皆、一様に席に着いた。使用人さんたちは段差を利用して、各々腰かけている。
僕も椅子を勧められたけど、それを断って俛の前に座った。床の冷たさが伝わってくる。
俛の目をじっと見て、中断されてしまった話を促した。
「我等は皆、人間だった。右手の挽と左手の搀兄妹、目の睌、心臓の悗、口の䜛……そして左脚の我が兄」
僕の知らない名前がいくつかあった。俛も全員列挙したわけではなさそうなので、他にもいそうだ。
それにしても挽と搀といい、左脚と俛といい、それぞれ兄弟姉妹だったとは……。
五山解放で散った、と冷静に説明するから驚いた。逸と暮さんもそうだし、兄弟姉妹の率が高いのかもしれない。
「免だって人間だったんだろう?」
「左様。あの方は理不尽な理に苦しむ我等を救ってくださったのだ」
一瞬、俛の目が大きな窓に向いた。竜宮城は免を追って、着実に泰山へ近づいている。
「挽と搀は、病と老いに苦しむ者を楽にしてやりたいとの一心から罪を犯し、磔にされた」
窓から目を離さないまま、俛はポツポツと話を続ける。
「睌は籍がないことを理由に、学舎にも仕事にも行けず、誰にも気付かれずに飢えた」
籍とは何だろう。学ぶことも仕事も出来ないとなると……人間が必ず持っている何かの能力だろうか。
「我等兄弟は届け出をせずに、親の敵を討った罪により死罪となり、生きたまま埋められた」
どうして親の敵を討つのに届け出が必要なのか。自分たちの立場に置き換えて考えてみた。
もし、母上が誰かに討たれたら………………。
駄目だ。母上が誰かに討たれる様子を想像できなかった。返り討ちにしてそうだ。
頭を切り替えて、美蛇に殺されそうになったことを思い出す。あのとき僕がもっと強くて、美蛇の陰謀に気づいたとしたら……。
勝手に美蛇を討ったとしたら、罪に問われるのだろうか?
美蛇が華龍河を乗っ取ろうとしていた事実を証明できれば、ベルさまは僕を罰しないはずだ。
「敵だと証明できなかったのか?」
僕の常識が人間と異なるかもしれないけど、自分の価値観で尋ねてみる。
「証明するまでもなく明らかだった。だが、奴は……奴の一族は金の力で全てを揉み消した!」
俛が感情を顕にした。両手が縛られていなければ床を叩いていたかもしれない。
「それで免がどうやってお前たちを助けたんだ?」
竜宮城がガクンッと揺れた。乱気流に遭遇したような違和感だ。
「父上! 免が気流を操作しています」
「泰山に衝突の可能性三十%……回避行動を推奨します」
「防御は我輩がするのだ。カズはまだ戻らんのか?」
今、隼さんの声が聞こえた気がする。振り向きたくなるのをグッと堪えた。無事なら良かった。
「免さまは無念に散った我等の魂にご自身のお体の一部を与えて、動けるようにしてくださったのだ。それだけでない。余分な魂を用い、我等に武器や戦力を与えてくださった」
なるほど……そういう仕組みだったのか。
搀が命令違反で免に始末されたとき、与えた魂を以て償えと言っていたのを思い出した。
「免さまのお陰で、我等兄弟は無念を晴らした。免さまに救われなければ、今もまだ無念の魂が世をさ迷っていただろう」
俛の顔は誇らしげだった。
「莬や欃は?」
莬たちは配下の中でも格下だと、挽が言っていた。
「欃や莬、鮸はこの世界で免さまの配下になった者。故に本体は免さまのお体ではない」
やはりそうか。俛の反応を見るに、どうやら挽と同じ認識でいいらしい。
「戻ったぞ!」
「「「兄上!」」」
「「「雷伯!」」」
豪快な声と共に雷伯が帰って来た。
兄弟姉妹も使用人さんたちも、雰囲気が変わった。
「カズ、怪我はないか?」
「あぁ、かすり傷だ程度だ。心配するな、父上」
やっぱり雨伯は父親だ。状況を確認する前に雷伯の無事を確かめた。小さな手で雷伯の魄をペタペタと触っている。
「それより、外の乱気流はえげつないな。水じゃねぇ、ほとんど魂の流れだ。泰山に引っ張られてるぞ」
雷伯の話によると、王館の方角から魂が泰山に吸い寄せられているらしい。王館の上空には免の城、奥都城がある。そこに無数の人間の魂が保管されていた。
そこから免が魂を吸い寄せているのか?
「ところでカズ、何を持っているのだ?」
一通りの報告を聞いたあと、養父上が雷伯が手にぶら下げているものを指差した。
「挽が消えたあとに、足が落ちてきたんで拾ってきた。誰か、落としたか?」
聞き方がすごい。皆、首を横に振った。
雷伯が両足を……というよりも下半身を無造作に掲げた。
「義兄上、それ、僕が切り落としたヤツです」
雷伯に向かって手を上げた。灰色の両足は免との関係性がすぐに分かる。
「雫も来てたのか! 何だ、そいつは?」
養父上と尋ねかたが同じで、親子だなぁと思ってしまった。
雷伯が足を僕に渡そうとすると、細かい粒子になって下半身ごと消えてしまった。
「あぁ、免さまがお呼びだ。お体お返し致します」
少し遅れて俛の上半身も輪郭がぼやけてきた。
「水太子。敵である我と対等に話をしてもらったこと、感謝する」
「そうか」
「免さま、大願……いよ……成就され……」
俛が消えた。縛り上げていた縄だけを残して。最期まで礼を保っていた。
大きな窓を見る。辺りは全て灰色の雲で覆われているように見えた。でも雲ではない。
志半ばで倒れた濁った魂の群れだ。その中心に免がいる。
「雲泥子! 復活の時です! 私の元へ戻ってきなさい!」
この距離では免の声は聞こえるはずはない。でも悦に入った免の声がハッキリと耳に届いた。




