34話 黒幕登場
『ははうえー。その子だぁれ?』
『あなたたちの弟ですよ』
『弟!?』
『僕たちもお兄ちゃんになるの?』
『そうですよ。抱いてみますか?』
一人の女性が生まれたばかりの子を抱いている。そこに群がるたくさんの子供たち。
『いいの?』
『ずるい! 私もー!』
『僕が先だよ!』
『ははうえ。この子、名前は何て言うの?』
『名を持って生まれなかったので、涙と名付けました』
ひとりは母の膝に手を置き、ひとりは赤ん坊の髪に触れ、またひとりは遠巻きに見て、さまざまな反応を見せる。
『るい?』
『ええ、そうですよ。涙は理力が弱いので、皆よりも地位が低い季位になります』
『季位? 叔位じゃないのー?』
更に子供が集まってきた。その中でも年長者は少し離れたところに立っている。
『そうです。そして、叔位とは季位を守る者。皆、弱くて小さな涙を守って、仲良くできますね?』
『はーい!』
◇◆◇◆
「母上は僕を『涙』と名付けた」
母上はゆっくりはっきり口角を上げた。
いや、母上ではない。母上はこんな下品な笑い方はしない。
「誰だ」
緊張と恐怖のせいで自分の口調が強くなってきた。勿論、怒りもある。
「ふふふふ、本当に悪い子ですね」
理力の流れを感じ取った。恐らく何かを打ち込んでくる。攻撃に備えて体勢を低くして、更に足を少しだけ開いた。これでどの方向へもすぐに走り出せる。
「『波弾泡』」
見たことのない理術だ。
一見すると水球のようだ。でも違う。たくさんの泡だ。泡に電飾が映ってキラキラしている。まるで夜空の星の中に母上が立っているかのようだ。
その美しさが今は許せない。
母上の姿をした奴が人差し指を上に向けた。その指を振り下ろし、まっすぐ僕に向けた次の瞬間、無数の泡が高速で飛んできた。
「っ!」
ほとんど無意識に左へ跳んだ。振動を感じて右を見ると、さっきまで僕が立っていたところで泡が爆発していた。咄嗟に手放した箒は粉々になっていた。
「余所見とは余裕ですね」
次の泡が飛んできて、目の前で弾けた。反射的に手を顔の前でクロスする。
「ぅわ!」
この泡、弾けるだけじゃない。その後の水蒸気が厄介だ。辺りに靄が満ちて視界が悪くなる。
視界が悪くなるにつれ、先生の言葉が蘇ってくる。
ーー理力を辿れば、敵の……
「今度は考え事ですか?」
ハッとしたときには遅かった。靄の中からいきなり敵が現れた。反応が遅れてしまい、喉元を押さえ付けられる。身動きがとれないまま、思い切り腹部を蹴られた。
身体が床の上を滑り、玉座下の段差まで飛ばされる。
「げっ……はっ、ごほっ、はっ」
段差に背中を思い切りぶつけた。息が苦しい。蹴られたお腹も、ぶつけた背中も痛い。けどそれより何より呼吸が難しい。
「あらあら、可哀想に」
可哀想なんてちっとも思っていない声だ。
たくさんの泡を引き連れたまま、ゆっくりと僕に近づいてくる。起き上がろうしても腹部に力が入らない。
「あなたでも良いのですよ?」
敵が起き上がれない僕の前にしゃがみこんだ。口調だけは優しげだ。碧色の髪が床を這っている。
「美蛇の昇格に必要なのは、純水一滴分の理力。『一滴の雫』でも充分足りるのですよ」
母上の声で、母上の姿で、喋るな。
「雫」
淼さまから貰った大事な名を……勝手に呼ぶな!
悔しさと苦しさをこらえて詠唱を試みる。
「水の塵……命じる」
「おやおや、氷石」
声が出ない。氷石を詰められた。喉に氷が張り付いている。冷たいのを通り越して焼けるように痛い。
「つくづく悪い子ですねぇ。母に逆らうなんて。そんな子に育てた覚えはないのですが……」
お前に育てられていない!
そう叫びたいのに、ただでさえ苦しい息がより苦しくなってしまった。
「水の塵……といえば氷風雪乱射。上級理術まで扱うのですか」
青白い手を僕の方に伸ばしてきた。頭に手を乗せられる。髪を掴まれた。
「放っておくと、後々面倒になりそうなのですね。当初の予定通りあなたの理力を奪うことにしましょう」
頭の上の手が気持ち悪い。効果はないと思うけど、思い切り睨みつけた。それを鼻で笑われる。
「心配無用ですよ、雫。痛みも苦しみもありませんし、御上にはうまく伝えて上げますからね。雫は兄と姉の代わりに、自分を使ってくれるように嘆願して参りました、と」
随分とご都合主義だ。そんな考え良く思いつくものだ。その頭の回転を別のところに使えば良いのに。
「さぁ、寄越しなさい」
優しげな声でゆっくりと頭を撫でられる。途端に、吐き気と怠さが襲ってきた。
でも、それは一瞬だけだった。
敵が急に僕から飛び退いた。何事かと目で追うと、ゴロゴロと床を転がり、のたうち回っている。その内、五人の兄姉が閉じ込められている氷柱牢獄にぶつかった。
「ぉおうお、ぅぐ、き、さま、なに、をぉ」
母上の顔で苦悶の表情を浮かべている。そのせいで母上ではないと分かっていても、少し胸が痛んだ。
「『昇華』」
上の方から声が聞こえて、氷柱牢獄がなくなった。同時に僕の喉の詰まりも消えて、息が楽にできるようになった。喉はじんじんするし、打った背中と蹴られたお腹もまだ痛む。けど、肘を支えにして起き上がることが出来た。
「無様だね」
思ったよりも近くで声がした。反射的に飛び上がる。
「あ、淼さ……御上」
淼さまが玉座の隣に立っていた。無様と言いながら、僕ではなく、のたうち回る敵を見下ろしている。
「お、ぉお御上! その者はわたくしの謁見を邪魔いたしました! 何卒お裁きをぉぉ」
氷柱牢獄がなくなったのに、中の五人は静かなままだ。……と思ったら気絶している。近くであんなに大声で叫ばれても起きる様子はない。
「無様だな。理違反はお前の方だろう? 叔位の分際で、私の謁見に臨むとは良い度胸だ」
淼さまがゆっくりと玉座に腰かけた。少し遅れて銀髪がサラサラと揺れる。
「わっ……私めは仲位でございます! 御上に謁見する資格がございます!」
「真に高位精霊なら、先ほど雫から奪った余の一滴に耐えられるはずだが?」
「!!」
僕の呼吸も落ち着いてきた。立ち上がって淼さまの前に立つ。母上の姿の奴は、離れたところでペッと唾を吐き出した。母上の姿でそんな野蛮なことをするなんて。
「はっ……ふ、ふぅ危ない。は、御上の理力に飲み込まれるところでした。教えてくださるとは流石にお優しいですね。御上」
話し方が変わった。開き直って、本性を表したのだろうか。足元から渦が起こって母の姿を水柱が飲み込んだ。
「蛇が出るか、鬼が出るか。見物だね」
淼さまがそっと呟く。すぐに水柱は消えた。中から現れたのは母上と同じ深い碧の髪。青みがかった灰色の瞳。母上より背の高い姿。
「……兄上」
僕が見間違えるはずがない人物。
いつも僕に優しかった美蛇の兄。
「華龍の姿を取るか。華龍を飲んだのか?」
淼さまの静かな声が響く。怒りを孕んでいるのがよく分かる。兄はその質問を無視し、手で大きな円を描くと、宙に水鏡を作った。そこに映るのは……
「母上!」
仰向けに横たわる母、それを取り囲む三人の精霊。
兄が勝ち誇ったように笑みを深くした。




