349話 戦闘準備
黒い人型は一体だけではなかった。赤い目を点滅させながら、新たに二体が侵入してきた。
「しつこいな」
ベルさまが指で机を叩いた。コンコンッとドアをノックするように、小さな動きで二回ほど鳴らした。
机上の水晶刀はそんなに小さな刺激では動かない。にも関わらず、刃面から放たれる光が揺れた。
「わっ、二体同時に倒したわ!」
添さんの歓声が上がった。小さな両手でパチパチと拍手を送っている。
添さんは純粋にベルさまのことを褒め称える。僕に対する態度とは大違いだ。決して僕が尊敬されたいわけではない。誰が見ても理王であるベルさまのことを、心底誇りに思っている。ベルさまが称えられると僕も嬉しい。
ここで歪んだ口許を見せるわけにはいかない。添さんに見られたら、だらしないと言われそうだ。顎を撫でるフリをして、口を軽く押さえて誤魔化した。
「倒木がこっちに入っていたので、木理には悪いが使わせてもらった。埋葬したかったかもしれないが……」
ベルさまの表情が少し暗い。
水圧で枯れ木を吹き飛ばし、黒い人型を壁に押し付けたらしい。枯れ木とはいえ、長さも太さもある。それに水で濡れた木は重い。
ひと溜まりもなかっただろう。黒い人型はピクリとも動かなかった。
「大丈夫です、御上。木精はすぐに復活いたします。どのみち魂の入っていない脱け殻です。気に病む必要はありません」
「そうよ。それにどうせ埋めるなら、土の王館に埋めてあげた方が良い肥料になるわよ」
潟夫婦が勝手に話を明るくしていく。ベルさまは、聞いているのかいないのか分からない顔をしていた。でも少しだけ気持ちが緩んだのを感じた。
ベルさまが水晶刀を持ち上げた。お陰でよく見える。
黒い人型は壁に押し付けられて、動かなくなっている。細い頭の赤い目は輝きを失っていた。
「まぁ、木の王館への弁明はあとで私が参ります。それはそれとして……標的を水の王館に変えてきましたね。続々とやって来るように見えますが」
最初の一体がベルさまに倒されてから、それほど時間は経っていない。それなのにこの短時間で、中庭が埋まりそうだ。
黒い水の王館の壁に黒い人型……非常に見辛い。
「兵馬俑は敗北したのでしょうか」
「いや、そうじゃないと思う。破壊されても自分で修復するみたいだから」
垚さんみたいに指揮する精霊がいなくても、三体なら隊を構成する必要もない。兵馬俑は謁見の間を守れという命令が解除されるまで、戦い続けるはず。
「兵馬俑が守っているのは謁見の間だ。だから、こいつらが謁見の間から離れたんだとしたら、追いかけることはしない」
兵馬俑がいる限り、木の王館を攻撃しても無駄だと、気付いたのかもしれない。
それで標的を木の王館から水の王館へ変えたのだろう。舐められたものだと一瞬思ったけど、実際、水の王館は結界を越えられている。こっちの方が狙いやすいと踏んだのかもしれない。
もしくは仲間が倒されて、怒り狂っているか。その割には倒れたり、挟まったりしている仲間のところに寄る素振りすらない。頭の取れた一体はまだ転がっている。転がるどころか……まるでそこに仲間なんていないかのように、平気で踏みつけている。
先ほど壁に叩きつけられた二体もそのままだ。仲間意識は低いようだ。
時々、草を刈るような仕草をしながら、水の王館へ前進してくる。その動きで隣の人型を突き飛ばしても気にしない。
「指揮を取る者がいないと、結局こうなるのでしょうね」
潟が呆れたように呟いた。
ベルさまが一体、二体ずつ倒すよりも同士討ちの方が早いかもしれない。
「潟、付いてこい」
「はっ。……どちらへ」
良い返事のあと、潟は立て掛けていた大剣を大股で取りに行った。
「あれを倒しにいく」
そう告げたらすごく嬉しそうな顔をされた。そんなに戦いたいのか。それとも留守番と言われなかったのが嬉しかっただけか。
「ベルさま。今度こそ行ってきます」
ベルさまは返事をする代わりに水晶刀をゆっくり下ろした。流石に今度は、まだ行く必要はないと止められることはなかった。
でも不満そうではあった。
「こちらからも援護する」
「気を付けてね、潟。いざとなったら太子を盾にするのよ!」
添さんがわざと僕に聞こえるように言った。本気なら僕に聞こえないように言う。これは僕と潟、二人への声援だ。
「ありがと、添さん」
「なんでよ!」
添さんは耳まで真っ赤だ。照れ隠しのつもりだろうけど、隠せていない。
「雫さま、参りましょう」
「あぁ」
潟とそれぞれ水流に乗る。打ち合わせをしなかったけど、二人とも水の王館の端に出た。ギリギリ館内だ。一歩踏み出せば外に出られる。
ここで防衛する気はない。正直、ここまで入って来られたら相当まずい。
僕が外へ進み出ると、潟も黙って付いてきた。木の王館へ向かえば途中であの集団と鉢合わせするはずだ。
外で木の王館に繋がるのはこの道だけ。
建物ひとつ分を過ぎたところで最初の集団を見つけた。
まだ距離はあるけど向こうも僕たちに気づいている。
「雫さま、大暴れと参りますか」
「建物や池はなるべく壊さないように」
「心得ました」
本当に心得たのか?
潟の目はすでに獲物を捕らえている。理性を失っていないか心配だ。
「勢いで付いてこいって言っちゃったけど、帰っても良いよ」
「そんな殺生な!」
殺生はこれからするんだけど……まぁ、良いか。冗談に反応する程度の余裕は残っていた。
『雫、気を付けろ。最初の一団は三十体以上だ』
「分かりました! 潟、三十体以上だって」
「少ないですね」
『その後……ごめん、数えるの面倒だ。そっちで頑張って』
ベルさまな投げやりになるほどの数が迫っているということか。
「頑張ります! ……行くぞ、潟!」
「はっ」
右から潟が、左から僕が、黒い人型に突っ込む。
案の定草を刈るような動きで、僕に切りかかってきた。軽く飛べばかわせる程度。問題ない。飛んだついでに肩を踏み台にした。
更に高く飛び上がる。
その一瞬で黒い一団が確認できてしまった。地面を覆いつくしてはいるが、それほど広い場所ではない。
潟も善戦している。大剣を思うまま振り回し、すでに何体も地面と仲良くなっている。
僕も潟に負けてはいられない。地に降りながら、その勢いを利用して一体を真っ二つに裂いた。




