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水精演義  作者: 亞今井と模糊
十章 無理往生編
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349話 戦闘準備

 黒い人型は一体だけではなかった。赤い目を点滅させながら、新たに二体が侵入してきた。

 

「しつこいな」

 

 ベルさまが指で机を叩いた。コンコンッとドアをノックするように、小さな動きで二回ほど鳴らした。

 

 机上の水晶刀はそんなに小さな刺激では動かない。にも関わらず、刃面から放たれる光が揺れた。

 

「わっ、二体同時に倒したわ!」

 

 添さんの歓声が上がった。小さな両手でパチパチと拍手を送っている。

 

 添さんは純粋にベルさまのことを褒め称える。僕に対する態度とは大違いだ。決して僕が尊敬されたいわけではない。誰が見ても理王であるベルさまのことを、心底誇りに思っている。ベルさまが称えられると僕も嬉しい。

 

 ここで歪んだ口許を見せるわけにはいかない。添さんに見られたら、だらしないと言われそうだ。顎を撫でるフリをして、口を軽く押さえて誤魔化した。

 

「倒木がこっちに入っていたので、木理には悪いが使わせてもらった。埋葬したかったかもしれないが……」


 ベルさまの表情が少し暗い。

 

 水圧で枯れ木を吹き飛ばし、黒い人型を壁に押し付けたらしい。枯れ木とはいえ、長さも太さもある。それに水で濡れた木は重い。

 

 ひと溜まりもなかっただろう。黒い人型はピクリとも動かなかった。

 

「大丈夫です、御上。木精はすぐに復活いたします。どのみち魂の入っていない脱け殻です。気に病む必要はありません」

「そうよ。それにどうせ埋めるなら、土の王館に埋めてあげた方が良い肥料になるわよ」

 

 潟夫婦が勝手に話を明るくしていく。ベルさまは、聞いているのかいないのか分からない顔をしていた。でも少しだけ気持ちが緩んだのを感じた。


 ベルさまが水晶刀を持ち上げた。お陰でよく見える。

 

 黒い人型は壁に押し付けられて、動かなくなっている。細い頭の赤い目は輝きを失っていた。


「まぁ、木の王館への弁明はあとで私が参ります。それはそれとして……標的を水の王館に変えてきましたね。続々とやって来るように見えますが」

 

 最初の一体がベルさまに倒されてから、それほど時間は経っていない。それなのにこの短時間で、中庭が埋まりそうだ。


 黒い水の王館の壁に黒い人型……非常に見辛い。

 

兵馬俑ウォリアーズは敗北したのでしょうか」

「いや、そうじゃないと思う。破壊されても自分で修復するみたいだから」

 

 垚さんみたいに指揮する精霊ひとがいなくても、三体なら隊を構成する必要もない。兵馬俑ウォリアーズは謁見の間を守れという命令が解除されるまで、戦い続けるはず。

 

兵馬俑ウォリアーズが守っているのは謁見の間だ。だから、こいつらが謁見の間から離れたんだとしたら、追いかけることはしない」

 

 兵馬俑ウォリアーズがいる限り、木の王館を攻撃しても無駄だと、気付いたのかもしれない。

 

 それで標的を木の王館から水の王館へ変えたのだろう。舐められたものだと一瞬思ったけど、実際、水の王館は結界を越えられている。こっちの方が狙いやすいと踏んだのかもしれない。

 

 もしくは仲間が倒されて、怒り狂っているか。その割には倒れたり、挟まったりしている仲間のところに寄る素振りすらない。頭の取れた一体はまだ転がっている。転がるどころか……まるでそこに仲間なんていないかのように、平気で踏みつけている。

 

 先ほど壁に叩きつけられた二体もそのままだ。仲間意識は低いようだ。

 

 時々、草を刈るような仕草をしながら、水の王館へ前進してくる。その動きで隣の人型を突き飛ばしても気にしない。

 

「指揮を取る者がいないと、結局こうなるのでしょうね」

 

 潟が呆れたように呟いた。

 

 ベルさまが一体、二体ずつ倒すよりも同士討ちの方が早いかもしれない。

 

「潟、付いてこい」

「はっ。……どちらへ」

 

 良い返事のあと、潟は立て掛けていた大剣を大股で取りに行った。


「あれを倒しにいく」

 

 そう告げたらすごく嬉しそうな顔をされた。そんなに戦いたいのか。それとも留守番と言われなかったのが嬉しかっただけか。

 

「ベルさま。今度こそ行ってきます」

 

 ベルさまは返事をする代わりに水晶刀をゆっくり下ろした。流石に今度は、まだ行く必要はないと止められることはなかった。

 

 でも不満そうではあった。

 

「こちらからも援護する」

「気を付けてね、潟。いざとなったら太子を盾にするのよ!」

 

 添さんがわざと僕に聞こえるように言った。本気なら僕に聞こえないように言う。これは僕と潟、二人への声援だ。

 

「ありがと、添さん」

「なんでよ!」

 

 添さんは耳まで真っ赤だ。照れ隠しのつもりだろうけど、隠せていない。

 

「雫さま、参りましょう」

「あぁ」

 

 潟とそれぞれ水流に乗る。打ち合わせをしなかったけど、二人とも水の王館の端に出た。ギリギリ館内だ。一歩踏み出せば外に出られる。

 

 ここで防衛する気はない。正直、ここまで入って来られたら相当まずい。

 

 僕が外へ進み出ると、潟も黙って付いてきた。木の王館へ向かえば途中であの集団と鉢合わせするはずだ。

 

 外で木の王館に繋がるのはこの道だけ。

 

 建物ひとつ分を過ぎたところで最初の集団を見つけた。

 

 まだ距離はあるけど向こうも僕たちに気づいている。

 

「雫さま、大暴れと参りますか」

「建物や池はなるべく壊さないように」

「心得ました」

 

 本当に心得たのか?

 

 潟の目はすでに獲物を捕らえている。理性を失っていないか心配だ。

 

「勢いで付いてこいって言っちゃったけど、帰っても良いよ」

「そんな殺生な!」

 

 殺生はこれからするんだけど……まぁ、良いか。冗談に反応する程度の余裕は残っていた。


『雫、気を付けろ。最初の一団は三十体以上だ』

「分かりました! 潟、三十体以上だって」

「少ないですね」

『その後……ごめん、数えるの面倒だ。そっちで頑張って』

 

 ベルさまな投げやりになるほどの数が迫っているということか。

 

「頑張ります! ……行くぞ、潟!」

「はっ」

 

 右から潟が、左から僕が、黒い人型に突っ込む。

 

 案の定草を刈るような動きで、僕に切りかかってきた。軽く飛べばかわせる程度。問題ない。飛んだついでに肩を踏み台にした。

 

 更に高く飛び上がる。

 

 その一瞬で黒い一団が確認できてしまった。地面を覆いつくしてはいるが、それほど広い場所ではない。

 

 潟も善戦している。大剣を思うまま振り回し、すでに何体も地面と仲良くなっている。

 

 僕も潟に負けてはいられない。地に降りながら、その勢いを利用して一体を真っ二つに裂いた。


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