343話 水先人と火付役
「漕さんって……颷さんと魂繋して、た……の?」
「そうだ。とっくに知ってるのかと……知らねぇのか」
「初耳だよ」
信じられない。あんなに仲が悪いのに。
そう思ってから以前漕さんが言っていたことを思い出した。
別に仲が悪いわけではなくて、颷さんが一方的に漕さんを嫌っているだけだ、と語っていた。
ーーうちのこと、許せんのやろ。
そう言った漕さんの表情は、今の漕さんの顔と同じだった。いつものヘラヘラした感じではない。全てを諦めたような顔だけど、でもその表情の中には一筋の希望が見え隠れしている。希望というよりは期待に近いかもしれない。
「黙っててごめんな、坊っちゃん。言うタイミングがなかったと言うか、仲良ぅない夫婦姿を知られたないと言うか、な?」
な? と言われても……。可愛らしく小首を傾げても全く可愛くない。
「御役同士の魂繋って有りなんだ」
「何で無しだと思ったんだよ?」
焱さんに突っ込まれた。確かにそれは勝手な僕の思い込みだ。御役が夫婦でも全く問題ない。
理王と太子が関係を持っても良くて、御役はダメだというのは、それこそ理にそぐわない。
「こんな奴……こんな奴と魂を結んだのが間違いだったのよ」
漕さんは颷さんの悪態を無視した。慣れていると言った感じだ。チラッと後ろに視線を送った程度だった。
「貴方が弱いせいでっ……弱いせいであの子はっ!」
颷さんの声がひっくり返っている。言いたいことが有りすぎて、言葉がまとまらず、更に呼吸のタイミングも合っていない。
「颷、分かってるて。うちが悪かった。もう止め」
漕さんは振り向いて、水の箱にそっと手を当てた。僕が解除しなければ中には入れない。颷さんは箱の中から漕さんを睨み付けた。
「何が分かるって言うの!」
「あの子はうちにとっても大事な子や! 悲しいのはうちも一緒や」
漕さんは今までそんな素振りを一切見せなかった。配偶者がいることも、ましてや子がいることも知らなかったのだから、そんな悲しみを知る由もない。
「貴方がもっと強ければあの子は水精に生まれてた。そうしたら……そうしたら、もっと……長生き、出来た……」
「そうやな」
「せめて、混合精で……。虐げられても私が守ってあげれば良いと……思ったのに。何で火精なの……」
やはり、颷さんは元から水精が嫌いだったわけではないのか。長生きできるから、水精に生みたかったなどという言葉……普段の颷さんからは想像できない。
夫婦の会話にしばらく場を飲まれていると、焱さんが動いた。
また、火理王さまからの通信が入っているらしい。
「結界を破ろうとしていた一団が撤退したらしい」
「理力を手に入れたから?」
「かもな。火精全員潰す気はないらしいが……」
焱さんがまた黙った。火理王さまも連絡がマメだ。僕もベルさまに通信を入れるべきか。
「雫、漕。消火に協力してくれたんだってな。火理王が感謝しているそうだ」
「いや、僕は水球を作っただけで、ほとんど漕さんが動いてくれたんだよ。それで火は収まったの?」
漕さんは珍しく文句も言わずに積極的に動いてくれた。
「あぁ、俺の佐は土の理術が使えるんでな。土地にダメージを与えない程度に土を被せて消火した。迷惑かけたな」
それから焱さんは少し間を置いて、僕に向き直った。
「雫、迷惑ついでと言っちゃなんだが、もうひとつ頼みがある。雫というよりは漕だが」
焱さんは僕に向かい合いつつ、チラッと漕さんに視線を送った。
「火理王から追加の指示だ。水の王館で余裕があれば、颷は水先人の監視下に置いても良いと言っている。どうだ?」
火付役を水先人の監視下に。
木乃伊を金字塔の監視下に置いているようなものか。前例があるのだから、特に問題はない。あるとすれば本人の気持ちだ。
「それは構わないよ。漕さんが良ければ」
漕さんが颷さんを庇っている様子を見ると、断らないだろう。幸い水の王館はまだ余裕がある。何かあればベルさまか、潟から連絡が来ているはずだ。
それに……漕さんまで前線に出なればならなくなったら、それこそ水の王館は陥落する。でもベルさまがいて、それはない。
「うちは構わんで。死なれるよりはずっとましや」
「嫌よ! こんな奴に監視されるなんて、死ん……」
「黙れ」
颷さんはキッと目を吊り上げて、漕さんを睨んだ。それを焱さんが低い声で一喝する。
怒鳴ったわけではない。キツい言い方でもない。でも威厳があって、颷さんでさえ黙った。少しだけ焱さんを恐いと思った。それは恐怖というよりも、畏敬の念に近いかもしれない。
焱さんが着実に理王の義へ向かっているのを感じた。
「お前の意見は聞いていない。この期に及んでまだ意見が言える立場だと思っているのか。火理王の命を無視するとは良い度胸だ」
「……」
火理王さまの命という言葉が効いたのか、颷さんはそれ以上何も言わなかった。
「……私は先駆者よ。後追者ではないわ。監視されたとしても、火理王以外、誰の指図も受けない」
「そうか。……頼む、漕」
漕さんが魚の姿に戻った。水の箱の権利を僕から漕さんに譲渡した。これで漕さんが水の箱を解除も出来るし、解除せずにどこかへ連れていくことも可能だ。
漕さんは僕から水の箱を引き継いで、水の王館へ戻っていった。漕さんや僕が良くても、ベルさまに許可を取らなければならない。
「戦闘が開けたら処分が決まるだろう」
漕さんを見送りながら焱さんが言った。やっぱり少し寂しそうだ。
「颷さんはどうなるの?」
「魂や名の没収が妥当だな。だが御役の後任が決まらねぇとな」
この状況ではそう簡単には決まらないだろう。土の王館だって、土師の座を埋めるために、仕方なく垚さんの子が就いたようなものだ。
ドンッ! と空気を伝って振動が走った。土の王館の方からだ。ここからでは見た目には何も変わらないけど、確かに揺れた。
「垚さん……」
「垚は戦闘に出ているのか?」
「いや、分からない。分からないけど、武装した精霊がいっぱい外にいたよ」
「はぁ? そんなことしたら向こうの思う壺だろう」
僕も同感だ。高位精霊を狙うのが分かっているのに、わざわざ出ていくなんて垚さんらしくない。
「そっちはどうだ?」
「水の王館は、まだ目立った被害はないけど……」
結界にバンバン当たりに来ているとベルさまが言っていた。針で小さく開けた穴からわざと侵入させて、捕虜にした話を焱さんに伝えた。
それがすぐに崩れて腐敗してしまったことを伝えると、すごく嫌そうな顔をされた。想像してしまったのだろう。
「あっちも気にはなるが、手伝いには行けねぇ。颷に手を貸した奴らを尋問して、それから怪我人の治療もしてやらねぇと」
それはそうだ。まずは自分の王館を収めないと。他の手伝いに行っている場合ではない。




