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水精演義  作者: 亞今井と模糊
十章 無理往生編
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340話 火付役の裏切り

 逆光で色や顔は分からない。でも空にいるのは間違いなく焱さんだ。

 

 僕が焱さんを見間違うはずがない。矢をつがえていない弓を手にしている。屋根の上に降りたと思ったら、また飛び出していった。死角に入ってしまって、二人とも見えなくなった。

 

「淼さま、危険です。こちらへお入りください」

 

 火精に手を引かれ、岩から場所を移し、建物の陰に隠れた。焱さんの姿が確認できる良い場所だ。

 

 先程飛んできた火球は流れ弾だったらしく、たまたま僕たちのところへ飛んできただけのようだ。それ以降、攻撃されないどころか、多分気づかれていない。


 いや、気づいていないはずはない。

 

 少なくとも焱さんは、火の王館に水精の気配があれば感じ取るはずだ。しかも僕だけではなく、漕さんもいる。僕の水球を操りながら消火の真っ只中だ。

 

「何で颷さんがこんなこと……」

火付役インスティゲーターだけではありません。寝返った者が数十人おります」

「寝返った? 免に?」

 

 それ以外に誰がいるのかと聞かれそうだけど、火精は黙って頷いた。

 

 颷さんが焱さんと対峙する姿を見てもまた信じられない。訓練か何かだと思いたい。

 

「免の理力集めに手を貸しているのです。臨時に召集され、戦いに慣れていない者が狙われています」

 

 臨時召集がこんなところでも裏目に出ている。僕の投獄くらいなら後で笑い話になるけど、これは洒落にならない。

 

 水精嫌いで有名な颷さんだけど、水の王館を攻撃したことなんてない。それがこの期に及んで自分の居所である火の王館を攻撃するなんて、何を考えているのか。

 

「数刻前に火付役が皆を煽動したようです。『免に付けば、失った家族を取り戻せる』と叫んでいたのを聞きました」


 免の目的は『愛する者を取り戻すこと』だ。それを考えれば矛盾はしていない。でも……だからって、そんなことは許されない。

 

 他属性のことだけど怒りがフツフツと沸いてくる。

 

「免に付けば、本当に家族を取り戻せると思っているのか……」

「何でも先日、焱の寝所に忍び込んだ免の配下と、何らかの接触があったらしく……私も詳しくは……」 

 

 まゆみか。

 

 密かに颷さんと接触して、協力を取り付けた、ということか?

 

 その話自体が本当かどうか怪しい。理力集めのため、利用するだけに決まっている。

 

 ひょっとしたら、まゆみは颷さんをそそのかすために王館に送り込まれたのだろうか?


 狙いは焱さんではなく、颷さんだった……? 

 だとしたら宣戦布告どころか、そのずっと前から免に仕組まれていたことになる。あくまで想像だけど、あり得ない話ではない。

 

 舌打ちしそうになって、慌てて口を閉じた。イライラが火精に伝わって怯えさせるだけだ。


「どうして颷さんがそんな話を簡単に信じたのか……分からないな」

 

 問題は颷さんだ。火理王専属の火付役がそんな簡単に堕ちるなんておかしい。


「颷は息子を亡くしております。縋れるものなら何でも縋りたいもの……ではないでしょうか」

「………………そう、なんだ」

 

 知らなかった。

 

 颷さんに子供がいたなんて。それ以前に魂繋していたことすら知らない。

 

 そんな深い悲しみを抱えていたなんて、全然知らなかった。

 

 ……もしかして水精嫌いと何か関係があるのか?

 

「他の者も、自分より若い家族を亡くした者がほとんどです」

「……そうか……流没闘争か」

 

 僕がそう言うと、火精は気まずそうに僕から目を逸らした。敢えてその言葉を使わなかったのは僕への気遣いだろう。


 遠目に火の玉が飛び交っている。更に焱さんの放つ矢が、颷さんの行く手を阻んでいるのが見えた。

 

 焱さんの腕なら、颷さんを直接狙うことは可能だ。しかも今の颷さんは巨大化しているから、的が大きい。それで進路を遮ったり、防御したりするだけで、焱さんから積極的な攻撃はしていない。

 

「ねぇ、焱さんって、どうやって飛んでるの?」

 

 僕は雲を集めて、あらいさんは風を操って飛ぶことができる。でも、僕の記憶には焱さんが自力で空を飛ぶ姿がない。

 

 だからこそ、貴燈ではひょうさんを呼び出して助けてもらっていた。

 

「颷と同じ飛び方をしているのでしょう。自らの熱を放って気流を操っているのかと」 

「……それって火精なら皆が出来るの?」

 

 僕が尋ねると火精はブンブンとすごい勢いで首を振った。

 

「滅相もない。木精の理力を受け継いだ一部の者が長年特訓して使える技です」

「あぁ、なるほど」


 なるほど、とは言ったものの。颷さんも木精の理力を受け継いでいるとは初耳だ。颷さんとはあまり接点もないせいか、詳しく知らないことが多い。


「颷のように本来の姿が鳥の場合は、修得し易いかも知れませんが、一般的には難しいと聞きます。そもそも理術ではないので、技術とセンスが求められます」 


 そして長身の焱さんと大して変わらない大きさの鳥。あそこまで大きい……いや、大きくなれる鳥をひょうさん以外に知らない。

 

「ちょっと行ってくる。颷さんを止めてくる」

 

 焱さんでは出来ないというわけではない。僕が行けば、水精嫌いの颷さんのことだ。僕を襲いに来るに違いない。

 

 僕に向かってきたら、悪いけど捕らえるつもりだ。そのまま焱さんに引き渡そう。

 

「しかし、淼さま……」

 

 遠慮と心配と期待の入り交じった目で眺めてくる。火精に多い橙色の目は自然と暖かみを案じられる。

 

「説得してみる。君は館内に戻って火理王さまの指示に従って」  

「わ、分かりました」

 

 火精を見送って漕さんを呼ぶ。消火を任せてしまったけど、そろそろ水球も尽きるはず。意思疏通をしておきたい。

 

「漕さん?」

 

 漕さんは僕の元へは来なかった。すでに宙を泳ぎ、颷さんへ向かっている。

 

 雲を集めて追いかける。火の王館の乾いた空気のせいで、雲を集めるのに、いつもよりも時間が掛かってしまった。

 

 間に合わない。

 

「漕さ……っ!」

 

 颷さんが漕さんに気づいた。

 

 威嚇しているのだろう。何とも形容しがたい奇声を上げながら漕さんに向き合っている。

 

 漕さんは僕から離れていくのに、姿はどんどん大きくなっていく。まるで遠近法を無視したみたいだ。


 背中に乗せてもらったことがあるけど、それよりもかなり大きくなっているように見える。

 

 漕さんへ向けて颷さんが火球を放った。威力はそれほどないから、警告だろう。

 

 漕さんの透明なからだに当たったようだけど、ジュッと音がして消えてしまった。

 

 漕さんは大きく口を開けて颷さんに近づく。その場から離れようとする颷さんに追い付いて、一口で颷さんを食べてしまった。

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