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水精演義  作者: 亞今井と模糊
二章 水精混沌編
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31話 昇格に向けて

「罰を与えるつもりはない」


 びょうさまから声がかかった。良かった。ほっとして兄上を見ると、少しだけ……ほんの指一本分だけ頭を上げていた。


「雫は高位ではない。故に余の側近でも侍従でもない。ただ、余は雫のお陰で健やかに過ごせている。その点ではいつも雫に感謝している」


 顔が沸騰しそう。身内の前で誉められるとこんなにも恥ずかしいのだろうか。


 それよりさっきからちょっと気になっている。兄上は僕のお客だとびょうさまは言っていた。そのはずなのに、僕はあまり喋っていない。


 ……僕この場に必要かな?


おとうとをそのように言っていただき嬉しく存じます」 


 兄上は顔を伏せたままだったけど、上がった口角がチラリと見えた。


「当人の兄に言うのはいささかおかしくはあるが、そのように雫を守ろうという意思は余にとっても嬉しい。近頃は季位ディルを守るどころか、さげすむ輩が多い。叔位カールは特にな」


 おそらく僕の兄姉を含めた叔位カールの話だ。びょうさまがおもむろに話を切って腰をあげた。り足でこちらに近づいてくる。


 淼さまがどんどん近づいてきた。僕も手をついて頭を下げた。兄上を見習って、もっと早くそうするべきだったかもしれない。兄上はずっと頭を下げたままで腰が痛くなりそうだ。


 気がつけばびょうさまは兄上の目の前まで来ていた。


「ふむ。叔位カールにしておくには惜しい。増えたという理力もよく馴染んでいる」


 淼さまが膝をついて兄上の前に座った。兄上が少し震えたのが分かった。理王を目の前にした叔位カールの、本来あるべき姿だ。


 僕、どうしよう。水理王の側にいすぎて感覚が麻痺している。態度を戒めなければと思ったばかりなのに、全然緊張しない。


「その方にその気があれば、仲位ヴェルに昇格させても良い」


 衣擦れと風を切る音がした。兄上がガバッと頭を上げたみたいだ。でもすぐに元の位置へ戻ってきた。許しもなく失礼だと思ったのだろう。


「構わない。面を上げよ」


 恐る恐る頭をあげる兄上。僕も一緒にそっと頭を上げた。腰が楽になる。


「どうだ?」


 淼さまは穏やかに尋ねる。


「お、恐れ多いことでございます。私など、まだまだ未熟者でして……」

 

 声が震えている。顔は上がっているけど、目は下を向いている。淼さまの顔をまともに見られないみたいだ。


「その謙虚な気持ちを失わないことだ。誰にでも未熟な時はある。だからこそ仲位ヴェルとなり、高位として世のルールを学ぶのだ」


 淼さまは兄上の肩に手を置いた。親しい者に語りかけるように。兄上は口だけ、御上と動かした。感極まるとはきっとこのことだろう。  


「今はまだ未熟でよい。雫の兄なら重用しよう。もう一度聞く。王館で余に仕える気はあるか?」

「は、はいっ! この身がお役に立つならば」


 ふと隣を見ると、兄上の表情は引き締まっている。声が少し震えて前髪が少し揺れている。きっと緊張と嬉しさが入り交じっているのだろう。


 僕も兄上が王館に来てくれるなら心強い。赤い髪の『誰か』がいない今、親しい兄上なら色々と相談に乗ってもらえるかもしれない。


「あにう」

「ただ……」 


 兄上におめでとうと言おうとした。それと同時にびょうさまが僕の言葉に被せるように声を発した。


「ただ、二つほど問題があるな」


 兄上の喉が鳴った。顔を見ると細かく瞬きをしていた。緊張しながら淼さまの次の言葉を待っている。


 淼さまに何を言われるのか。僕までドキドキしてしまう。


「ひとつは、ほんの僅かだが仲位ヴェルには理力が足りていないこと」


 え、そうなんだ。


 兄上の理力は、叔位カールにしては多いけれど、仲位ヴェルとしてはちょっと足りないらしい。その線引きは僕には分からない。


「そしてもうひとつ。その方は今のところ母である仲位ヴェルの傘下にある。後々の禍根かこんを残さぬためにも、母御の承諾も得た方がいいだろう」


 母上の支流である兄上が独立するわけだから、母上の許しが必要……なるほど。ということは。


「び……御上おかみ。昇格すると兄は支流ではなくなるのですか?」


 話の邪魔をしてしまうかと思ったけど、思いきって聞いてみた。


 いつもの癖で『びょうさま』と呼びそうになってしまった。人前では『御上』と呼ぶように言われているのをギリギリで思い出した。


「雫。無礼だぞ」


 いつもの感じで尋ねてしまった僕を兄上がたしなめた。


「良い。元々は雫とその方の席に余が同席しているだけだ。正式な席ではない故、気軽に発言して構わない」


 やっぱりあくまでも同席というていを崩さないらしい。淼さまの様子に兄上はホッとしたように見えた。


「雫。その考えは正しい」


 淼さまは兄上の前に座ったまま僕を見た。斜めを向いたことで、淼さまの長い銀髪が肩から滑り落ちる。


「美蛇は華龍から独立し本流となる。そうなると今度は美蛇の支流が生まれるだろう。その他、繋がっている弟妹は傘下に入れても良いが……」


 独立とはいえ、母上の河から切り離されるわけではなさそうだ。ただ、母上の保護下から離れるということらしい。


 すでに兄上は母上に守られているという印象はない。弟妹を抑えるためには兄上の傘下に入った方が良いのかもしれない。


 それから本流になると、支流が生まれる可能性があるみたいだ。兄上は守るべきものが増えて更に忙しくなるだろう。


 僕にはあまり関係のない話だ。ついつい他人事のように考えてしまう。


「一旦、昇格は保留にしよう。いずれ、その方には王館に上がってもらいたい。しかし正式な昇格の前に一度、華龍どのに来てもらわねばなるまい」


 淼さまはほとんど音を立てずに、スッと立ち上がった。スルスルと上座へ戻っていく。


「足りない力にせよ、独立にせよ、華龍どのと話し合わねばならないが……」


 母上は体調が悪いと兄上は言っていた。だから、今、王館に来るのは難しいだろう。


「華龍どのが来るのは難しいだろうな?」


 淼さまも同じ事を思っていたらしい。遠くの席の淼さまを見ると、淼さまの目の色が違う気がした。


 いつも見ている濃い色ではなく、薄く紫がかった不思議な色合いだ。光の加減でそう見えるのかもしれない。


「華龍どのの回復を待ってからでよい。帰ったら謁見の申請をするように言伝ことづてを」


 淼さまは席を立つような素振そぶりを見せた。やや前傾の姿勢になって、折り込んだ足を立てようとしている。


「お……恐れながら」


 兄上はそれを阻止するように声をかけた。それに合わせて、やや乱暴に音を立てて両手をついた。


「何だ?」


 淼さまがすぐに姿勢を戻した。流れるようなその動作に少しの違和感を覚える。まるで兄上が話しかけるのを分かっていたようだ。


「恐れながら、母はすぐにでも参ると存じます」

「体調は大事ないのか?」


 母上の体調が悪化したら大変だ。出来れば回復するまでゆっくり休んでいただきたい。


「体調は……良くはありません。しかし、出来ますならば一日でも早く母の負担を減らしたいのです。母が体調を整えられるよう、常以上に留意致します故、何卒」


 そっか。兄上が仲位ヴェルになれば母上の負担も減る。でも体調が悪くて来られるのかな。


「分かった。その方に任せよう。私からの条件付き登城命令にする。明日もしくは明後日の陽のある内ならいつでも構わない。動けるようなら来るように。不調をおして来ることは許さん」


 淼さまが言いきった。僕と二人で話をするときとは話し方が全く異なる。命令という言葉を聞いたときに身体の底が震えるような気がした。


 兄上もきっと同じ気持ちなのだろう。深々と頭を下げて、拝命致しますと返事をしている。


 そんな兄上の様子を見ていたら、びょうさまが目の前に立っていた。


「おかみ、何か……」

「雫、長居をしてしまったが、私は仕事に戻る。兄弟水入らずでゆっくりすると良い」

「はい。ありがとうございます」


 びょうさまは、僕の横を通りすぎる時にポンと肩に手を乗せていった。


 淼さまが静かに出ていって、兄上と二人になる。


「兄上。おめでとうございます」


 まだお祝いを言っていなかった。僕がそう言うと、兄上はフッと力の抜けた笑顔を浮かべた。


「いやまだ早いさ。母上のお許しもないと。それに少し理力が足りないから、すぐに昇格できるかは分からない。もしかしたら数年後かもしれないな」


 兄上はちゃんと冷静に分析をしている。流石だ。慎むところは見習わなくては。


「それはそうと雫、本当に怪我はもう良いのか? 御上の手前、我慢している訳じゃないだろうな? 見せてごらん」


 兄上が急に鋭い目付きになった。怒られている気分だ。でも心配してくれているに違いない。


「もう何ともありませんよ? ほら」


 腕を捲って兄上に見せる。すぐ治してもらったので傷も残っていない。


「本当だ。良かった」


 兄上が僕の腕に触れた。その瞬間、バチンッ!! と目の前で何かが弾ける音がした。


「っつ……」

「兄上?」


 兄上が指を押さえている。僕の腕はなんともないけど、兄上は少し痛そうだ。


「すまない。静電気だな」 


 何か破裂するような……とても大きな音だった。

 

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