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水精演義  作者: 亞今井と模糊
十章 無理往生編
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324話 火理王の執務室

「その節は大変お世話になりました」

 

 随分と懐かしい話だ。火理王さまに借りた衣を来て焱さんと出掛けた。まだ焱さんのことをあわさんと呼んでいた頃のことだ。まさかその時は義理の甥だなんて考えもしなかった。

 

 焱さんと一緒に市へ行ったり、鍾乳洞で寝泊まりしたり……いろいろ残念なこともあったけど、今思い返すと楽しい思い出だ。

 

「良い。して何用か」

 

 火理王さまの声に現実へ戻される。うっかり回想に浸るところだった。

 

「御上からこれを火理王さまにお渡しするようにと」

 

 改めて小瓶を取り出して、渡そうとすると近くに控えていた侍従がサッと前に出てきた。直接渡してはいけないシステムらしい。

 

 侍従が恭しく僕から小瓶を受け取って、火理王さまに手渡す。絶対直接渡した方が早い。

 

くだんの魄失だな。感謝する。……わざわざ水太子がこれを届けるためだけに参られたのか? 誰か使いを出したものを」

「いえ、良いんです。ちょうど焱さんとも話したかったので」

 

 焱さんと目を合わせると、まぁなと唇の動きだけで返事をされた。火理王さまは僕と焱さんの間で目を一往復させ、納得したように小瓶に視線を落とした。

 

「その魄失、どうするんですか?」

「うむ。免の狙いは高位精霊の魄失だと言っていたな?」

 

 火理王さまの問いに黙って頷く。僕たちが恒山を塞いでしまったから、人間の魂が予定より少ないと免は言っていた。それを王館の高位精霊の魂で補うのが目的らしい。

 

「集めた人間の魂で何をする気が読めないが、仮に人間を使って攻めてくるつもりならば、対処できるかもしれぬ」

「本当ですか!?」

 

 火理王さまに詰め寄りそうになって、焱さんに首の後ろを掴まれた。そんなに慌てなくても掴みかかりはしない。 

 

「可能性の話だ。人間の魄失を調べ上げ、火の理力があれば、その理力を抑えることは可能だ」

火理王おかみが火の王館にいれば、な。供給を止められるかもしれねぇってことだ」

 

 漣先生に言われた言葉を思い出す。理王とは喞筒ポンプのような役割をしている。世の中の理力を正しく等しく巡らせるための喞筒ポンプであると。

 

 その理力を理王が止めたらどうなるか。精霊は生きてはいけない。


「この世界の生き物ではない人間にも通用しますか?」

「分からぬ。何しろ誰も経験がないゆえ、明確な答えが出せぬのだ」

 

 そもそも理力があるのかどうか微妙だ。だから今からそれを調べるってことか。

 

「以前、水理王の水晶刀を調べたことがあったな。免の残存理力を調べた結果、僅かに火の理力が検出されたと聞いている」

「はい、水の理力が一番多かったみたいですが、全ての理力が混ざっていて何の精霊か分からなかったそうです」

 

 火理王さまが小刻みに頷いた。青い髪がパサパサと揺れている。

 

「人間にも同じことが言えるのではないかと思ったのだ。そしてもし我の火の理力が通用すれば動きを制御することは可能だ」

「なるほど……水の理力でも同じことが言えますか?」

 

 もし水の理力を持っていて、それをベルさまが制御できればかなり有利になる。免が大量の人間の魄失を伴っても抑えられる。

 

「無論だ。しかし試さねば分からぬ。幾日かあるゆえ、結果が出次第知らせよう」

「ありがとうございます」

 

 何だか勝てる気がしてきた。まだ分からないけど、漠然とした希望が少しだけ見えてきた。

 

「あんま期待すんなよ。免が人間を連れてくるかどうか分からねぇだろ? もしかしたら、配下だけかも知れねぇし、本人だけかも知れねえ」

「まぁそれは……確かに」

 

 その場合、火理王さまの仮説が全部正しくて、人間の動きを抑えられる見込みが出たとしても全部無駄だ。肝心の人間がいないのだから。

 

「しかしその時はその時だ。開戦してから考えても遅い。例え役に立たなかったとしても、今、我々に出来ることを最大限しておかねばなるまい」

「そうですね。それに免が人間を連れてこなくても、所有はしているでしょうから、いずれ役に立つ時があるかもしれません」

 

 出来ればそんなに免に会いたくはない。この戦いで長い付き合いを終わらせたいところだ。

 

「……ところで水の王館は何をしておるのだ? 太子がようなところで遊んでいて良いのか?」

「えーっと……特に何も」

「…………」

 

 返事がない。

 

「流石に水理であるな」

 

 他の王館でも……確か金理王さまにも同じようなことを言われた気がする。

 

「本来なら先々代の喪に服す期間である。水理も静かに過ごしたいのやも知れぬ。そっとしておくが良い」

「お気遣いありがとうございます」

 

 そう返事をしたものの、多分それはない。勿論、ベルさまだって先生のことは残念に思っているはずだ。でもベルさまから喪中の意思は伝えられていない。それに、何も対策する気はないと言っていたから、本気で何もしないつもりなのだと思う。

 

「淼がそなたであって良かったと我は思っている」

「え?」

 

 視線をあげると、火理王さまが僕をじっと見ていた。

 

「あの水理が誰かと心を通わすとは思わなかった。親しい友と別れ、信用できたはずの先代を失ってから、水理の心は全てを拒絶し、凍りついていた」

「信用……御上は先代さまを信用していたのですか?」

 

 親しい友……ひさめの義姉上のことだ。間違いない。でも先代とは分かりあえなかった、不仲だったと言っている。どういうことだ。

 

「水理皇上はイイトコの出だからな。ある意味は天然なんだよ」


 焱さんが僕を冷やかすように言った。ベルさまは大精霊・玄武伯の治める氷之大陸オーケアノス出身だ。これ以上の名門はほとんどない。育ちも良いに決まっている。

 

「御上を悪く言わないで」

「言ってねぇよ」

「天然って言ったでしょ、今!」

「別に悪口じゃねぇよ!」

「じゃあ、どういう意味?」

「そのままの意味だろ?」

 

 焱さんと不毛な言い合いをしていると、火理王さまが声を上げて笑っていた。何故か侍従にまでクスクス笑われている。

 

「続けて構わないぞ? もっと見てみたいものだ」

火理王おかみ、見世物ではありません」

 

 焱さんが少し不満そうに言う。僕としては火理王さまを前に騒いでしまったこと自体が申し訳ない。


「申し訳ありません、火理王さま」

「よいよい。構わぬ。水理だけでなく、焱とも仲良くしてくれるようで我は嬉しく思う」

  

 火理王さまが優しく微笑んだ。誰かが言っていたけど、五人の理王の中で一番優しいのが火理王さまだそうだ。火理王さまの髪は本来赤みを帯びているという。火精によくある色だ。

 

 しかし周りの酸素の濃度を下げないように、わざと消費力を抑えており、そのため青く見えるのだという。

 

 滅多に怒ることはないそうだけど、怒ると髪は真っ白になり、周りの精霊は酸欠に倒れてしまうのだそうだ。

 

 勿論、やさしいと感じるのも主観があるから違う意見もあるとは思う。でも火理王さまの柔らかな瞳を見ると、優しさの主張が強くて、こっちまで暖かくなりそうだ。

 

「今後とも焱と仲良くしてもらって良いか?」

「勿論です! こちらこそ義甥をよろしくお願いします」

 

 僕がそういうと何故だか皆に笑われてしまった。 

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