319話 新たな土師
「あら、淼。このクソ忙しい時に何の用?」
土の王館を訪れると、中庭でたまたま垚さんと出くわした。開口一番がこれだ。
大変機嫌が悪い。これは答え方を間違えると、後々面倒くさ……いや、大事になりそうだ。
「坟さんの後釜が決まったと聞いて……」
「そうね。だから?」
「えーと、挨拶というか……」
「水太子自ら土の御役に挨拶なんて必要ないわ!」
土精からのブリザード!
垚さんはいつもきっちりお化粧しているけど、今日は若干崩れている。唇から紅がはみ出ているのを、指摘する勇気はない。
僕の前で腕を組んで仁王立ちだ。威圧感があるのは僕が水精だから、というわけではない。
その垚さんの後ろでは土精が左へ右へ走り回っている。
垚さんに声をかけようと駆け寄ってきた精霊もいたけど、僕の姿を見て、声を掛けずに下がってしまった。
太子同士での会話中に入ってはいけないと思っているのだろう。それとも以前、土の王館でやらかしているから、近づきたくないだけか。
だけど、今はむしろ、この気まずい状況を抜け出すために誰か声を掛けて欲しい。帰るという一言を言い出すタイミングがない。
「おとん。失礼やないか?」
僕の願いが届いたのか、小柄な土精が垚さんの袖を引っ張った。女の子……いや、高位の土精なら男の子か?
「この方、水太子さんなんやろ? あたしも挨拶したいわ」
話し方は漕さんに似ているけど、少し違うアクセントだ。
垚さんは眉間に何本もシワが寄っている。でも何も言わないところを見ると、反論する気はなさそうだ。
「はじめましてー、淼さま。この度、土師になった阪言います」
「あ、ご丁寧に。僕は水太子の雫です。よろしくね」
良かった。第一印象は悪くない。
髪も目も茶色くて土精らしさが溢れている。まだ幼さも残っていて、大人っぽさと可愛らしさが共存している。
「ちょっと、あたくしの息子に手ぇ出したら、ただじゃおかないわよ!」
「ぎ、垚さんの息子さんですか!?」
似てない!
……と声に出さなかった自分を誉めたい。
「そうよ、そっくりでしょ? あたくしに似て美人になると思わない?」
「思います。とても思います」
垚さんの機嫌が少しだけ回復した。勝ち誇ったような顔をして顎を上げている。
「おとん、やめてや。恥ずかしいわ」
「息子を誉めるのに恥ずかしいことなんてないわ」
阪くんが垚さんの袖を再び引っ張る。なんだか見ていて微笑ましい。
「堪忍な、淼さま。おとん、昨日から機嫌悪いんよ。……あ、いや、悪いんですよ」
「良いよ。そのままで」
僕に対して慌てて話し方を変えたけど、本音が言える方が良い。
「おおきに。でも仕事に就いたからには、ちゃんとせなあかんわ。ちょっとずつ直すさかい、堪忍してや……ください」
何だか可愛い。一生懸命さが伝わってくる。僕とはあまり接点はないだろうけど、後輩が出来た気分だ。
「息子が強引に土師に就けられて、機嫌が良いわけないでしょ!」
垚さんが盛大に鼻を鳴らしている。機嫌が悪い理由はこれだったのか。
息子を土師にしたくない……その気持ちは良く分かる。土師は主に王館を警備する埴輪達を製作・統括している。でも、それだけではない。
地獄への扉を開く鍵を握っている。命懸けの仕事だ。仮に命を落とさなくても怪我をすることが前提だ。事情を知る者は、大事な家族をその座に就けたいと思わないだろう。
「そない言うても、あたしが一番土師の条件に近いさかい、おとんだって承諾したやないか?」
「仕方なく、よ! 堤ちゃんだって同じ気持ちのはずよ」
「いや、おかんは喜びすぎて小躍りしてたで?」
「何でよ!?」
これは父子喧嘩を見せられているのか。いや、喧嘩までは行かないかも知れないけど、帰ってから話し合った方が良いのでは、と思う。
二人とも声が大きい。二人の後ろで土精が足を止めている。
垚さんに用があるのか、阪くんに用があるのか、それともただの野次馬か。
「御役不在のまま開戦するわけに行かないって土理王が言うから……あたしは反対したのよ」
「土理王の意見は全うやわ。それは何べんも聞いたわ。それとも何や? 息子じゃなければ誰でもええんか? おとんはそない薄情やったんか?」
「あのー、僕、お邪魔みたいなんで帰りますね」
二人の後ろでオロオロしている土精たちを解放してあげたい。
それと父親の垚さんがやや押され気味だ。この辺で終わりにして、あとは家でやってもらいたい。
「あ、待ちなさい! 免の配下と戦ったんでしょ。詳しく聞かせてちょうだい!」
やっぱりか。
腕をわしっと掴まれて逃げられない。
そのままズルズルと建物内に引き摺られていった。連れていかれたのは謁見の間で、土理王さまが理王らしく玉座に掛けていた。
「垚。水太子を連行するとは何事だ。謁見中であるぞ」
そうは言っても対面中の土精はいない。ちょうど外に出てきた土精がいたから、謁見が終わって、一区切りついたところなのだろう。
「土理王、淼が免の配下と戦った情報を共有したいわ。土理王もお聞きになった方が良いでしょう?」
垚さんの言い方が少しキツい。
土理王さまは肘掛けから腕を下ろして、足を組んだ。
「なるほど、そういうことか。水太子、足労である」
「いえ、阪くんと顔合わせもしたかったので……」
チラッと阪くんを見ると、謁見の間を天井から床までキョロキョロと見回していた。
昨日上がったばかりだ。気持ちは分かる。無駄に広くて無駄に豪華なのは水の王館も一緒だ。
「阪、止めなさい。御前で失礼よ」
「あ……申し訳ありまへん」
「うむ。垚が注意せねば、退室を命じるところであった。以後気を付けよ」
土理王さまは新人さんにも容赦ない。でも最初が肝心だ。何が正しくて何が間違っているのか、阪くんには覚えないといけないことがたくさんあるはずだ。
何だか昔の自分を見ている気分だ。
「水太子。早速だが、知っていることを全て話してもらいたい」
「はい」
僕が竜宮に人間の情報を求めたところから話を始めた。
竜宮城はすでに挽と搀の襲撃を受けていて、僕と潟、それから菳とで戦った。
菳は善戦したけど、眠気を催す習性に抗えず一時的に連れ去られてしまった。そのため、菳の知る王館の情報は、免に知られていると言っても良い。
睌の言葉によると菳が話したのは『王館の構造、各太子の現状、各理王の関係など』だ。免からの誘導尋問だったようだから、積極的に情報を提供したわけではないと思う。
「佐はどこまで知っていたのかしら?」
「王館の内部の構造は知っているでしょう。でも結界の仕組みや人員の配置までは把握していないと思います」
これは木精に確認済みだ。菳は王館にいる際、食べて寝ての繰り返しだったため、積極的に政務とは関わらなかったという。水精どころか、木精の権力関係にも詳しくないらしい。内情に疎いことが幸いだ。
「土の王館は一度、免に侵入を許している。それは余の失態だが、同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。まだ修繕が済んでいないところもあるので、此度は防御に力を入れるつもりだ」
金精は王館の強化と人員確保を優先。
木精は避難先を検討。
土精は防御を徹底。
金の王館と土の王館は考え方が似ているかもしれない。でも金精には伯位不足という大きな負担があり、土の王館は未修繕だ。万全の状態とは言いがたい。
「垚。土師を連れて、埴輪の製作場へ向かえ」
「え、でも、まだ……」
「良い。あとは余が聞いておく」
土理王さまが唐突に垚さんたちに退室を命じた。僕の話は大体終わったので、僕も帰りたい。けど、土理王さまの雰囲気がいつもとは少し違った。
垚さんも少し不思議そうにしながら、阪くんを連れて出ていった。
「……垚には悪いことをしたと思っている」
二人が出ていくと土理王さまが静かに口を開いた。




