318話 木理王と水太子
木の王館に着くなり、木精たちに取り囲まれた。決して悪い意味ではないのたけど、キラキラした目で見られているのは、どうにも慣れない。
太子になってから来たのは初めてかもしれない。木精に好意を抱かれているのは知っているけど、この服が目立つからに違いない。
あれよあれよと、何故か謁見の間に通された。謁見の申し込みなんてしていない。連絡すらしないで来ている。
桀さんの手が空いていれば良いなぁと思っていたのに、何も言わない内に木理王さまに通されてしまった。
「やぁ、君か。久しぶりだな、元気だったか?」
「木理王さま、お久しぶりです」
木理王である架さまは、前に会ったときよりも髪が伸びていた。相変わらず毛束が五つに分かれている。
「森もすぐに戻ると思う。ゆっくりしていくと良い。誰か水太子に椅子を」
「はぁ……」
謁見の間で、どうやって寛げと言うのか……。金の王館と同じように椅子を用意された。細いい蔓で編まれた椅子で、弾力があって座りやすい。
侍従が何人かやってきて、果物をいくつも差し出された。受け取るまで引かなさそうだったので、一番近い柑橘をひとつ貰っておいた。
左右の侍従が目に見えて落胆している。真ん中の黄色っぽい木精は、拳を握りしめていた。
「桀さんは忙しいんですか?」
木理王さまに話を振ってみたけど、聞き方が
まずかったかもしれない。裏を返せば「木理王さまは暇なんですか?」と捉えることも出来る。
「いや、そうでもない。実家の手入れに行っているだけだ。昨日の午後に向かったから、もうすぐ戻るはずだ」
昨日の午後と言うと、僕が金理王さまと話し込んでいるあたりだ。金の王館は必至で人材集めをしているのに、木精はずいぶん違う。
フラフラしている僕が言えた義理ではないけど、木太子まで里帰りしていて良いのか?
木理王さまは木理王さまで、謁見の間にいるのに謁見を始める様子はない。僕がいるせいかとも思ったけど、そもそも案内された時点でそれはない。
玉座の上で紙を広げたり、丸めたりしている。時々、侍従にお盆や台を持って来させて、判を押している。執務室でやる仕事だ。
「よし、一休みするか」
「お疲れさまです。木理王さまは執務室でお仕事はしないんですか?」
「執務室が機密書類で埋まっているんだ。公に出来るものはここで処理することにした」
思い出した。木理王さまの太子時代に執務室に行ったことがあるけど、最高に散らかっていた。
理王の執務室に移っているはずだから、もう少し広いだろうけど、きっと同じような散らかり方をしているのだろう。
「そういえば、無患子の件は申し訳ありませんでした。勝手に行動して、あのような事態を招いてしまい、心苦しく思っております」
ずっと言いたかった。
今まで優先することが多くて、来られなかった。ベルさまにもこれ以上深入りするなと釘を刺されていた。やっと直接、謝罪が出来た。
「何を言うんだ。麿のことを思って行動してくれたんだろ? 嬉しいとしか思わない」
「でも……」
木精の皆がそう思っているとは限らない。いつも友好的だから油断しがちだけど、僕のことを恨んでいる木精だっているかもしれない。
「麿にとって家族といえば理力の繋がらない先代木理王だけだ。君のお陰で根が分かって感謝しているよ」
「そう言っていただけると、少しほっとします」
木理王さまの顔が以前よりも穏やかに見えるのは、気のせいだろうか。
でも、木の王館の環境を考えれば、それは有り得ることだ。木偶がいたせいで、自分が即位すれば同じ病にかかることは分かっていたわけだし、只でさえ、自分の理力を削って木理王さまを支えていた。
心が休まる暇がなかったに違いない。
今は無患子の件が落ち着いて、少しゆとりがあるように見える。
「あの……免の対策は何かしてますか?」
本題に移らせてもらう。侍従が何人か振り向いた。その視線は無視させてもらって、持ったままだった柑橘の皮に爪を立てた。
柑橘独特の香りが辺りに広がる。
「対策という対策ではないが、王館内の高位精霊からは種や枝を回収しているところだ」
「回収と言いますと?」
「青龍伯に預けようと思っている」
連日で大精霊の名を耳にするとは思わなかった。思わず皮を向いていた手を止めてしまった。
「免は理力を狙っているのだろう? 木精は理力を奪われても、引き継げる本体があれば、まぁまぁ早めに復活出来るからな。万一に備えて離れたところに避難させておきたい」
「あぁ、等さんみたいに」
等さんの笹麦は黄龍他、大精霊に献上していると言っていた。地獄に本体の一部があるせいで、完全に倒すことは出来ないという。免も手こずる相手だ。
「あぁ、第・等兄弟は雫のことを贔屓にしてたな。木精と仲良くしてくれて感謝するよ、遂行者」
「…………」
木理王さまは僕をからかうつもりで言ったのだろうけど、僕はどう反応していいか分からなかった。
返事をする代わりに柑橘のひと房を口に放り込んだ。甘さよりも酸っぱさが勝っている。
「遂行者って何なんでしょう」
以前、等さんにそう聞いたら『理を遂行しさえすれば良い』『太子たれば良い』と言われた。
でも、その理も変わるということを佐の設置で学んだ。更に理に縛られると身動きが取れなくなるということも体験した。今の僕は菳がいなければ外出をすることすら難しい状況だ。
これで理を遂行出来ているのか、時々不安になる。
そもそも理って……何だろう。
「あまり考えすぎない方が良い。突き詰めると理とは何かに行きつく。まぁ、それに行きつけない者は、どう頑張っても遂行者にはなれないだろうな」
僕の頭の中を覗いたのかと思えるほどのタイミングだった。
木理王さまは侍従を遠ざけると、僕に少し近づいて諭すように言った。
「君が正しいと思う義を歩めば良い。それがもし理に反するというのなら理が間違っている可能性がある」
「なっ」
理が間違っているなんて恐ろしいことを言う。とても理王の発言とは思えない。ちょっとベルさまに近いものを感じる。
「まぁ、それは言い過ぎだが、遂行者とはそういう者だと聞いている。もっと自信を持てば良い」
「はぁ」
要するに正しいと思うことをしろ、ということだ。何が正しいのか見極めるためには、僕はまだまだ経験が足りない。危機はすぐに迫っているというのに……自信なんて持てない。
「木訥は嘘も世辞も言わない。御役の地位からは離れているが、それは変わらない。その木訥が言うのだから君は…………あ、そうだ。御役と言えば」
木理王さまが何かを思い出したように、変なところで話が切り替わった。
「新しい土師の話は聞いたか?」
「新しい土師?」
土師は坟さんが亡くなってから空位だった。
まだ次が育っていなくて、なかなか決められないと聞いていたのに、それが突然決まったとは初耳だ。
「あぁ、昨日急遽決定されたらしい。君が来る少し前に通知が来たぞ」
あぁ、それだと僕が知らなくても当然だ。昨日から水の王館を離れているし、戻ったときにベルさまはいなかったのだから。
「戻ったらべ……御上に確認してみます」
「気になるなら土の王館に寄っていったらどうだ? 垚のことだから、開戦前に免の配下と戦った話を聞きたいんじゃないか?」
それはそれで大変そうだ。捕まったらなかなか帰って来られない気がする。
でも……情報共有は必要だ。
行ってみようか。
柑橘の最後の房を口に放り込んだところで、王館が揺れだした。
柑橘の皮が落ちてしまったが、拾おうとしたその場所が勢いよく盛り上がり、慌てて少し退がる。
「ただだだだだだいま戻りました! ……ああああああああああ、雫! ひひひひひ久しぶりですね」
床を突き破って、桀さんが現れた。根の道を通ってきたに違いない。戻り方が独特だ。
「……桀さん、お邪魔してます」
「そそそそろそろろろ、某のこともよよよ呼び捨てにししししししてください」
吃音がひどくなっている。
桀さんの頭に乗った柑橘の皮を取りたくて、手が宙をさ迷ってしまった。




