315話 金理王の執務室
「こちらです」
警備の金精が案内してくれたのは、金理王さまの執務室前だった。水の王館の執務室と同じ造りだけど、色と紋が異なる。
当然と言えば当然だ。汚れのない真っ白な扉は、触れたくないほどの潔白さを感じてしまう。
警備の精がノックをしようとすると、ほぼ同時に勢い良く扉が開いた。おかげで警備が顔面を打って倒れた。
「だ、大丈夫?」
「す、すまん。大丈夫か?」
中から出てきた金精と二人で起こす。鼻血が出ていた。
「な、何のこれしき……」
そう言いつつ激しく瞬きをしている。目がチカチカしているのだろう。金精にも効くのなら僕の水を分けてあげるのだけど……難しいか。
水精は金精に支えてもらう方だ。金属に溜まった水分を譲ってもらうことだってある。僕の水をあげたところで持て余すだろう。
「どうかしたのか?」
「うるさいぞ、静かに…………淼さま?」
中から金精が何人か顔を覗かせた。扉を開けたまま騒いでいたから、うるさかったに違いない。
「ごめんね、うるさくて……。誰か手当て出来る精霊いる?」
「いえ、うるさいなど滅相もない。少々お待ちを……」
何人かが出て来て警備の精霊を連れていった。医務室にでも行ったのだろうけど、失礼ながら……あれで警備が勤まるのか心配だ。
「今の声は雫か?」
「はっ。金理王、淼さまがお見えです。お通ししますか?」
金理王さまが気づいてくれた。
入り口付近の金精が繋いでくれようとしている。
「当たり前だ! 水太子を廊下で待たせるな、馬鹿者が!」
「っ申し訳ありません!」
「身共に謝っていかがする! 雫に謝れ!」
お、お怒りだ。
僕を取り次いでくれようとしてくれたばかりに……申し訳ない。
こんなに怒った金理王さまは初めてだ。月代のときだって、こんなに語気を荒げてはいなかった。それは鑫さんの手前もあるだろうけど、いずれにせよ、今は怒っている。
いや、怒っているというよりもイライラに近い感情だ。半分八つ当たりのような気もする。
…………詮索するのはやめよう。勝手に流れてくる金理王さまの感情を無視して、執務室に入れてもらった。
「失礼します、金理王さま。連絡もしないで突然来てごめんなさい」
「いや、君ならいつでも歓迎するが……少し待ってくれ」
金理王さまの指示で僕の椅子が用意された。
特に用があったわけではないので、居たたまれない気持ちになる。ただ他の王館の様子が見たいという好奇心で、迷惑をかけにきた感じがする。
僕の椅子に添えるように小さな机まで置かれ、飲み物やお菓子などが並んでいく。手をつけないのも申し訳ないので、冷たいお茶を静かに啜る。はっきり言って味を感じない。
視界の端では金理王さまが忙しく手を動かしている。
「おい、鐘広諸島の鉱山達は、まだ登城しないのか?」
「は。昨日、鐘広を発ったと聞いております。しかし全員が仲位ですので、到着は早くても明日の朝になるかと」
仲位が王館に直接移動できないのはどこも同じみたいだ。
「分かった。発ったなら良い。錫岡山と静岡岳の双子はどうした?」
「は。鑫さまが昨日登城命令を持っていかれましたので、明日の午後には参るかと」
王館に精霊を集めているようだ。戦いのために少しでも多く人手が欲しいのだろう。
ただ……盗み聞きするわけではないけど、すぐに来るという精霊がいない。早くても明日。遅いと五日後だ。
……ということは、集めているのはほとんどが仲位だ。何故、伯位ではなく、仲位を集めているのか。何か意図があるのだろう。
「情けないだろう? 伯位がいないんだ」
金理王さまが溜め息をつきながら言った。視線は机の上だけど、僕に向かって言ったのは明らかだった。
「伯位がいないって……ひとりもいないんですか?」
「いや、何人かはいるさ。人員が足りないだけでな。……おい、金字塔を呼べ。これを鎌口に届けるよう伝えろ!」
僕と話す余裕ができたのかと思ったけど、相変わらず指示出しで忙しい。室内の金精がひとり、またひとりと減っていく。出ていく精霊ばかりで入ってくる気配がない。
やっぱり来ない方が良かった。
「すみません、お忙しいところに。お邪魔でしょうから、僕、帰ります」
お菓子には手をつけず、お茶を一気に飲み干した。席を立とうと片足に力を入れると、金理王さまに制された。
「待ってくれ。もうすぐ終わる。いや、終わりはしないが、一旦終える」
金理王さまは、側に控えている……恐らく侍従長と思われる金精に、書類の束を渡した。
「これは南の棟だ。こちらは西の武器庫へ。それと、全体的に外壁の補強材が不足している。来年の分を前倒しで納品できないか、各所に確認してくれ」
「かしこまりました」
テキパキと指示をしていく金理王さまに対し、侍従長は一礼して部屋から出ていこうとした。
金理王さまは深く瞬きをしてから、ハッとしたように侍従長を呼び止めた。
「待て! 結界強化用の鏡も不足している。この際、鏡でなくても良い。鍵や鈴でも良いが、質は落とすな」
王館の防御に余念がない。今聞いた話だけでも、外壁の補強と結界の強化と防御に力をいれていそうだ。
「さて、待たせたな。何の用だ?」
「えーっとぉ……」
どうしよう。用という用がない。
金理王さまは自分の机に置かれた茶器を手に取った。温かい飲み物用の茶器に見えるけど、中身は冷えきっている。温め直してあげたいくらいだ。
生憎、侍従長が出ていってしまったので、冷たいお茶を入れ直す精霊はいない。
部屋には金理王さまと僕しかいなくなってしまった。警備的にこれはこれで問題だと思う。でも、信頼されていると思って良いのだろうか。
「良ければ温めましょうか?」
「いや、大丈夫だ。少し頭を冷やしたいからな。……何か話があったんじゃないのか?」
「すみません。話も用もなくて、ただ他の王館がどんな対応してるのかなって思って……忙しいのに迷惑かけてごめんなさい」
金理王さまは黙って冷茶を啜った。頭を冷やしたいと言っているけど、頭の前にお腹が冷えそうだ。
「迷惑だなんて思っていない。先ほども言っただろう。君ならいつでも歓迎すると」
金理王さまは茶器を持って席を立ち、僕の側まで椅子を引いてきた。虹彩色違と視線がぶつかる。
「本来ならこちらから出向くところだ。先々代のことは誠に残念だ。どうか気を落とさずにな」
「お心遣い恐れ入ります」
片足を椅子の上に上げ、その膝の上に片腕を乗せた。玉座の上でも確かこんな格好をしていた。
「しかし、他の王館の様子が知りたいということは……水の王館では特に対策をしていないんだな?」
金理王さまの読みは当たっている。尤も、僕がフラフラしている時点で分かっていたのかもしれない。
「先々代を欠いてもその余裕か。羨ましい。流石に水理だな」
金理王さまは、感心したような、呆れたような息を吐いた。
「金理王さまは金精を集めているんですね」
金理王さまの指示が聞こえていたことを暗に示した。知らないフリをするのは嫌だ。
「そうだ。だが、月代を断罪したことで伯位がかなり減っていてな。仲位への負担が大きい」
なるほど。月代の精霊の内、高位精霊はほとんど処罰された。名門だから伯位も相当多かっただろう。
「だから王館も強化したい。仲位は戦力だが身共が守るべき金精でもある」
そう言った金理王さまの顔は、今まで見た中で一番険しかった。




