303話 竜宮への弔問
菳が潟の元へ寄ろうとするのを止めた。潟は座り込んだままだ。菳も心配しているのだろうけど、今はそっとしておいてあげたい。
『移動による竜宮城の損傷が七割、並びに外壁の損傷が八割を越えました。崩壊を防ぐため速度を落とします』
エムシリさん改め隼さんの声も、今は耳に入らないようにしてあげたい。
二人を抱えて潟から離れた。
もう竜宮城の建物は、崩れてしまってほとんど残っていない。僕の部屋の前で廊下が半分崩れて、外からでも入れるようになっていた。
けれど扉は歪んでしまって開かない。これ以上崩れないように、浮いた壁板を半分だけ剥がし、寝台から掛け布団を引きずり出した。
いつ崩れるか分からないので、すぐに庭へ出る。布団の端が重いと思ったら、菳が端を齧っていた。
「菳はこっち。少し休むと良いよ。疲れただろう?」
挽たちに拐われて、情報を吐かされて、兔にされて……散々な目に合ってたはずだ。
菳を一旦布団から引き剥がした。七竈の根本に布団を畳んで置いた。ここなら建物が崩れてきても安全だ。噴水の残骸や石像が倒れたとしてもここまでは届かない。
菳は布団の間にスッと潜り込んだ。上に乗ることを想定していたので、ちょっと予想外だ。
「隼さんも一緒に入れてあげて」
布団の下に地図を突っ込む。その上を覆うように半水球を構成した。気休め程度だけど少しでも隠れておいた方がいい。
さっきから……嫌な気配がうっすらと付いてきている。僕の他は……多分、まだ気づいていない。会いたくはないけど、菳はもっと会いたくないだろう。
潟からも菳たちからも離れて、正面入口があったところへ回る。ここなら大丈夫だ。歩を止めてこちらから声をかける。
「何か用か、免」
何度も会っているせいで、今の免に戦う意思がないことが分かってしまう。免の気持ちなど分かりたくもない。
「おや。先々代水理王のお悔やみを申し上げようと思ったのですが。ご挨拶もなしとは」
僕が振り返らないのが気に入らなかったのか、免はやや語気を強めた。ザリッと土を踏む音が聞こえた。大方、宙から下りたのだろう。
「……それは悪かったな。そっちこそ、睌のことは愁傷だな」
心にもない言葉を述べる。それはお互い様だ。
「これは恐れ入ります」
「用がそれだけなら帰れ」
僕がそういうと少しの間があった。免がどういう顔をしているか、見なくても分かる。
完全に背後だけど距離は掴めている。いつでも飛びかかれる距離だ。
「見てたのか? 睌の目で」
「睌の目ではありません。睌が私の目です」
ピシリとした言い方が気になる。少し免らしくない。いつもの余裕ぶった免と少し違う。
「……好きだったのか?」
「はい?」
「睌のこと愛してたのか?」
免は以前、愛する者を取り戻したいと言っていた。もしかしたら、愛する者とは睌のことで、ごく最近取り戻したという可能性もある。
「ふ、ふふっ、ハハハッ。面白いことを言いますね、雫は。睌は私の一部です。自分の体を愛するなんて水仙のすることですよ」
余裕がない割には緊張感がない。免の様子が気になって振り向いた。免は珍しく腹を抱えて笑っていた。顔が見えない。
「それ以前に……愛する者を戦いに赴かせるほど私は愚かではありません。愛する者は大事にしまっておかないと」
一瞬、狂気めいたものを感じた。ひとしきり笑い終えても、免はまだ下を向いていた。
「私が愛しているのは、今も昔も雲泥子だけです」
雲泥子の名には聞き覚えがある。どこかで聞いたのか、思い出そうとした矢先、顔をあげた免の顔に思考を止められる。
調った顔は相変わらずだ。でも、本来なら目があるべきところが窪んでいる。それでも生理的な瞬きはするらしく、瞼の皮がフルフルと揺れていた。
攻撃してこない上、少しだけ余裕のない理由が分かった。睌を倒したから免の目に影響が出たらしい。
同じ理屈なら、もし挽や搀を倒しておけば、免は両手を失ったかもしれない。
「まぁでも、睌はよくやりました。命令通り恒山を開け、众人の魂を解放したのですから」
目がないので口元だけで微笑む姿は不気味だ。こっちの血の気が引きそうだ。
「あぁ、目はご心配なく。人間の魂を二、三人ほど喰えば治りますから」
「人間の……」
免は長い指を目の窪みに突っ込み、グリグリと掻き回した。見ている僕の腕に鳥肌が立ってきた。
「高位精霊の理力ならひとり分でも余りますが……雫が癒してくれますか?」
「断る」
即答すると、免はまた笑い出した。からかわれているような気がする。
「残念。尤も、治るのは体だけで睌は戻りませんがね」
「何しに来たんだ」
ポロポロと自分の情報を吐く免に、段々不安になってきた。普段なら秘密だらけで、また今度と言いながらすぐに去ってしまう。
今回はどうだ。
目がない状態で僕とゆっくり話をしている。何が目的だか分からない。
「そんなに焦らずに……たまには二人でゆっくり話しませんか? 竜宮城の速度が落ちたようですから、時間はありますよ」
「僕はお前と二人で過ごしたくはないな」
二人で過ごすならベルさまが良い。それ以外には有り得ない。
「そうですか、残念。貴方にはフラれてばかりです」
免はそう言うと、いつもの灰色の帽子を取った。何をするのかと警戒していると、帽子の中から黒っぽい塊を取り出した。十字に伸びた軸、その端に薄い刃が四枚付いている。
免の武器かもしれない。見たことのない武器だ。どんな攻撃がくるか分からない。
「そう警戒しなくても攻撃はしませんよ。これは無人航空機と言います」
「どろ……?」
ドロと聞いて一瞬、泥の顔がちらついた。多分、彼女は関係ない。
「ドローンです。最新型のAIを搭載しております」
AI……隼さんと同じ種族だ。まさか隼さんも免の仲間なのか?
いや、隼さんは先生の知り合いだ。免の仲間ということはないだろう。
僕の心理的な焦りに気づかないまま、免はドローンの中心に金色の板をぶら下げた。純度が高そうな金だ。
免はそれを空に放つ。ドローンは鳥のように空を飛んでいるけど、音が五月蝿い。
免がドローンを空へ放った。ドローンは僕たちの頭上を旋回してから、まっすぐ飛んでいった。何かを目指しているようだ。
「ご覧下さい。魄失の祝賀行進を」
「な、何?」
免がそう言うと恒山の辺りから真っ白な筋が伸びてきた。ドローンの後に付いて、一直線に飛んでいく。
ここからだと、空に一筋の線が書かれたように見える。これが魄失だと分かるのは、免が魄失の祝賀行進だと言ったからに他ならない。もし、免が何も言わなければ、これ全部が魄失だとは気づかなかったろう。
「私の基地に向かっております。人間の魄失は欲深ですからね。少しの黄金でもこんなに動く。扱いやすくて助かります」
「人間を集めてどうする気だ?」
免の口は美しく弧を描いている。免がいつもの調子に戻ってきた。本当は目が見えているのではないかと思ってしまう。
人間の魄失を得られることへの達成感か。いや、それ以上に大きな何かを感じる。
「衡山を爆発させたのもお前なのか」
「はい。……正確には私の左脚にやらせました。他の五山も開きましたので、相当数の魂が手に入ります」
免に斬りかかりそうになる自分を何とか抑える。今、攻撃したら手痛い反撃を食う。
免の右手は痙攣したように震えている。右手には挽がいるはずだ。左手にも搀が……今の話だと脚にも配下がいる。ひとりで全部の相手をするのは難しい。
それに……言い訳かもしれないけど、ここで戦えばもう竜宮城がもたない。
「ですが、先々代が恒山の魄失を減らしてくれましたので、目標数が達成できません。よって……」
免はわざとらしく間をあけた。
僕の反応をいちいち確かめるように右左へと首を傾けている。
「王館に宣戦布告します」




