閑話 塩湖 潟~ 雫との出会い①
父は大海原を治めているというのに、私は四方を囲まれた塩湖に過ぎなかった。
そのせいか、幼い頃は塩分濃度にとても敏感だった。雨が降ればその都度、雨酔いを起こし、それが少し強い雨なら目に影響が出た。塩分濃度が下がると決まって、視界がぼやけるのだ。そうなると治るのに最低三日はかかった。
そのような状態だったこともあり、幼い頃は周りからよく仲間外れにされた。それでも王館勤めの父を恐れ、あからさまに虐められることはなかった。
私の塩湖は周りの池や湖に比べるとかなり大きい方だったから、余計に嫉妬心を煽ったのかもしれない。
海にもなれず、湖にもなりきれず……自分の存在が曖昧なものであることに一抹の不安を覚えていた。自然と周りの精霊とはあまり関わらなくなった。
それでも退屈することはなかった。屋敷には父も母もいる。遊び相手になってくれる使用人もたくさんいた。
それに幼い頃、父は私の教育に熱心だった。読み書きに始まり、理術は勿論、化学術、数学術、体術、剣術……あらゆることを一人息子の私に教え込んだ。
後になって知ったことだが、一般的にはひとつの学術にひとりの講師が就くらしい。それを父がひとりで教えていたのだから、父は相当優れた教育者だったに違いない。
一方、病弱だった母は私の教育に消極的だった。ただ健やかに生きられれば良い、といつも言っていた。
父の書斎を走り回ったり、屋敷中の書籍を並べて倒したりと、父が不在の間はやりたい放題だった。母からは少々やんちゃなイタズラをしても咎められることはなかった。むしろ元気があって良いと喜んでくれたものだ。
使用人たちは私が止めても実行することは分かっているので、見て見ぬふりをしている。
勿論、父に見つかれば説教が待っている。片付けが間に合っていれば咎められることはないが、父は音も立てずに一瞬で姿を現すので、イタズラが見つからなかったことはない。その度に父から長い長いお叱りを受ける羽目になった。
ただ、当時はそのスリルを味わっていたと言っても過言ではない。
厳しい父と寛容な母。
父は厳しかったが、私が努力すれば、しっかり誉めてくれた。私が何かを習得すれば、しっかり認めてくれた。私はその度に誇らしい気分になったものだった。
母はあちこちで傷を作ってくる私にそっと手当てを施してくれた。決して咎められることのない安心感がそこにはあった。
父と母の眼差しは違っても、私のことを愛してくれているという絶対的な自信があった。父と母がいれば、周囲の精霊に仲間外れにされたとしても平気だ。
しかし、ある日を境に父が私の教育から手を引いた。
父が水太子に任命されたのだ。
幼い私は知らなかったが、父は第二十九代水理王の近衛長兼第一補佐官兼首席書記官という側近中の側近だったらしい。皆が太子に選ばれるだろうと予想していたそうだ。
しかし、どういうわけか父は長い間立太子を拒否し続けていたらしい。拒み続ける内に役職が増えていったことは、今なら大いに予想できる。
父が散々拒み続けていたにも関わらず、水理王の退位時には、皆の予想通りのことが起こった。父が太子に任命されたのだ。難関と言われる王太子の試練とやらも問題なく乗り越えたらしく、父の立太子はあっさりしたものだった。
それから父は私のことを見なくなった。
最初の内は勉強、勉強とうるさく言われなくなって内心喜んでいた。
毎日必ず帰宅していた父が王館に泊まり込むことが多くなり、私は家で解放された気分を味わっていた。
だからある日、思いがけず父が帰宅した際、私は叱られるのを覚悟した。
ちょうど本と食器を組んで秘密基地を作ろうとしていたところだった。父の書斎からカーテンを切り取ってハンモックを結ぼうとしていた矢先、父が水流と共に帰宅した。
驚いた私はカーテンを切っていた鋏を取り落とした。運悪くそこに薄い皿が積み上がっており、分厚い鋏で十数枚の皿を割った挙げ句、その破片で近くに並べた本を五、六冊傷付けた。
父が集めた貴重な書籍ばかりだったと記憶している。
しかし父は荒らされた自分の書斎を見ても、私を咎めることはなかった。長く仕える下位精霊を呼び足して片付けを命じた。
何人かが出入りし、片付けが進む中、父は私に怪我はないか尋ねた。私は鋏で薄く切り傷を負っていたが、これくらいはいつものことだ。ないと答えると、少しの空白の後に母の元で手当てを受けるよう告げられた。
片付けが終わり、二、三本の巻物を手に取ると、父はすぐに王館へ戻っていった。
ポツンと部屋に残された。使用人はいたものの、急に孤独感が襲ってきた。母の元へ連れていかれ、傷の手当てを受けても一向に痛みは引かなかった。
ちちうえに嫌われた。
何度戒めてもイタズラを止めないから。
自分が悪い子だから。
ちちうえに嫌われたくない。
勉強を頑張るから。
もうイタズラしないから。
それからというもの、一切イタズラや悪さを止めた。代わりに独りで父と一緒に学んでいた指南書に齧りつくようになった。
おかげで母から体調が悪いのかと、とても心配された。咳き込む母に心配を掛けるとは、我が事ながら親不孝者だ。
その私の変わり様は王館の父の耳に届いたらしく、父から課題が示されるようになっていった。それは学術だったり、理術だったり、体術、剣術だったり……以前と同様、様々なものだった。
父はたまに帰って来て姿を見かけることはあったが、すぐに戻ってしまうので、話すことすらなくなっていった。しかし、父から課題を出されることで、少し認められたようで嬉しかった。
ほぼ独学で取り組むことは辛いこともあったが、その甲斐あって知識も体力も大いに身に付けることが出来た。
雨酔いすることもなくなり、少し強めの雨が降っても目を患わなくなった。
その折、太子になって間もないはずの父が、瞬く間に即位した。立太子を渋っていた分、先代水理王の理力・体力が限界寸前だったらしい。次代の教育に使う力が残っている内に……ということで退位を急いだらしい。
母がもう父は帰って来ないのだと言った。理王になった父は王館から離れられないらしい。
父が帰って来られないなら、私たちから会いに行けば良い、と母に提案したことがある。幸い私も母も高位精霊だ。王館に入ることに何の問題もないはずだ。
しかし母は困ったように笑った。王館には入れるけれど、謁見の手続きを取らなければいけない、と母は言った。
その謁見も申請に理由がないと判断されれば却下されるらしい。『父に会いたいから』などという理由で申請が通るとは思えなかった。
謁見でなければ側近や侍従としたと王館で働く、という方法があるらしい。しかし母は、もう少し大きく強くないと王館では働けない、と私の肩を撫でていた。
何とか父に認めてもらう方法はないか、と日々考えている内に、母が寿命を全うした。
突然だった。
使用人が言うには、本体である氷山が岩に衝突し、壊れてしまったそうだ。
何故、母だけが……と思ったが、母は私を生んだ際、大きく本体を欠いたそうだ。元々本体が弱っていたところへの事故。
私を生まなければ、もう少し長生き出来たかもしれない。危篤の母を呆然と眺めながらそんなことを考えた。
理王である父も船で自宅へ駆けつけた。母はもう話すことは出来なくなっていたが、辛うじて生きていた。
父は母の寝室まで船で乗り込み、決して船から降りなかった。理王は本来、王館から出られない。出るときは船で短時間だけだと、父は説明してくれた。
母の魄が理力に昇華されるのを見届けて、父は急ぎ王館に戻っていった。
それから使用人が多く辞めていった。ほとんどは母付きだった精霊たちだ。母の部屋はきれいに片付けられ、家具も数個しか残っていなかった。
父付きの精霊もひとりを残して、解雇となった。父が帰らないので、必要ないとのことだったらしい。
私はまだ幼くて、専属の精霊はいない。
残った使用人は少人数で屋敷の管理をしている。忙しく走り回っている姿を見ることもあった。
父がいたら室内を走るなと咎められただろう。しかし、その父も帰っては来ない。
私は屋敷で独りになった。
「雫との出会い」なのに雫が出てこないですね。雫が出てくるのはもう少し先になります。




