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水精演義  作者: 亞今井と模糊
二章 水精混沌編
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28話 罰と別れ

「もう一点気になるんだけど」


 もう一度、雫の位置を確認する。応接間から動いていない。ずいぶん長居をしているようだ。茶菓子の吟味でもしているのだろうか。


「火精か? 水精か?」

「水精の方。これを」


 空中から小指に乗るくらいの小さい水球を取り出す。正確には水球ではないが、この際それは置いておこう。親指と人差し指で摘まんであわに渡す。


「これがどうした?」


 一見するとガラス玉のようだ。綺麗といえば綺麗な玉を淡は指先で転がしている。


「『拡大氷鏡アイスルーペ』」


 淡に氷の拡大鏡を渡す。淡は首をかしげながらも受け取り、私に促されるまま水球を映し出した。


 その直後、水球を宙に放り投げた。更にズザザッと退いて安楽椅子ソファの上に足まであげている。それと同時に拡大鏡は握りつぶされたらしい。ジュッという蒸発音がした。


「そうやって火の理術を使うから、『あわ』の仮名かりなが剥がれかかってるじゃないか」 


 宙を泳ぐ水球を目で追いながら、人差し指で引き寄せる。幸いなことに水球は無傷だった。


「うるせぇ! んなことどーでもいい! 何つーもん見せんだよ! 寄生性原虫アメーバじゃねぇか!」


 淡が眉をひそめて、気持ち悪そうな顔をしている。


 それは仕方ない。寄生性原虫アメーバは精霊を喰う。


 本来は湿地に存在する生き物だ。その多くは川に生息する。川や湿地にいる分には問題ない。しかし川から出た途端、精霊を襲い、喰い始める。


 更に質の悪いことに、最初は精霊自身が喰われていることに気づかない。そして気づいたときにはもう手遅れだ。精霊は消滅するしかなく、本体は脱け殻となってしまう。


「……これが雫の頭に付いていた」

「はっ?」


 淡にしては間の抜けた顔をしている。言われたことが分からないというよりも、理解したくない、という顔だ。


「帰ってきてすぐに違和感があった。そうしたらこれだ」


 雫が執務室の前で跪いたとき、微かな異物の気配を感じた。さりげなく雫の頭部に触れたら、予想外の生き物を回収する羽目になった。


「これが付いてたって? 流没闘争りゅうぼつとうそうの時に使われて……被害が……」


 水球の中には薄紫色をした不定形の生物が動いている。ゆったりした動きで暴れる様子はない。


「いくら本体が無事でも、これに喰われれば精霊としては終わりだ」

「雫は?」


 あわがハッとしたように私に尋ねた。雫に付いていたという事実を受け入れざるを得なかったようだ。


「心配ない。特に被害はなかった。これは精霊が持つ理力に反応して補食活動をするからね。おそらく雫の理力が少な過ぎて反応しなかったんだろう」

「……戦闘のとき、他の精に反応しなかったのか? ていうか俺だって側にいたのに反応しなかったぞ」


 淡はホッとしつつも怪訝な顔をしている。安楽椅子ソファにあげていた足をやっと床に下ろした。


「雫の頭の上ではすでに活動していなかった。理力がほぼない水精の気配を川底か何かと勘違いして、落ち着いていたんだろう」

「やべぇ。……こんなの付けられてて気づかないのかよ」 


 全くだ。淡も先程言っていたが、もう少し警戒してほしい。そう思って火精に襲われる可能性も話しておいたのに、意味がない。


「早く処分しろよ。それ」


 淡が私の持つ原虫をあごで指し示した。淡から見れば百害あって一利なしといったところだろう。


 だが、水精の王としてはそうもいかない。


「いや、これ自体は悪くない。川や沼にいれば水を健やかに保つ。でも、水から上がるとパニックになって精霊を襲い出すんだ。だからしかるべき場所に戻さないと」


 むしろ川にいて欲しい生き物だが、自分で積極的に動くことはない。雫に付いていたなら、誰かに直接付けられたと考えるのが妥当だ。 


 雫の気配が徐々に近づいてきたのが分かった。心なしか少し楽しげな感じがする。


「雫の警戒心を養う必要があるね」

「あ、思い出した。先々代にも贈り物をしたいって言ってたぞ。言われたわけじゃねぇけど、また市に行きたいとか言い出すんじゃないか?」


 呑気なことだ。

 その性格は嫌いではない。だが、今回は……今後はそれも改める必要がある。


「……二度も襲われたとは思えないね」

「危機管理の教育は理王がしてもいいんじゃねぇ?」


 淡が安楽椅子ソファの背に頭を預けている。原虫のことですっかり疲れてしまったようだ。


「そうだね。少し反省させないと。……一芝居うとうか」


 扉に視線を向ける。雫の気配がすぐそこまで近づいてきた。




 ◇◆◇◆




 お菓子で一杯にした容器を両手で持って執務室の前まで来ると、中から怒声が聞こえてきた。


「どういうことだ!」


 びょうさまの声だ。聞いたこともないような大きな声だ。入るのを躊躇ためらってしまう。


「どういうことだと聞いているんだ!」

「……申し訳ありません」


 淡さんの声もする。

 何かを謝っているみたいだ。


「私は出発前、あわに何と言った?」

「……『雫のことを頼む』と仰いました」


 まずい。


「そうだ。火精から狙われる可能性も考えて淡を護衛につけた。にも関わらず、火精に襲われたとき側にいなかっただって?」

「……仰る通りです」


 淡さんが怒られている。市で火精に襲われたことでやっぱりお叱りがあるんだ。


「しかも今の話だと、水精にも襲われたそうだな。そのときも側にいなかったのか?」

「はい」


 淡さん、僕が兄弟に襲われたことも話してくれたんだ。僕はその話をびょうさまにしていない。身内のことなので、余計な心配をさせたくなかったから。


「何のためにあわをつけたと思ってるんだ!」


 どうしよう。淡さんは悪くない。悪いのは僕だ。


 淼さまの声はいつもより低くて、大きくて、冷たい。


「その外套の状態から想像するに、相当な攻撃を受けたはずだ。お前が任務を怠ったせいで!」

「弁明のしようもありません」


 僕は菓子入れを片手で持ち直し、ノックをしようかしまいか悩んでいる。


「謝罪も弁明も聞きたくない。私の命令を無視したのだから」

「っ失礼します!」


 いつもなら絶対しないけど、居ても立ってもいられずノックとほぼ同時に扉を開ける。


「あぁ、雫。おかえり」


 淼さまの声は低いままで、僕を見ようともしない。あわさんの姿は安楽椅子ソファにはなかった。淼さまの隣で膝をついている。


「あ、あの」

「雫、水精の件は淡から聞いた。さっき話してくれた火精の件も」


 珍しく淼さまが、僕の言葉を最後まで聞いてくれない。僕が怒られているわけではないけど、淼さまが少しだけ怖い。


「あ、の、僕が」

「我が儘を言ったというのはさっきも聞いた。でも、それを止めるべきあわが、止められなかったというのは大問題だ」

「いかなる処分も受ける所存でございます」


 びょうさまと僕は同時にあわさんを見た。淡さんは跪いたまま顔もあげない。


「なるほど?」

「っ……淼さま! 申し訳ありません。悪いのは僕なんです!」


 淡さんの隣に一緒に膝を付く。菓子入れは投げ出してしまった。音を立てて床にお菓子が散らばる。でもそれを気にしている余裕はなかった。


「……確かに雫も悪い。ただ、雫は『無事に帰る』という命令を守った。だから罰することは出来ない。それがルールだからね」

「そんな……」


 淼さまは理王だ。いくら優しくても穏やかでもルールを犯すことはしない。


伯位アルあわ

「はっ」


 淡さんが頭を更に低くした。

 背中が寒くなった。


「雫の受けた怪我の治療、および火精からの救出に免じ、位は残す。その上であわの名を没収する。私が良いというまで謹慎きんしんせよ」


 ゴオッという音と共に隣にいたあわさんが水の柱に飲み込まれた。淡さんの顔が一瞬、苦痛に歪む。


「ぅ……」 

「あっ……あ、あっ」


 名を呼ぼうとした。でも、呼びたいのに……呼びたいのに知っているはずの名前が分からない。


「雫も……少し反省するように」


 水の柱がおさまるとそこには誰もいなかった。びょうさまの声はいつもの高さに戻っていて、少しだけ切なさを孕んでいた。

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