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水精演義  作者: 亞今井と模糊
九章 众人放免編
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281話 人間の魄失

「漕、そこにいるか? 各王館へ回れ。現在、人間の魄失と思われる六体を勾留こうりゅう。各王、意見を求める……行け」

 

 控えめだけど荒っぽい水音がして、漕さんが慌ただしく出ていった。


「ベルさま。これ……と残りの六体はどうしますか?」

 

 恐らく人間だったモノは消えそうにない。悪臭が漂っている。片付けられるものなら綺麗にしてしまいたい。

 

「各理王の意見を聞くまではそのままにするしかない。特に火理の意見を」

 

 衡山から出て来たものだから、火理王さまの意見は重要だ。仕方ないけどこのままだ。

 

「でもこの臭いはきつい。ただ腐っただけではこんな臭いにはならない。一体、どういう生き物なんだ、人間は……」


 ベルさまはそう言いながら、僕を連れて牢の外へ出て、その過程で牢を氷付けにした。純度の高い氷に悪臭が阻まれて、尚且つ中がはっきりと見える。

 

 外の空気が清々しい。空気が美味しいというのはこのことだ。肺を爽やかな空気で満たしてから、ベルさまと共に執務室へ戻った。

 

「おかえりなさいませ。雫さま、菳を木の王館へ送り届けて参りました」 

「……ご苦労様」


 執務室では潟さんが待っていてくれた。いつも通りのにこにことした穏やかな笑顔にほっとする。

 

 ベルさまも僕もそれぞれ執務席に掛ける。それから会話がない。何を話していいのか分からない。

 

 席について書類を捲ってみても内容が頭に入ってこない。目を覆うように額を抑えた。

 

 人間の存在を確認した。いや、してしまった。

 

 人間が攻めてくる……かもしれない。

 でも何のために……。

 精霊を追ってきたのか、それとも、別の目的があるのか。

 

 捕まえた人間は、全部俺の物だと叫んでいた。その直前、魄失だったときは我々のものだとも言っていた。

 

 何かを奪いに来たのか。

 ……だとしたらそれは何だ。

 

 考えがまとまらない。

 黄龍でさえ分からないことを僕が分かるわけがない。

 

「雫さま」

「……何?」

 

 潟さんから声をかけられて、顔を上げる。心配そうな顔で僕を見ている。それからベルさまと僕を交互に見て、しばらくすると僕の側へ来た。

 

「御上と喧嘩でもなさったのですか?」

「は?」 

 

 ベルさまに聞こえないように耳元で囁いたのだろうけど、僕が大きな声を出してしまった。

 

「何で僕が御上と喧嘩するの?」

 

 理王と喧嘩する太子。……謀反としか思えない。

 

「聞こえてるよ、潟。何故、私が雫と喧嘩しなければならない」

「いえ、違うのなら良いのですが。お二人ともご様子が常と違いますので……。特に雫さまは顔色も良くありません」

 

 潟さんが僕の顔を覗き込む。目を逸らして自分の頬を撫でた。潟さんを心配させるほどひどい顔をしているらしい。

  

「ちょっと気分が悪いものを見て来たんだ。潟さんが見なくて良かったよ」

「そうですか……」

 

 潟さんは少しの間、僕から離れると茶器を二つ持って戻ってきた。茶器から湯気が上がっている。

 

「温かいものをお持ちしました。それから菳を送った際、果物を持たされましたが、ご用意いたしますか?」


 ベルさまの席に茶器を置くと、僕に茶器を渡す。受け取った茶器の温かさにほっとする。

 

 でも果物に限らず、何かを口にしたい気分ではない。

 

「いや、今は良い。ありがとう」

「では剥かずにお持ちします。香りを嗅ぐと心が落ち着きます」

 

 潟さんが果物をいくつか大皿に盛ってきた。確かに芳しい。甘い香りと爽やかな香りが調和して、息をする度に心が落ち着く気がする。

 

「潟は意外に気が利くな」

 

 ベルさまが『意外』という言葉を強調しながら、深呼吸をした。


「私が荒ぶったとき、そえるがこうしておりましたので」


 なるほど。添さんが元ならこの心配りは納得だ。決して潟さんが出来ないというわけではないけど、誰しも向き不向きがある。

 

 それなのに、これまでの経験を最大限に活かせる潟さんは、やはり優秀なのだろう。

 

「雫。もし良ければ、書記官に仕事を与えてもらえないか?」

 

 ベルさまが遠慮がちな提案をしてきた。理王の命令を聞かないわけはない。けど、 添さんは僕の書記官だ。それを踏まえて僕からの命令にしろという意味だろう。

 

「何でしょう」

天地開闢てんちかいびゃくに関する全ての資料に目を通し、人間に関する記述があるものを厳選してほしい。どんな些細なことでも良い。人間に関する情報が欲しい」

 

 天地開闢てんちかいびゃくに関する本は僕も読んだことがある。潟さんに解説してもらいながらだったけど、ほとんど神話レベルの話だった。

 

 普段の生活では必要のない情報ばかりだった。もし、父が初代理王でなかったら作り話だと思ったかもしれない。

 

「……潟さん。僕からの依頼ってことで添さんにそう伝えてもらえる?」

「それは構いませんが……かなりのお時間をいただくことになると思います。宜しいですか?」

 

 当然だ。ベルさまは天地開闢の関連情報全てに目を通せ、と言った。どれくらいの量なのか想像できない。 

 

「急は要しないが、時間があるわけではない。五山の異常に関係するものと心得てほしい……と太子も思っている」

「思ってます」

 

 ベルさまの言葉に僕の言葉を上乗せする。ベルさまが直接命令すれば良いのに、いちいち面倒だ。

 

 ベルさまも書記官か側近を置けば良いのに、と一瞬思った。でもすぐに自分の考えを否定する。

 

 この執務室で、ベルさまの隣に誰か立っているのを見ることになる。それは嫌だ。僕がそこに立ちたい。太子なんて辞めても良いから、僕がベルさまの隣にいたい。

 

 そう考えると、ベルさまが誰も側に置かないのは僕にとっては嬉しいことだ。顔がにやけそうになる。潟さんが声をかけてきたので、ぐっと表情筋を引き締めた。

 

「私も手を貸して宜しいでしょうか。勿論、雫さまのお世話を優先いたします」

「そうしてあげて。僕、自分のことは出来るから大丈夫だよ」

「そう言われると寂しい気もします……」

 

 潟さんが出ていくと、また静寂が広がった。さっきと違うのは果物の香りだけだ。


「ベルさま。本当に人間が攻めてくるのでしょうか」

「さぁ。未来さきのことは分からないよ」

 

 それは誰にも分からない。

 

 ……いや、アイテールさんとニュクスさんが力を合わせればもっと先の未来が分かるかもしれない。

 

 でも黄龍は影響のない近未来までしか見せられないと言っていた。それに第一、グレイブさんのような犠牲を出してまで、地獄タルタロスは行きたいとは思わない。

 

 結局、自分達で何とか対処するしか……いや、待て。

 

「ベルさま。僕、もう一度父上のところへ行ってきます」


 勢いよく立ったので椅子を倒しそうになった。行ってきますと言ったものの、ベルさまに開けてもらう必要がある。

 

「開けるのは構わないけど、どうした?お父上からは『先のことは自分で何とかしろ』と言われたんじゃないの?」

 

 父上との会話はベルさまにも伝えてある。覚えてくれたようだ。

 

「はい。もう一度会って聞きたいことがあるんです」


 黄龍閣下に父を頼れと言われたのは事実だ。もう一度、会って話を聞かないといけない。

 

『ボクに話?』

「そうです。父上に……え?」

 

 返事をした途端、執務室の床を水柱が突き抜けた。

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