267話 合成理術の力
「お待ちください、皆様。塩でしたら土太子の方が得手……」
「それも今から比べるのよ」
潟さんの言うとおり、塩だけなら土精の出番だ。でもその言葉を遮って垚さんがずいっと前に出る。
「ここに塩が小墫ひとつ分あるわ。これを混凝土にかけるわね」
垚さんがさらさらと塩を撒いていく。数個の混凝土が表面だけ真っ白になった。
「潟。この小墫に塩水を分けてくれる?」
垚さんは空になった小さい墫を潟さんに傾けた。これならさっきの塩と同じ分の体積が確保できる。
潟さんが塩水を注いでいく。墫はあっという間にいっぱいになってしまった。
「ちょっと、入れすぎよ。溢れてるじゃない!」
「墫を立てないからですよ。それにその位置では私からは見えません。静止の声を掛けるべきでしょう」
墫に塩水を入れるだけで、わいのわいのと大騒ぎだ。謁見の間に塩水が広がっていく。
「前から思ってたけど、潟さんと垚さんって仲良いよね」
近くにいた焱さんの袖を引いて、耳打ちする。背伸びしなくても焱さんに届くようになった。おかげで話しかけるのが楽だ。
「まぁな。潟は不良……いや、やんちゃだったけど、子供の頃から専任の指南役がいて、かなりの高等教育は受けてるらしいぞ。だから垚はあれで潟のこと認めてるとこあるな」
まだ潟さんと出会ったばかりの頃だったと思う。
父親が理王になったから、直接指導はしてもらえなかったと言っていた。理王は引退してから太子を教育するから、いくら自分の子でもその理に背くことは出来ない。
恐らく、その代わりに指南役が付けられたのだろう。先生のことだ。きっと潟さんの最適な人選をしたに違いない。
「ねぇ、遊んでないで。さっさと終わらせようよ」
まだ騒いでいる垚さんと潟さんを竹伯が止めた。いや、騒いでいたのは垚さんだけだ。潟さんは軽くあしらうように、手を振り払っている。太子に対する態度とは思えないほど、素っ気ない。
「ホントにね。こなたも早く戻りたいわ。いくら処分が終わったとは言っても、まだ金理王をひとりにしておきたくないわ」
鑫さんが少しイライラし始めた。整った眉が少し歪んでいる。本格的に怒るとまた面倒なことになりそうだ。
「僕もそろそろお暇したいですね」
便乗して意見を合わせる。潟さんとばっちり目をあわせた。
「な、何よ。元はと言えば潟が」
「墫を貸してください。さっさと終わらせましょう。雫さまもまだお仕事が残っております」
僕の意図を汲んで、潟さんが話を進めてくれた。仲が良いのは喜ばしいけど、話が進まないのは困る。
潟さんはいっぱいになった墫を軽く持ち上げ、垚さんの目の前においた。どうだと言わんばかりだ。
垚さんは文句を言いたそうだったけど、皆の視線に圧されて、咳払いで誤魔化した。
「じゃあ、残りの混凝土を貸して。これにこの塩水を掛けるわね」
宣言通りに二、三個の混凝土に垚さんが塩水を撒いていく。
控えめな水音を立てて、塩水が混凝土の表面を深い色に変えていく。
「見てて」
垚さんが真面目な顔で混凝土を見下ろしている。その顔を見ていると、さっきまでの騒ぎは何だったのかと思う。無駄な時間を過ごした気がする。
こうしている間にも衡山がまた噴火しているかもしれないというのに……。
それにもしかしたら、先生だって恒山で何かの事件に巻き込まれているかもしれない。
免が泰山で何かを企んでいるかもしれない。
考えてもどうしようもない。恒山は立入禁止だと言うから、僕が何かを出来るわけではない。だけど、ここでこうして他所の王館で実験に参加しているのはどうなのだろう。
一度考え始めると、ソワソワが止まらない。やっぱり無駄な時間を過ごしている気がする。もう僕の出番がないなら、帰らせてもらおう。
「僕、そろそろ」
「あ、ヒビが入ったね」
竹伯の一言に全員の視線が集まった。
竹伯の小さな指の先は塩水を掛けた混凝土のひとつを指している。
「本当……表面が剥がれ掛けてるわ」
鑫さんが混凝土の近くに寄った。触れないよう気を付けながら、滑り落ちてくる髪を押さえている。
「あ、こっちも剥がれたぞ」
焱さんも別の混凝土を覗き込んだ。塩水が掛かった表面も、円柱から流れ落ちた跡も薄く剥がれ掛けていた。
免との戦闘で起きたことと同じだ。
「あの戦いの検証になったわね」
垚さんがボソッと呟いた。
無駄な時間だと思ったのは間違いだった。
免のことを詳しく知るために、混凝土を作成するのが目的だったはずだ。行程と時間にばかり気を取られて、本来の目的を忘れるところだった。
目先の出来事だけではダメだ。ちゃんとその先を見て行動したり、考えたりしなくてはいけない。
太子としての心構えをそれなりに持ったと思っていた。けど、皆に比べれば、ぼくはまだまだということだ。
「塩水ではなく、塩の方はどうなのですか?」
潟さんの質問を聞いて、垚さんが混凝土の上の塩を払う。
「こっちは割れてないわね」
垚さんがそういった瞬間、混凝土のひとつが音を立てて崩れた。塩水を掛けた方だ。
割れたところも色が変わっていて、中まで塩水が浸透していったことが良く分かった。
「どういうこと?」
「塩では割れねぇのに塩水では割れるのか?」
「ただの水じゃダメなのかな?」
「それも比べるのよ。淼、残った混凝土に真水を掛けてみて」
垚さんに言われて、まだ手付かずの混凝土に真水を掛ける。塩水と同じように色は変わったけど、いくら待ってもヒビか入ることはなかった。
「思った通りね。混凝土は塩だけでも水だけでも割れない。塩水でなければ割れないのよ!」
「なるほど。ひとつの属性だけでは壊せないということですか」
これを検証したかったのか。この前、免との戦いで起こったことと同じだ。ヒビの入り方から、壊れ方まで一緒だと思う。
「免は戦闘で合成理術を使うのよね?」
「あぁ。俺と鑫が月代で戦ったときは使ってたな。この間会ったときは感じなかったけど、この混凝土そのものが合成理術ってことも考えられるな」
でも焱さんの考えでは、混凝土から理力が検知できなかったことと辻褄が合わない。
「裏を返せば二属性以上でなら壊せるということかな。例えば、土と火とか」
「それはまた検証してみないと分からないわね。今日はやらないけど」
竹伯の疑問は尤もだ。
でも試すにしても、もっと混凝土の数が必要だ。
「合成理術か、それに近いもので……ね」
「合成理術だと、俺たちの通常の攻撃では対処しきれねぇぞ」
合成理術は二人以上でないと使えない。二属性攻撃が可能な混合精でも、合成理術を使うことは出来ない。
その攻撃をひとりで防げるかどうか。例えば僕は火の攻撃には強いけど、土の攻撃には弱い。金の理力は水精を助けるから、除いて考えて……。
土と木の合成理術を使われたら、かなり不利だ。焱さんの言うように対応できないかもしれない。
「他属性が手を組んで太子を襲うってことですか?」
「過去にはそういうこともあったわね。視察中に合成理術で仕掛けられて、重傷を負った太子もいるのよね」
何だか嫌な話になってきた。




