265話 見合いの後
垚さんが慌てて止めてきた。冷やせと言われたのであって、凍らせろとは言われていない。それは分かっている。
「大丈夫です。凍らせてはいません」
これは焱さんが本気で熱した高温の物質だ。本気で凍らせたかったら、『絶対冷凍』くらいの上級理術でないと出来ないだろう。
今回はわざと威力を抑えた初級理術にした。これなら高温と相殺されて、凍らずに冷やすだけで済むはずだ。
「垚さん、冷えました!」
「あ…………そ、そう。良かったわ」
垚さんが拍子抜けした顔をしていた。盥の中身に直接触れて、冷たさを確かめている。
「理力相殺まで考慮したの? この短時間でよくそんな計算が出来たわね」
鑫さんが感心したように僕を見ている。
垚さんは盥から冷えた物体を取り出して高さのある台に移していた。
金剛石の盥の中は空だ。水は一滴も残っていない。
「細かい氷もすぐに溶かされていたし、水になってからも一瞬で蒸発していたので、これくらいかなと……うまくいって良かったです」
「雫さまは失敗しません」
潟さんの感想は間違っている。ハードルが上がるだけだ。止めてほしい。
でも失敗することは考えていなかった。よく考えたら恐ろしい。初めからやり直しか、それとも中止か。
垚さんに怒られるのは目に見えている。それより、ここに集まっている精霊全員に迷惑をかけたかもしれない。
「淼さまは器用なことするね。流石、この世界を救う精霊なだけあるよ」
竹伯が関係ない感想を呟いていた。そういうの止めてほしい。その隣で何故か潟さんが胸を張っている。
「たまたまです。先生の講義で氷とお湯を混ぜたら、温度がどうなるかっていうのがあって、それで蒸発熱について習ったんです」
ものすごく複雑な計算をさせられた覚えがある。それまでに数学術を学んでいたのに、それ以上に難しかった。
「なるほど、熱化学か。深いね」
「感心してないで、こっちの作業に注目してちょうだい」
すっかり冷えた物体を垚さんが砕いている。台の上に乗せて、ガリガリと細かく削っている。
確か……粉砕して、また何かを混ぜるはずだ。
「細かく砕いて、少量の石膏を混ぜるのよ。そしたら砂と砂利と水を加えるわ。しばらくはあたしの作業よ」
垚さんが両腕で抱えるほどの物体を、全部粉砕するまで待っていないといけないらしい。また時間のかかる作業だ。
「明日になっても終わらねぇな」
焱さんが呆れたように呟いた。ついさっき竹伯が似たようなことを言っていた。
「ねぇ、垚。金槌を貸してあげるから、一回小分けしたら?」
見かねた鑫さんが、どこからともなく金槌を取り出した。垚さんはそれを借りて作業を進める。
少し効率が上がった……気がした。
「そういえば焱さまの方はどうなったのかな?」
「どうって……見合いのことか?」
焱さんは組んでいた腕を中途半端に浮かせた。少し驚いているようだった。
「流石に情報が速ぇな」
「これでも重臣の地位を与えられているからね。しっかり働かないとね」
「……うちの古狸どもに聞かせてやりてぇな」
焱さんが遠くの空を見上げた。現実逃避したいことでもあったのか。
見合いの後、寝所に忍び込んだ相手を焼き殺したとは聞いた。その過程と真偽とその後が気になる。
「焱さん。僕もその話、聞きたいな。お見合い相手って養父上の紹介だったんでしょ?」
「俺もそう思ったんだよ。それがまずかったな……」
垚さんと鑫さんをチラッと見た。まだ終わりそうにない。手伝えることもないので、話を聞いてしまおう。
「違ったの?」
「あぁ。おじーさまの紹介だっていう奴が手紙で接触してきてな。日程を組んで会ってはみたんだけどよ」
焱さんは頭をガリガリ掻きながら、決まりが悪そうにしている。
「おかしいとは思ったんだよな。俺の寿命を考えてた割には相手が女だしな。それに何で木精なんだとも思ったんだよ」
「あぁ、でも雨伯の紹介だって言われたら無下には出来ないよね」
竹伯が顎に手を当てて、うんうん頷いている。
「それで?」
「で、まぁ。会ってはみたんだけど、良くも悪くも全てが普通の奴でな、背中を預けられるとは思えなかった。だから返事は後日することにして、お開きにしたんだけどよ」
その返事はお断りの返事だということは予想がついた。
「それで夜這いにあったわけですね」
「……潟さん、ちょっと下がってて」
潟さんはずっと黙っていたのに、突然、焱さんの話を促し始めた。目がワクワクしている。相手にすると面倒くさそうなので、ちょっとだけ下がってもらった。
「まぁ、潟の言う通りなんだけどよ。その前に見合いの後、王館を案内してくれって何度も言われてよ」
「案内中にそういう関係に至ったのですか?」
「……潟さん、ちょっと黙ってて」
潟さんが本格的に面倒な状態になってしまった。戦闘だと頼りになるのに、たまにおかしくなるのがキズだ。
「いや、忙しいから断ったんだよ。侍従でも側近でも良いから、案内してくれって引き下がらねぇ」
「それって、怪しいよね」
「僕もそう思う」
竹伯と意見が一致した。恐らく焱さんもそうだったはずだ。
「だろ? だから帰らせたんだよ。いくらおじーさまの紹介ってもよ。……桀が地獄から帰ってきたら、素性を調べてもらおうと思ってたんだよ」
「でもその日の内に、忍び込まれたわけだ。迂闊だったね、焱さま」
焱さんが悔しそうな顔をしている。本気で怒っているみたいだ。勿論、竹伯の言葉にではなく、自分の不甲斐なさと相手への怒りだ。
まぁ、確かに、大して仲良くもない精霊が自分の布団で寝てたら嫌だ。
「でも焼き殺すのは……」
やり方は良くないけど、別に焱さんに敵対したわけではない。焱さんの命を狙ったわけでもないのに、相手の命を奪うのはどうなのか。
「敵だと思ったんだよ。頭に来て燃やしちまった。けど、おじーさまに弁明したら、『そんな奴知らないのだ』って返ってきてよ」
焱さんの声真似に、キョトンとしている雨伯の顔が浮かんだ。
「……それで手紙をよく見たら、雨伯の紋章が偽造だって気づいてよ」
「最初に気づかないなんて、焱さまって実は間抜けなんだね」
竹伯の真っ直ぐな言いように焱さんは反論できていない。僕がフォローすべきなのか?
「あ、雨伯の紋章を偽造する勇気のある精霊なんて、ほとんどいないんじゃないですかね?」
フォローなのに疑問系。
自信を持てていないのが際立ってしまった。
竹伯は、まぁそうだねと言いながら深くは追及してこなかった。
「焱さま、相手のことだけど。先日、木理王に残存理力の分析と素性の確認を依頼したね? 今朝、結果が出ていたけど、もう受け取った?」
「いや、まだだ。……竹伯は知ってるのか?」
竹伯は軽く頷いて、話の主導権を焱さんから引き継いだ。
「見合い相手の木精……檀だったよね。焱さまが持ち込んだ黒焦げ寝具と、木精の台帳を照らし合わせたらね。すごいことになってたよ」
「すごいことって何ですか?」
勿体ぶらずに教えてほしい。急かすように竹伯の顔を覗き込む。
「残った理力は純粋な木精の理力ではなく、木精台帳の名も字が勝手に変わっていたんだ」
「というと?」
今度は焱さんが話を促す。
竹伯でも言いにくいことがあるのか。
「彼女の名は欃……字面からすると、免の手先じゃないのかな」
驚いて声が出ない。金槌を持った垚さんから声をかけられるまで、息をしていなかったかもしれない。




