249話 竹花と笹花
風が強く吹いて、笹の葉を揺らす音が響いた。少しだけ耳障りだ。
「坊っちゃん。私はただの叔位ですよ」
「じゃあ、どうして黄龍が等さんの笹麦を持っていたんですか?」
声を大きくしてみる。等さんよりも焱さんの方が驚いていた。背後から潟さんが近づいてくる気配があった。
急に声を荒げたので、何かあったのかと心配させたかもしれない。大丈夫だという意味を込めて片手を上げた。
「等さんは黄龍とも繋がりがあるんですよね。そんな精霊が普通の叔位なわけないですよね」
等さんの顔から笑顔が消えた。急に冷めたような目になって緊張が走る。
「私も口が滑りましたな。坊っちゃん、私は本当に叔位なのですよ」
「でも理力は……」
高位に匹敵するはずだと言おうとした。それを察した等さんは首を振って否定する。
「理力量は関係ありません。私が高位である必要はないのです。高位は兄で足りております」
等さんはピシッと言い放った。ここまで言い切る等さんは初めてだ。
「その言い方だと低位でいることに意味がありそうだな」
焱さんがフォローしてくれた。市で初めて等さんに会ったことを思い出す。
等さんは急に目を細めて焱さんを見た。コロコロ表情の変わる精霊だ。
「……懐かしいですな。初めてお会いしたときも焱さまがご一緒でした。今や侍従をお持ちの身、ご立派になられました」
等さんがチラッと僕の後ろに目を向けた。多分、潟さんが立っているはずだ。潟さんがどんな顔で等さんを睨んでいるのか、想像できてしまった。
「焱さまが仰る通り、私は王館よりも巷にいることが役目と心得ております。高位の間には流れない情報も多く手に入りますので」
垚さんと一緒に土の市へ行った時、等さんは横の繋がりがとても強かった。暮さんを捕まえるため、あっという間に辺りの店から協力を取り付けてしまった。
「竹伯が情報収集を命じたのか?」
「いいえ、我々一族は……探していたのです」
等さんが視線を落とす。視線の先では兔たちが休んでいた。粗方の食事を終えて、満足げだ。深く穴を掘って何羽か入っていった。あとで回収するのが大変そうだ。
うん、垚さんに任せよう。
「もうここまでお話ししては隠す必要もありますまい。順を追ってご説明いたします『木訥』という役目はご存じですか?」
僕は知らない。焱さんも首を振っている。後ろを振り向くと、潟さんも知らないようだった。
「失われた役職です。火付役や水先人のような御役のひとつでした。木理王の手足となり、目や耳となり、盾となり剣となり仕えた役職で、我々竹の一族が担っていました」
侍従と側近と御使いと護衛を一手に引き受けたような仕事だ。体がいくつあっても足りなさそう。
でも潟さんも近いものがある。名目は護衛だけど、色々意見もしてくれるから側近みたいなところもある。
思わず潟さんを振り返って見てしまう。不思議そうな顔をされてしまった。何かご用ですかとでも言いたそうだ。自分の侍従武官を大事にしよう、と密かに心に誓った。
「当然、身を削る程の激務で木精の中では寿命は短い方でした。その負担を減らすために作られたのが木偶です」
木偶は過去の木理王さまが作ったのは知っていたけど、そんな経緯があったとは聞いていない。
蛞蝓の莬が入っていた状態しか知らないから、正直のところあまり良い印象はない。
「それで、その木訥はどうなったんだ?」
焱さんが興味深そうに尋ねた。何羽か残った兔が焱さんの足元にくっついている。
「木偶が活躍するようになって自然と廃れていきました。記録すら残っていないでしょう。御役が木訥から木偶に変わっても、木理王への忠誠心は、こうして代々引き継がれております」
その結果が僕たちの知る木偶だ。今の話だけでは判断できないけど、木訥のままの方が良かった気がする。
「そして、木訥の地位が失われても引き継がれた仕事が二つございます。ひとつが精霊界の危機を感知すること。もうひとつがその際に、救い主となるべき精霊を探し出すことです」
等さんはひと呼吸おいて手を鳴らすと、笹を全部片付けた。気づけばもう笹を噛っている兔は一羽もいなかった。
代わりに穴がさっきより増えていた。皆、思い思いの場所で休んでいる。焱さんの周りだけ何故か兔が増えていた。暖かいのかもしれない。
「精霊界の危機?」
鸚鵡返ししてしまった。等さんは真面目な顔で頷いた。
「はい。精霊界に何らかの危機が訪れると竹の……兄の花が咲くのです」
例が聞きたかったのに、具体的な明示方法を教えてくれた。
「なるほど。竹の花は凶兆と言われます。それはそう言った所以でしたか」
ここまで黙っていた潟さんが急に口を開いた。自分の知識と今の情報が結び付いて嬉しかったのだろう。
「竹花が最初に咲いた記録は、第三代金理王さまのときです」
「それは鋺さんの事件のことですね」
今となっては懐かしい。金亡者の鋺さん。僕にとっては優しくて便りになる精霊だった。
でも鋺さんの罪は金精だけではなく、精霊界を危機に貶めるほどの罪だったようだ。
「そして兄の花は、流没闘争が勃発したときから咲き続けています」
「待て。危機が去ったら花は枯れるんじゃないのか?」
今度は焱さんが指摘した。流没闘争は二百年前の話だ。そんなに長い年数咲いたままってどういうことだろう。
「仰る通りです。しかしそれもあって兄は、本当の危機はこれからだと推測しておりました」
今、竹花が咲いているなら危機に陥っているか、それとも、これから陥るのか。いずれにしても良くないことに変わりはない。
「そして、もうひとつ。その最中、今度は笹の花が咲いたのです。笹の花は、危機を救う『遂行者』が現れたことを意味しています。我々のもうひとつの役目はその遂行者を探し出すことです」
「笹の花が吉兆と言われるのはそのためですか……」
潟さんが不思議そうな顔をしている。等さんは軽く目を閉じながら頷いた。潟さんは顎に手を当てて考え込んでしまった。救い主が現れたのなら、僕は良かったと思うけど、何か問題がいるのか。
「ずっと探してるって言ったのはそれか」
「はい。兄は高位の繋がりを利用し、私は巷で市を開きました。市には情報が集まりますからな」
等さんと市で出会ったのはそういう理由だったのか。だから竹伯が忙しくなってからも、手伝いという名目で土の市へ足を運んでいたと……。
「しかし、それらしい精霊をどうやって見分けるのですか」
潟さんが再び口を開いた。確かにその疑問には頷ける。
まさか『私は救い主です』なんて書いてあるわけではないだろう。特別な理力でも持っているとか、傑物っぽい雰囲気が出ているとか。
「遂行者を見つけると花が実をつけるのです」
「なら見つかったんだろ?」
「ってことはその精霊は見つかったんですか?」
声が焱さんと被ってしまった。等さんはそれをしっかり聞き分けた。
「はい、見つかりました。理王が隠していたので、十年もかかってしまいましたが」
追記 木訥の読みを変更しました




