247話 季位の兔たち
「痛ででででで!」
「本当にっ! いったいわね!」
焱さんと垚さんに大量の兔が襲いかかった。主に飛び蹴りだ。一羽一羽は小さな力でも多数の兔に攻撃されては、多少でもダメージがある。
潟さんが僕の隣で大剣を大きく振りかぶった。この位置から攻撃するつもりらしい。でも……。
「ダメだ、潟さん」
「雫さま?」
兔の群れから、免のような理力は感じない。引き込まれるような不純で魅力的な理力は一切ない。あるのはただ弱くて消えそうな木と土の理力だ。
「焱さん、垚さん! 攻撃しちゃダメだ!」
屋根の上から二人に向かって叫ぶ。高みの見物をしているみたいで心苦しい。
「分かってるわ、よ!」
「あぁ、こいつら、ただの季位だ!」
焱さんも垚さんも致命的な怪我はないけど、地味に傷が増えている。
季位がいくら集まっても、戦闘なら二人の相手にはならない。でも戦わずに……となると難しい。迂闊に手を出せば、忽ち消えてしまいそうだ。季位の精霊がこんなに儚い存在だったとは思わなかった。
決して見下しているわけではない。僕も季位だったから。
あの当時、ベルさまや焱さんが、僕に接するときには理力を抑えてくれていた。それは知っている。けどこうやって多数の季位を目の前にすると、如何に自分に気を使ってくれていたか。改めて感じ入ってしまう。
「くっ、『不越高壁』!」
垚さんが高い土壁を編み出した。一部分の兔が四方を壁で囲まれる。でも囲われたのはごく一部の兔だけだ。あまり効果を感じられない。
「だめね。地下に何か埋まってるわ。免、ふざけた真似をしてくれたわ!」
「無駄口叩いてねぇで、っ何とかしろ!」
焱さんが威嚇の炎を上げる。見た目は大きな炎だけど、温度は低くて持続時間は短い。兔たちは火が怖いのか、一瞬、火から離れる。でも火が消えれば効果はない。
垚さんは垚さんで、思うような威力を発揮できなかったらしい。免の物質が埋まっていて、垚さんの理術を邪魔しているようだ。
「潟さん、さっき混凝土? とかいう物質が埋まってるみたいだ。潟さんの塩水でなんとかならないかな?」
潟さんは立てた片膝に手を乗せて、屋根から身を乗り出していた。僕が問うと、少し身を引いて真剣に考え出した。
先程までの免との戦闘で、塩に弱いことが分かっている。実際、免もそう言っていた。地下の混凝土を崩してしまえば、垚さんの理術で兔が防げるようになるかもしれない。
「どれ程の深さか分かりかねます。水攻めにすればあるいは……しかし太子はともかく、兔は溺れてしまいますが」
潟さんは出したままだった大剣をしまいながら、恐ろしいことを言った。いくらなんでも荒すぎる。
「そんなことしたら駄目だ。兔は泳げないよ」
「しかし免の体から出てきたのなら奴の配下なのでは?」
免の配下だったらまだ良かった。質の悪いことに普通の木精と土精だ。敵意も殺意も感じない。ただただパニックを起こしているだけかもしれない。
「多分、違うと思う。焱さん、垚さん! こっちへ!」
僕たちのいる屋根に上がれば、ここまで兔は届かない。二人を乗せて引き上げようと雲を作り始めた。
「いやぁ、やっと、追い付きました。皆様、足がお速い」
等さんの呑気な声が聞こえてきた。呑気と言いつつも息は切れている。兔を踏まないように、変な歩き方をしている。
等さんの存在をちょっと忘れていた。額に汗をかいている。急いで僕たちのことを追ってきたに違いない。
「おやおや、痛たたたっ。可愛らしい精霊がこんなに……痛いたたっ! 可愛いですな」
突然現れた等さんにも兔たちは容赦なく蹴りかかる。等さんの口からは可愛いという言葉と、痛いという言葉が交互に出てくる。本当に可愛いと思っているのか怪しい。
等さんは自分を蹴飛ばそうとした兔を一羽捕まえた。足の裏が自分の腕に乗るように安定的に抱えている。
「よしよし。こんなに荒ぶって……お腹が空いているのですかね」
それは違うんじゃないか、という心の声は届かなかった。
等さんがそう言ったと時には、すでに兔の口元にスッと笹の葉を差し出していた。兔の顔をすっぽり包めそうな大判の笹だ。
僕の予想を覆して、兔は素直に笹の葉を食べ始めた。潟さんと顔を見合わせる。
「本当に空腹だっただけなのかな?」
「さぁ、そうなのでしょうか」
作りかけの雲が僕の周りを漂っている。天気が良いので、意識していないとすぐに散ってしまう。
等さんが抱えていた兔を下ろすと、食べかけの笹は取り合いになっていた。
「では少々失礼して……」
等さんがパンッ……パンッ……と手を叩く。ひとつ叩く毎に笹群生が一ヶ所生まれる。しかしそれも束の間。そこに兔が集まってあっという間に食いつくされた。
また一ヶ所、また一ヶ所と少しずつ場所を変えて笹が生えていく。その都度、兔が群がって緑が埋め尽くされる。
何度かそれを繰り返している内に、地面を覆う灰色が半分くらいになった。残りの半分は笹の緑だ。兔の食べるスピードが落ちたのか、目にも鮮やかな緑色が目立つようになってきた。
「おー、よしよし。良い仔だ良い仔だ」
等さんが屈んで兔を撫で始めた。食事中の兔たちはそれを気にもしていない。
空いたスペースを見つけて潟さんと一緒に飛び降りた。
引っ掻き傷だらけの太子二人が呆れたように兔を眺めている。その中に中年の男性がひとり、兔を愛でている。何とも異様な光景だ。
「等さん……」
誰も声を掛けないので、僕が等さんに近づいた。付いてこようとする潟さんをその場に留めて、兔を避けながら等さんに歩み寄る。
僕の姿をとらえた等さんは笑顔でゆっくり立ち上がった。
「おぉ、坊っちゃん。失礼。つい夢中になってしまいました」
夢中になって……と言うほどではない。周りはしっかり見えているようだったし、我を忘れていたようには思えない。
「あの……」
「はい、何でございましょう」
何故、王館にいるんだ、とか。
何故、免を知っているんだ、とか。
聞きたいことが色々ある。初めて王館の外へ出たときから、暮さんの事件のときまで何かとお世話になっている。
「う、兔好きなんですか?」
色々考えてやっと聞けたのはそれだけだった。そうじゃねぇだろ、という焱さんの声が後ろから聞こえた。
「兔に限らず小動物は好きですね。兄も好んで細工に織り込んでおりますよ」
そういえば竹伯の作品には、蛙や小鳥が彫り込まれていることがある。でも竹伯には申し訳ないけど、今はそれに興味を持てなかった。
「この仔たちは季位ですな。半分は木精のようですので、この後、木の王館へ連れていきましょう。出自を調べた方が良いでしょうな。土精の方は、恐れ入りますが垚さまにお願いしても宜しいでしょうか?」
僕と向き合っていたのに、垚さんに話を振った。ちょうど垚さんは高い土壁を崩して、捕らえた兔を解放しているところだった。
「ええ、分かったわ。そっちは任せるけど……笹の精霊が何でここにいるのよ?」
振り向くと垚さんの隣で、焱さんが激しく頷いていた。




