245話 揺れる時
「残念ですね。貴方の決断のせいで多くの犠牲が出ますよ」
免はそう言うと、顎に置かれた潟さんの大剣に歯を立てた。噛みきれる訳がないのに、剣は免が齧ったヶ所だけ砂になってしまった。パラパラと軽い音がする。
潟さんはすぐに剣を引き、間髪入れずに斬りかかった。でも剣が当たったのは免を押さえている埴輪達だけだ。
一瞬、坟さんの怒る姿が浮かぶ。けれど埴輪達は剣筋とは九十度違う角度で割れていた。潟さんが斬りかかったときには既に割れていたらしい。力を失った埴輪達はガラガラと落ちていく。
その残骸にふと影が射した。
「潟さんっ、後ろ!」
自由を取り戻した免は潟さんの後ろに立ち、長物の武器で潟さんを刺そうとしていた。
僕の言葉に反応したのか、それとも元から気づいていたのか。潟さんは片足を軸にクルリと向きを変え、勢いよくしゃがみこんだ。氷柱のような三本の爪が潟さんの頭を掠める。
埴輪の破片を踏みつけているのか、パキパキという音がする。少し残酷だ。やっぱり坟さんの怒る姿が頭に浮かぶ。
脳内の坟さんを振り払って、刺さったままの剣を抜きに行く。免に投げたまま放置していたのを後悔した。潟さんが戦っているのに加勢できないなんて間抜けだ。
「人間と戦わずに済んだ上、先々代水理王も助けられたのに。愚かな選択をしましたね」
潟さんが大剣を振り上げる。免はそれを両手の爪、併せて六本で挟むように抑えた。力が拮抗し、両者の武器ががくがくと震えている。
「先々代? どういう意味だ」
人間の方も気にはなる。でも何故、免から漣先生のことに触れるのか。先生は助けが必要な状況にいるのか。
僕でさえこんなに気になるのだから、潟さんはもっと気になるはずだ。それでも口にはせず、免と間近で武器を交差させている。
「言葉通りの意味です。私の提案に応じていただけないのですから、これ以上の滞在は無用ですよね」
免が潟さんを弾き飛ばした。その勢いで自分の爪も折れたようだ。爪の短くなった手で、肩に付いた土をやや投げやりに払っている。
「手ぶらで帰るのも能がありません。本当は雫を連れて帰って、存分に可愛がりたいところですが……随分成長してしまって可愛げがないですね。今の私では持て余しますよ」
免に言い返そうとすると、土が急激に盛り上がってきた。免をすっぽりと覆うドームを形成した。これが雪なら出口のないカマクラだ。
閉じ込めるだけなら効果的だ。でも免が見えなくなってしまった。このまま免が地面に潜れば逃げられてしまう。
「はっ!」
土理王さまには申し訳ないけど、剣を横に払ってドームの上の方を崩させてもらう。
警戒しながら中を確かめる。案の定、免はいなかった。
「雫さま、あちらです!」
潟さんの切羽詰まった声に振り向く。免は中庭を抜け、謁見の間の扉の前にいた。あそこには土精たちが数人倒れているままだ。
「せっかくなので、この辺の理力をいただいていきますね」
免がご丁寧に口元に手を当てて、僕たちに向かって声をあげる。
水銀の姿が頭をよぎった。免にトドメをさされ、灰になってしまった姿。まさか土精にも同じことをする気なのか。
「くっ!」
潟さんと二人で駆け出した。間に合わない。水流で移動することも考えたけど、どっちにしても免の方が早い。
免が軽く屈み、土精に手を伸ばしている。潟さんが急に止まって、僕に先へ行くように告げる。自分は止まって剣を投げる体勢に入っていた。
「『鉄砲水』『波乗板』!」
潟さんを横目に免を目掛けて飛び出す。途中で潟さんの大剣が僕を追い抜いていった。
「その土精から離れろ!」
叫びながら鉄砲水の威力を上げる。急激に速度が上がり、免との距離が一気に縮まる。免はそんな僕を無視して、土精の胸元を掴んでいた。
免の犠牲者を増やしたくない。その一心で限界まで理力を放出し、免に突っ込んだ。
途中で心臓が大きく跳ねた。
体が揺れるほどの振動を伴って、息が詰まりそうになる。波乗板から落ちてしまった。
「……っは」
口を開けても息がうまく吸えない。何が起こったのか分からない。気づかない内に免の攻撃を受けたのか?
お腹から何かが迫上がってくる感じがある。急激な吐き気に襲われて咳き込んでしまう。
「ゴホッゴホッ……ゴッ、ハッ……ハァ」
米みたいな粒が口から飛び出てきた。
お見苦しいものを見せてしまった。免はともかく潟さんにまで無様な姿を見せてしまった。戦闘中だというのに情けない。
吐き気が治まって顔を上げる。不思議なことに、免は土精を掴んだまま微動だにしない。潟さんの剣も宙に浮いている。僕の波乗板もそのままだ。
いや、よく見ると少しずつ動いている。免の手も僅かに土精に近づいていた。
何がどうなっているのか。ここだけ時間の流れが変わってしまったようだ。まるで僕だけ別の世界に入ってしまったみたいな……。
あちこち見ていると、足下にくすぐったさを覚えた。視線を下げると、地面が緑色に染まっていた。
「何こ、れ?」
誰に言ったわけでもない。でもこの不思議な現象を理解することが出来ない。
そもそもこれは攻撃なのか? それとも木理王さまの援護? でも木の王館は今、それどころではないはず。
「免の仕業?」
「いいえ。私の仕業ですよ、坊っちゃん」
ポツリと漏らした一言に返事が返ってきた。
その直後に、ガサガサッと激しい音を立てて、緑の地面から等さんが現れた。
「等さん……何でここに?」
突然のことに反応できない。足をくすぐる緑の物体が笹の葉だということに、今ごろ気づいた。
「黄龍の笹麦を召し上がりましたね。僭越ながら、あれは元は私の笹麦でして」
「あ……」
さっき吐き出したのは笹麦だったのか。笹麦が落ちた辺りから鬱蒼と笹が繁っている。黄龍に笹麦と言われた時点で、笹の精霊に気づくべきだった。
等さんは周りの状況を見て、人の良さそうな笑みを浮かべた。
「黄龍の場の影響を受けた笹麦の効果ですね。一粒だけなので効果は僅かですが、時間の経過が遅れております。坊っちゃん、あれはすぐに動き出します。攻撃するなら今です!」
「は、はい!」
ビシッと免を指差す等さんに思わず従ってしまう。これで低位精霊だと言うのだから信じられない。
等さんの横を通りすぎる。手頃な庭石を踏み台にして免に向かって飛びかかる。剣を思い切り頭上に振り上げた。
「はぁぁッ!!!!」
免はうつむき加減だ。首を狙って剣を振り下ろす。剣が肌に触れる瞬間……免と目があった。
鈍い手応えがあって、地面に剣が当たったのが分かった。砂ぼこりが舞って辺りがよく見えない。
「雫さま!」
潟さんの声が聞こえてきた。時間が元に戻ったのだろう。すぐ近くに潟さんの大剣が刺さっていた。
「竹箒掃」
等さんの声が聞こえた瞬間、埃が収まった。周りが明るくなって免の姿を確認した。
首の付け根から胸辺りにかけてザックリと斬れている。立っていられるのが不思議なくらいだ。
「……やってくれましたね」
「おしい。間に合いませんでしたか」
免の声と等さんの声が重なった。免は美しい顔を歪ませて、等さんは相変わらず人の良さそうな笑みを崩さない。二人の表情は対照的だ。
等さん、貴方は何者なんだ。




