23話 帰路へ
読んでいただき有難うございます。
ハッと目が覚めた。
自分の息が上がっている。背中が冷たい。
すぐ近くで火がパチッとはねる音がする。
火は危険だという淼さまの言葉が頭に浮かんだ。火から離れないと。所在を確認するため、首を僅かに動かした。
「雫! 気がついたか⁉」
「あ、淡さ……」
淡さんの顔が目の前にあった。赤い瞳に僕が映っている。
「動くな。気分はどうだ?」
「うん、なんか……鳥肌が……」
淡さんが僕に覆い被さりながら、心配そうに覗き込んでいる。あまり心配をかけたくない。
「寒いのか? 湯を飲むか?」
「うぅん、寒くない。大丈夫、ありがと」
寝かされた僕の近くでは火が焚いてあった。かけた鍋から湯気が出ている。程よい湿度もあって、寒くはない。
「腕はどうだ?」
腕……?
ガバッと起き上がってしまった。淡さんが反射的に避けてくれたおかげで、ぶつからずに済んだ。
「……治ってる?」
「治しておいた。痛みはどうだ?」
治しておいた? どうやって?
「そんな顔されてもな。そういう理術があんだよ。それより痛みは?」
「うん、痛くない」
念のため、腕を曲げたり伸ばしたりしてみる。手のひらも閉じたり開いたりしてみた。特に以上はない。服は裂けてるけど腕は何ともない。
あ、この服!
「淼さまに借りたのに……どうしよう」
外では絶対来ていろと言われた外套。氷柱が刺さって穴だらけだ。
「大丈夫だ。帰ったら直せるからそんなに心配すんな」
「本当? 縫うの?」
かなり細かく縫わないと、見た目が悪くなってしまう。元通りになるとは思えない。
「縫いはしないけど、元通りにはなるな。任せておけ」
淡さんが僕の背中を撫でてくれる。さっき鳥肌が立つと言ったからだ。温かい手が心地よい。
「外套よりあいつらがどうなったか聞くのが先じゃねぇ?」
「あ、そういえば。どうなったの?」
今更だけど、あの五人はどうしたのだろう。淡さんの顔をを見たらホッとして、すっかり忘れていた。
「まだ雪に埋もれてる。簡単には溶かせないし、出て来られないだろう。取り敢えず放置!」
淡さんは容赦なく言い切った。出てこないなら安心だ。淡さんに危害が及ぶことはないだろう。
「多分、あの様子だと本体の川まで凍りついてるだろうな。その内、身内の誰かが気づくだろ」
確かに川が不自然に凍っていたら何かあったと思う。他にも兄弟がいるだろうから、誰かが探しに来るだろう。
「静かだなとは思っていたが、突然、壁が散るような音がした。俺はそれで気づいた。行くのが遅くなって悪かったな」
淡さんが僕の背中を撫でていた手を止めた。背中が少し寒くなる。
「本当なら捕縛して水理王に突き出すんだが、五人一度には連れて帰れない。これはキツイお叱りを受けるな。雫を守れなかった上に加害者の放置」
「そんなことないよ。母上のとこで助けてくれたよ。そうだ! あそこで見せてくれた水球、凄かったよね! あとで教えて!」
淡さんが目をパチパチしている。ちょっと視線をそらして、その内な。と言われてしまった。
「それより、もし動けそうならここを出るぞ」
「え? でも、明日の」
予定だったはず……と続くはずだった言葉を遮られた。
「本当は明日の午後、発つ予定だったけどな。雪詰めのあいつらと一緒に過ごしたくないだろ?」
ちょっと繰り上げようと言いながら、淡さんは椀に湯を注いだ。そこにパラパラと茶葉を入れて飲んでしまう。ワイルドだ。
その様子を見ていたら、僕にも同じものを渡してきた。物欲しそうな顔をしていたのだろうか。
「……なぁ、あいつらホントに雫の兄姉か?」
椀に手を添えて温かさを味わう。じんわりとした温かさが心地よい。
「うん、多分」
「多分? 違うのか?」
淡さんは純粋に疑問に思ってるだけだろう。
「僕を弟として扱ってくれるのは、美蛇の兄上だけだから。水は繋がっているけど皆、僕のことを弟だと思ってない」
淡さんが片膝を立てて、そこに肘を乗せている。乗せた腕で椀を口に運ぶ姿はちょっと様になっていた。
「話には聞いていたがここまでするとはな。脇腹と肩の怪我は浅かったけど、左腕は危なかったぞ。もう少し深かったら……」
昔から多少の暴力はあったけど、ここまで本気で攻撃されたのは初めてだ。もしかしたら僕が覚えてないだけかもしれないけど。
自分に向かってくる大量の氷柱と込められた殺気。恐怖と激痛。今、思い出しても怖い。
「それにしても、雫が外でも上級理術を使うとはな」
淡さんがちょっと興奮気味に話題を変えた。僕は椀を口に付けて、茶葉の苦さを噛み締めていた。
◇◆◇◆
「大丈夫か?」
「うん、平気」
温かいものを飲み終えて一休みしてから、すぐに荷物をまとめた。なるべく早く鍾乳洞から離れたかった。
万が一雪が溶けると、あの五人が動き出すからと淡さんからも急かされた。僕も早く淼さまのところへ帰りたいので大賛成だ。
外でも理術を使うという目的は達した。早く淼さまに報告したい。
幸いなことに予定より早いのにも関わらず、漕さんが迎えに来てくれた。
今度はちゃんと波乗板も出来たので、引っ張ってもらった。行きのように急ぐ必要はないから、ゆっくりゆったり穏やかに川を進んでいく。
外套を被っていても、穴だらけなので風が入ってくる。冷たい風は爽やかさで意外にも心地よかった。
「これだけ離れれば、仮に雪が溶けても追いかけては来ないだろう」
「うん……そうだね」
元々、僕が目障りなだけだから、いなくなれば寄っては来ないとは思うけれど、兄三人を母上の所でやっつけてしまったので、怒って追いかけてくる可能性はある。
「水理皇上に報告することが山ほどあるぞ」
淡さんが波乗板に寝そべってしまった。凍らせてあるから冷たいはずだ。背中を傷めそう。
「あの……さ、淡さん。言いにくいんだけど」
僕がオズオズと声をかけると、淡さんは明白に嫌そうな顔をした。
「なら言うな。嫌な予感しかしない」
「ひどい! 聞いてよー!」
寝ている淡さんの脇腹をちょっとつねってみた。
「イテテ。何だよ」
淡さんが半身を起こした。赤い瞳と視線がぶつかる。
「あの、市に寄って、淼さまにお土産買っ」
「今、何つった?」
淡さんの左の眉がピクッと跳ねた。怒っている……いや、まだ怒っていなさそうだ。でも多分、これから怒るはず。
「淼さまと先生におみや」
「何で増えるだよ? おかしいだろ!? お前、襲われたんだぞ? さっきまで怪我してたんだぞ! それで何で寄り道しようっていう発想になるんだよ!?」
案の定、淡さんは怒り出した。顔が真っ赤だ。
勿論、淼さまに早く会いたいとは思っている。でも、折角外に出たのだから、母上にあげたように贈り物を差し上げたい。
「交換する金は水理王の金だぞ?」
言われてから気づく。例によってまた交換できそうなものはここにはない。
「氷飲器とか」
「駄目だ。水精なら簡単に作れる」
淡さんに冷たく却下される。
「お、お掃除します券とか」
「帰る気あんのか?」
反論できなくて、首が勝手に項垂れていく。シュンッという効果音が自分でも聞こえた気がした。
「何でそんなに市に拘るんだ? 贈り物なら帰ってから用意すりゃいいだろ? 手伝ってやるぞ?」
淡さんの好意は本当にありがたい。今だって僕のことを心配して言ってくれているのは分かる。
「……服」
「あ?」
……分かるけど。
「外套。ボロボロにしちゃったから、お詫びをしたくて」
「それは後で直してやるって言ったろ?」
淡さんはまたゴロンと横になってしまった。話は終わりと言いたいのだろう。
「でも」
出発前に破れたり、汚れたりしても構わないと、淼さまは確かに仰っていた。けれど、これはあんまりだ。
もちろん物で許してもらおうとは思わない。精いっぱい謝るつもりだ。
「無事に帰ってきましたって、気持ちもあるし、日頃の感謝の気持ちも伝えたい。早く出た分、時間はあるよね? 淡さん、お願い!」
淡さんに詰め寄って手を合わせる。起き上がらないままで、大きな溜め息を吐かれてしまった。
「……少しだけだぞ」
そう言うと、淡さんは寝返りをうって反対を向いてしまった。
「ありがと、淡さん!」
「水理皇上のこと言えねぇな。俺も雫には甘い気がする」
板を引く漕さんの速度が上がった。僕らの話を聞いていたのだろう。寄り道のために急いでくれたようだ。
本当は漕さんにも淡さんにもお礼の贈り物をしたい。でも、まずは淼さまだ。
「今日は水行日だ。ちょうどいいと言えばちょうど良い。最悪と言えば最悪」
「最悪? どうして?」
この間は日行日だと、混雑するから大変だと言っていた。それに比べれば水行日はマシなはず。
「治安が心配だ。それに水理王に水の贈り物ってどうなんだよ?」
「えっと、ピッタリ?」
何か問題が……? 僕の知らない理があったらどうしよう。
「水の理力でも知識でも何でも持ってる方に、水精が作ったものあげてどうすんだ?」
あれ? 逆効果?
理どころの問題ではない気がしてきた。
「帰る気になったか?」
「いや、あの見てから……」
淡さんからまた溜め息が漏れた。前を行く漕さんからも、溜め息が聞こえた気がする。
川の音だったことにしよう。




