243話 混凝土と塩
僕が名を呼ぶと、免はゆったりと口角を上げた。土精の上着に手を掛け、破れそうな勢いでその場に脱ぎ捨てる。ボタンがいくつか飛んでいくのが見えた。
「やはり、こいつが……」
潟さんは免と初対面だ。
何で戦いになったのかは知らないけど、理術が効かない相手と一対一で戦えるのは流石だと思う。怪我もしていないようで、その点は安心だ。
「やっと認識していただけましたか。お久しぶりです、雫。そちらの方は初めましてですね」
気安く名を呼ばれただけで不愉快だ。剣を抜いて潟さんに並ぶ。刃先をまっすぐ免に向けた。
「どうやって、王館に侵入したんだ!」
各王館は結界で守られているはずだ。侵入されれば理王が気づく。それを掻い潜るなんて……。
「どうやって? 当ててみてください」
相変わらず免は余裕だ。口許に綺麗な弧を描き、腕を前に伸ばす。徐々に腕を覆う布が形成されていく。
免はあっという間に上半身に灰色の上着を纏っていた。見慣れたくもない、いつもの全身灰色の姿になった。ご丁寧に帽子まで誂えたようだ。
「ふざけるな!」
叫びながら腕を振り下ろした。免の顔を目掛けて氷の球を数十発投げつける。
理術は効かない。それは分かっている。だからこれはただの警告だ。
免は髪を丁寧に直しながら、帽子を被り直した。避ける様子もなく、体に当たっても反応がなかった。風に吹かれただけ、とでも言うような涼しい顔をしている。案の定、氷の球は免に何のダメージも与えなかった。
「なかなかご挨拶ですね。私も応えねばなりませんね」
免が両手を合わせた。まっすぐ伸ばしたままの指を交差させて組んでいる。
何か仕掛けてきそうだ。潟さんと共に重心を下げて、警戒を強める。
「……っ!」
「雫さま!」
僕と潟さんの足の間から、何かが飛び出してきた。潟さんは左に、僕は右にそれぞれ飛び退いた。
着地と同時に軽く手をついて、すぐに体勢を立て直す。何が飛び出してきたのか分からない。
でも天気が良いのが幸いした。
僕の影に重なるように円上の影が落ちていた。しかもそれはどんどん大きくなっている。
「っ!」
今度は後ろに飛び退いた。
次の瞬間、大岩が落ちてくる。今まで立っていたところにめり込んでいる。僕よりも大きいし、抱えようとしても手が届かないだろう。
潟さんに届けた墫よりも大きいかもしれない。
「流石です。これくらい躱すのは当然ですね」
免が岩の向こうで拍手をしている。岩に視界が遮られてしまった。
剣の先端に理力を集め、岩の重心を狙って剣を振り下ろした。岩はあっさり真っ二つに割れ、左右に倒れていく。間から免が見えた。
本当は邪魔になるから砕きたかった。でも土の理力に水は不利だ。だから今はここまでだ。
割れて倒れた岩に乗った。もっとぐらつくかと思ったけど、意外と安定性が良い。少し高いところに登って視界が良くなった。
「答えろ。どうやって侵入した?」
刃先を免に向けて見下ろした。僕が見下ろしているのに、何故か見下ろされている気分になってくる。
「侵入などと人聞きの悪い。数週間前から登場申請をしてちゃんと門から入って参りましたよ?」
「嘘をつくな」
腕をギリギリまで伸ばして、少しでも免に剣を近づけようとした。でも免は軽く笑っただけだ。威嚇にすらなってなさそうだ。
「嘘ではありませんよ。石の精霊から、その身を拝借して来たのですから」
免が地面を指差す。罠かもしれないけど、一旦免から視線を外す。
免が指差しているのは、さっき脱ぎ捨てた上着だ。それが何だと言うのか。免に視線を戻すと、免は緩く笑っただけで何も言わない。僕の反応を待つような態度が不思議で、もう一度上着を見た。
「……っな!」
上着だと思っていたのは脱け殻だった。抜け殻という言い方が正しいかどうかは分からない。精霊の皮とでも言うべきかもしれない。顔と思われる部分が萎んだ風船の方に潰れて、辛うじて鼻が形を留めていた。
「石の精霊に姿をお借りしたのですよ。私の肌に馴染まずに苦労しました」
免が自分の顔を撫でている。見方によってはうっとりと自らの顔を愛でているようだ。それが許されるほど免の顔は整っている。
「石の精霊を殺したのか?」
「殺してはいませんが、抵抗されたので大人しくしてはもらいました。もしかしたら今ごろ地獄の一員になっているかもしれませんね」
免は腕を組みながら天を仰いで笑っていた。
地獄へ行くということは、義姉上みたいに眠りにつくということだ。強引に魄を奪って使い捨てるなんて、良くそんな酷いことが出来る。
「何故、地獄のことを知ってるんだ」
免に斬りかかろうと、足を踏ん張った。けど飛び出そうとした瞬間、足首をグッと何かに掴まれた。視線を下げると岩から灰色の手が出ていた。
「まぁまぁ、そう怒らずに。今日はひとつ提案をしに来たのですから」
灰色の手は僕の足を引っ張り、岩の中に引きずり込んでいった。岩は固い材質が嘘のように液体化し、足がズブズブと沈んでいく。
「くっ!」
反対の足で踏ん張ろうとしたけど、同じように沈んでいくだけだった。
岩といえど液体化したものなら、水分があるはずだ。それを利用して脱出を試みる。けれど実行する前にまた岩が固まってしまった。足を固められて動けない。
そんな僕を見て免が近づいてきた。焦りが生じる。背中を汗が流れていった。
「あぁ、良い眺めですね。このまま連れ帰って、愛で回して、例外に堕としたい欲求に駈られます……ん?」
大剣が飛んできて、僕と免の間に突き刺さった。更にそれを追うように灰色の岩が落ちてくる。砂ぼこりが舞って、まともに吸い込んでしまった。咳が止まらない。
「雫さま、ご無事ですか?」
「潟さ……ゴホッ」
落下した岩が崩れた。そのせいで白っぽい埃が一層増して、なかなか収まらない。
「今、お助けいたします」
潟さんは僕が固定された岩に飛び乗って手をついた。両手をしっかり岩に付けて水を流している。
ただ水を出して何をしているのかと思ったら岩にヒビが入った。その内、端から脆くなっていくのが分かった。薄く剥がれるようにみるみる崩れていく。
あっという間に足場までボロボロに崩れて、僕の足を抜くことが出来た。
「ありがと、潟さん。今、何をしたの?」
「分かりません。岩に襲われて、衝撃を防ぐために水球で受け止めたのです。それを繰り返しましたら、次第にボロボロと……」
水に弱い材質だったのか。僕もそうすれば良かった。免に理術は効かないという先入観が先に走って、試そうともしなかった。
「なるほど……迂闊でした」
免の感心したような声が聞こえてきた。
埃が収まってきて、免が意外と離れていることに気づく。移動しているのも気づかないなんて、どうやって気配を抑えているのか分からない。
「私の自慢の混凝土に塩害をもたらすとは……ということは貴方は私の木偶坊に致命傷を与えた先々代理王の息子ですね」
免がひとりで分析を始めた。崩れた岩の残骸を足で払って改めて免に対峙する。
「ふむ。こんなに濃度が濃い塩湖だとは思いませんでした。折角用意した混凝土も塩の被害があっては役に立ちません」
免が話す内容は半分しか分からない。でも潟さんの濃度が濃いのは多分、張り切って塩を用意してくれた土理王さまのせい……いや、お陰だ。
何だか良く分からないけど、今回は助かった。土理王さまに感謝だ。




