240話 黄龍との別れ
「お土産なんて要りません。僕の異常な事態を改善してくださっただけで十分です」
世界に好かれている状態が本当に改善されたのかどうか。
それはまだ確認できてない。でも雲母が剥がれるところを目の当たりにした。それに原因が父上の理力だということも判明した。恐らく改善しているはずだ。
「まぁまぁ、そう言うでない。もう会うこともないじゃろうから」
「……もう会えないんですか?」
そう聞くとちょっと寂しい。出会ったばかりなのに、二度と会えないと何故分かるのか。
「ここはそうそう何度も来るところではないからのぅ。ここは時間の流れが異なっておる。長居すればするほど、精霊界とのズレがお前さんの中に溜まって……おぉ! そうじゃそうじゃ。時間じゃ!」
急に何かを閃いたように黄龍が前足を打った。地面揺れていない。それなのに強烈な地震に見舞われたような感覚があった。
「お前さんへの土産が決まったぞ。朝、夜よ! 水太子に少しだけ未来を見せてやってくれんか?」
「未来?」
光と闇の精霊がいればそんなことも出来るのか。いくら時間を操るといっても先のことまで分かるなんて……ちょっとずるい。
「勿論、理に影響しない程度の近い未来じゃ。お前さんが理王になったところは見せられんのぅ」
黄龍はいたずらっぽく微笑んだつもりかもしれない。でもどう見ても獲物を見つけた猛獣にしか見えなかった。
爽やかな風と淀んだ空気が同時に僕を包む。瞳が乾いてぎゅっと目蓋を閉じた。
風が収まって目を開くと、黄龍がいなかった。それどこか辺り一面、白かったはずなのに見慣れた王館の執務室に変わっていた。
執務室には僕とベルさまがいる。それぞれの執務席について、忙しそうに分厚い本を捲っている。
僕はここにいるのに、ベルさまももうひとりの僕も気づかない。
似たような体験をしたことがある。王太子の試練で過去を見せられたときだ。あの時と同じだ。
でも黄龍の話だとこれは過去ではなく、未来だ。
ベルさまと二人きりで執務室にいる。ベルさまへの愛を義姉上に指摘されてから、二人でまともに話が出来るか心配だった。
変に緊張してしまう気がする。でもこの様子だと、ちゃんと二人で過ごせているみたいだ。少し安心した。
『ベルさま、何か分かりましたか?』
『いや、人間の来訪記録なんてあるわけないか』
人間?
『ベルさま。やっぱり玄武伯に頼みましょうか? それか澗さんに……』
『駄目だ。父は理に干渉することを嫌う。兄も父に禁止されているから来ないだろう』
何故、ここで玄武伯の名が?
ふたりとも何の話をしているんだ?
『でも、人間のことを知っているのは始祖の精霊しかいないですし、それに人間が攻めてくるとなれば、流石に玄武伯も手を貸してく……るので……な……で…………か』
人間が攻めてくる!?
視界がグニャリと歪んだ。目眩を起こしたような吐き気が襲ってくる。
『御上! 戻ってください!』
僕の叫び声がする。
気がつくと周りの景色が変わっていた。外だ。雲の上で立ち上がっている僕がいる。それを潟さんが必死に止めている。
僕はこの世の終わりみたいな顔をしている。その視線の先にはベルさまの背中があった。ベルさまが向かう先には……
「ま……ぬが?」
全身灰色の装い。無駄に長い足。しなやかな腕を広げている。まるで優しく迎え入れるように。
胸くそが悪い。
『ベルさま! 行かないで下さい!』
叫ぶ僕はボロボロだった。戦っていたことが良く分かる。流れた血は既に乾いて黒く固まっていた。
『ベルさまッ!!!!』
聞こえているはずなのに、ベルさまは振り向かない。免と戦おうとしている……ようにも見えない。
そこで景色がバラバラに崩れた。
全てが細かい粒子になって風に飲まれていく。周りがだんだん白くなって、黄龍が佇んでいる。僕の足元では潟さんが固まっていた。
「今のが未来ですか?」
不愉快極まりない。それが空間の歪みからか、今見た光景からか、判断できない。
「……そのようじゃな」
黄龍の顔が険しい。未来を見ている間、黄龍の姿は見えなかったけど、一緒に同じものを見たのだろう。
執務室での会話。
免との対峙。
情報が断片的で理解が出来ない。
「必ずしも未来であるとは言い切れないが、最も可能性の高いものを見せたはずじゃ。どうやら人間と関わることになりそうじゃの」
「人間と……水の星の?」
黄龍が頭を下ろしてきた。鼻息がかかるほど近くに黄龍の顔がある。でも威圧感を気にしている余裕はなくなった。慣れてきたのか、それとも……。
「左様、地球に住まう人間じゃ。ついに精霊界へ来る時が来たか」
暮さんからの情報ではあまり良い印象はない。ずっと前は仲良く暮らしていたというけど、精霊たちは人間と決別した。その結果、この精霊界が作られたのだ。
「何をしに来るんですか?」
「儂が知るはずなかろう」
黄龍は冷たく言い放った。本当に知らないようだ。
「精霊を追ってきたんでしょうか?」
人間によって本体に手を加えられた精霊は、自我を保つことが出来ないと言う。でも垚さんは精霊界に多くの精霊が移ったと言っていた。長い年月を掛けて追ってきたのだろうか。
「儂には分からん」
「僕はどうしたら良いんでしょう?」
答えは期待していなかった。黄龍でも分からないことはあるだろうし、理上、答えられないことだってある。
「地球から精霊界に移った精霊は多い。しかし、その中で寿命の理から外れたのは始祖の精霊だけじゃ。人間と接した経験のあるのはもう始祖の精霊しかおらんじゃろうな」
自分だって始祖の精霊なのに、どこか他人事のような口ぶりだ。でもその目は真面目そのもので、僕に何かを悟らせようとしているようだった。
「黄龍閣下?」
「父子水入らずで話すのも悪くはないじゃろうな」
黄龍がヒントをくれた。
始祖の精霊のひとりである父上を頼れということか。
「ありがとうございます、黄龍閣下。貴方のことは決して忘れません」
最大の敬意を表して、膝を着いた。片手を地に着け頭を下げる。
帰ったら父上を探そう。王館にいるなら探せばどこかにいるはずだ。人間に対する助言が欲しい。
「うむ。木太子は先に用を済ませて戻っておる。その水精を連れ、早く戻るが良い。少し長居をし過ぎたようじゃ」
桀さん、いないと思ったら帰っていたのか。僕が長居をしていたようなので待たせなくて良かった。
「露払いに送らせるか?」
黄龍がそう言うと手には頭が握られていた。目を見開いて微動だにしない。来たとき露払いだと叫んでいた頭だ。言い方は悪いけど、黄龍の手先だったらしい。
「いえ、大丈夫です」
片手で頭を持つ姿はどう見ても悪者だった。
「そうか。ならば、朝、夜。この二人を送ってやってくれんか?」
黄龍がそう言い切らない内に二種類の風に飲み込まれた。
「達者でな。泣に宜しくのぉ」
風が強くて返事が出来ない。真っ白な空間は突如として真っ暗に変わり、視界には何も映らなくなった。
体が浮いているのは分かる。でもどっちが上だか分からない。来たときと似たような感じだ。
どのくらいそうしていたか分からない。急に光が射してきた。体が引っ張られる感覚に変わって、派手に背中を打ち付けた。
「痛っ!」
頭もぶった。ヒリヒリする。暗いところから出てきたので、目もチカチカする。
「雫さま、ご無事ですか?」
影が射したと思ったら、潟さんが心配そうに僕の顔を覗き込んでいた。




