239話 義姉との別れ
「お前さんを覆っていた雲母は、泣が理力を高度に組んだ結晶じゃ。外側から壊そうとすればお前さんも一緒に壊れてしまう。お前さん自身の力で内側から壊さねば剥がれなかったわけじゃ」
あんなに薄い鉱物なのに、高度な理術の結晶だと言う。そんな理術を学んだ覚えがない。
「鉱物は土の理力が影響しているはずです。父上は水精なのに土の理力を扱えたのですか?」
混合精ならともかく、純粋な水精が他属性の理力を使うなんて、それこそ理違反だ。
「雫だって他属性の理力を使ってたくせに良く言うわ」
義姉上が黄龍の鱗に手をついて寄りかかっている。何度も言うけど失礼だ。
「私との戦闘で『熱湯鉱泉』と『土石流』を使ったね。あの手の理術は極めた者だけが使うことの出来る術よ」
「え? だって先生は普通に使って……あー」
先生が普通ではないということを忘れていた。最近、感覚が鈍ってきたけど先生だってかなりの強者だ。
最近会えていないけど、あれでも全盛期の十分の一ほどしか理力はないらしい。理王在職中はどれほどだったのか、想像するのも難しい。
「使えるのは理王クラスの精霊ね。雨伯なら使えると思うけど、避けると思うわ。そこらの精霊が使おうとしたら、理力をごっそり失って地獄に来る羽目になるね」
ここと言う言葉を強調しながら、義姉上は足をドンドンと鳴らす。黄龍が尻尾を避けた。
「そうか。だから初代理王である父も、そんな複雑な理術が使えたんですね」
黄龍が頷いた。それだけで壁が崩れて来るような圧力がある。ずっと対峙していてもそれだけは慣れない。
「似たような理力で覆われていては他の者は気づくまい。結晶に敏感な土理王だからこそ気づいた結果じゃな。お前さんのところの水理王でも不可能じゃろう」
ベルさまでも分からないことがある。それはとても新鮮だった。
「ちょっと黄龍閣下。ベルをバカにしないでいただけますか? 抜きますよ」
義姉上は既に黄龍の髭を引っ張っていた。黄龍の顔が義姉上に引き寄せられていく。黄龍の頭だけで義姉上の背より大きいのに……怪力だ。
髭の根本が本当に抜けそうだった。
「痛だだだだだっ! やめんか、霈。義弟に別れを告げる前に戻してしまうぞ」
「それは困りますね」
義姉上はそう言うと、素直に黄龍の髭を解放した。僕に駆け寄り、両手を取る。
「雫、一旦お別れよ。ちゃんとベルのこと守っていてね」
「勿論です」
義姉上に言われなくてもそのつもりだ。でも義姉上は、あっと何かを思い出したような顔をした。
「……違うね。ベルは強いから守らなくても良いわ。雫は自信を持って隣にいれば良いわ」
義姉上が手にぎゅっと力を込めた。自信を持てとさっきから何度も言われている。でも帰ったとき、ベルさまの顔をまともに見られる気がしない。
「さて、可愛い義弟に何かあげたいけど、私は魂だけだから物質がないのよね。黄龍閣下、やっぱり髭一本抜いても良いですか?」
「良いわけないじゃろう」
ダメだと言われながら義姉上の手は既に髭を掴んでいる。黄龍の髭が危ない。
「黄龍閣下なら物質を変換できますよね? 髭が嫌なら、鬣でも良いですけど」
「あ、義姉上。髪なら僕の少し切って下さい」
黄龍が可哀想になってきた。黄龍の鬣でもいいなら、僕の髪でも物質だ。それに変わりはないだろう。
「良いの? こんなに綺麗な碧色なのに。勿体ないわ」
「良いんです。伸びすぎているので必要なら切って下さい」
そう言いながら氷の短刀を義姉上に渡す。自分の鬣だって綺麗だと主張する黄龍は無視した。
義姉上に背中を見せる。首の後ろの毛が長すぎる。ちょうどそこが良いだろう。
義姉上が近づいてくる気配があって、その直後に背中に固いものが当てられた。
「義姉上?」
「甘いよ、雫。私に背中を見せるなんて」
チクッとした痛みが背中にあった。義姉上が短刀を僕の背中に当てているようだ。
「さっきまで戦闘中だった相手に背中を見せるなんて、不注意が過ぎるよ」
ぐっと短刀に力が入った。背骨の少し横に切っ先が当てられる。でも殺気も敵意もまったく感じられない。
「義姉上。ベルさまの親友が僕を刺すはずがないでしょう?」
「…………それもそうね」
義姉上は僕の背から短刀を下ろした。伸びた髪を軽く撫でられる。
「この辺まで切って良い?」
「もっと切っても良いですよ」
義姉上は肩の辺りで切ろうとしたけど、もっと切ってもらいたい。切ってもすぐにそこだけ伸びてしまうから、ギリギリまで短くしておきたい。
「そんなにいらないよ。これで十分」
サクッと音がして、首の後ろが軽くなる。振り向くと義姉上が毛束を掲げていた。
「黄龍閣下。私の戦闘の褒美として、物質の変換の対価を要求いたします」
義姉上は髪を持って黄龍の元へ戻った。黄龍が爪先でチョンッと毛束に触れると、細かい粒子になってすぐに見えなくなってしまった。
「図々しいのぅ。自分から褒美を要求するとは、まぁ良いじゃろう。何を変えるのじゃ? お前さんが所有物から選ぶが良い」
義姉上はゴソゴソと腕を動かして、黄龍の目の前に突き出した。
「この釧を。私の魂から引き剥がし、雫にあげてください」
「良いじゃろう。他に言うことはあるか?」
黄龍がそう言うと義姉上は首を振った。外側に跳ねた毛先が不規則に揺れた。
「では、大義であった。再び眠りにつくが良い」
黄龍の前足が降りてきた。指が義姉上を包み込む。
「あ……義姉上」
「水精・雫の義に恵みの雨が降らんことを。父上たちにも宜しくね」
義姉上が手を振っている。けれど黄龍の指に遮られて、すぐに見えなくなった。
予想外の出会いで、衝撃的な交流をし、別れはかなりあっさりしたものだった。
「さぁ、侍従武官を返してやろう」
黄龍が指を開く。手の中には義姉上ではなく潟さんがいた。
「潟さん!」
ドサッと雑に落とされる。駆け寄ってみたけど、相変わらず潟さんは固まったままだった。
「心配はいらん。儂から離れればまた動けるようになるはずじゃ」
「本当ですか?」
疑いたくもなる。潟さんは瞬きすらしない。まるで死んでいるかのようだ。
「何じゃその目は。……お前さん、この短時間で義姉に影響されたようじゃな」
黄龍が何故か呆れた顔をしていた。義姉上と出会う前から僕も結構失礼だったとは思う。拍車がかかったかもしれない。
「それとこれじゃ。義姉からの贈り物じゃな。と言っても材料はお前さんの髪じゃが。全く……儂の髭が材料になるわけなかろう。儂だって魂だけなのに。カカカカ」
潟さんを抱える僕に黄龍が爪を伸ばしてきた。その先に釧が引っ掛かっていた。黄龍が持つと指輪に見えるけど、僕が受け取るとちゃんと腕輪だった。
ベルさまの持っている物と同じものだ。義姉上の対の釧が、僕とベルさまの手に渡ったことになる。
僕の片手には既に腕輪がある。土理王さまからいただいた鎏だ。お互いが引っ掛からないよう、もう片方の手首に嵌めてみる。
計ったかのようにピッタリだった。
「さて、お前さんもそろそろ戻る時じゃが、せっかくじゃ。儂も泣の息子に土産をやりたいのぅ」




