232話 地獄への入り口
土の王館・謁見の間。……といっても土理王さまに謁見するわけではない。
初めて来たときはちゃんと謁見だった。鑑定後の水晶刀を受け取りに来たときだ。あのときは垚さんと土理王さまがじゃれあっていた。
けど、今はそんな雰囲気はない。室内の厳かな空気に、嫌でも緊張感を引き出される。雨が降ったわけでもないのに雨香を感じる。湿った空気に少しだけ落ち着くことが出来た。
木太子の桀さんは、僕たちよりも早く来ていた。僕たちが到着したとき、所在なさげに槌に手を乗せて、ぶらぶらさせていた。ずっとひとりで待っているのは暇だったろう。
「桀さん。久しぶり。元気そうですね」
当たり障りのない挨拶を投げる。桀さんはいつもと変わらない様子で僕たちを迎えてくれた。
「ししししし雫も元……雰囲気がかかかかか変わかわかわかわ」
うん、いつも通りの桀さんだ。安心する。
「お喋りはやめるさー」
人型の坟さんが上段から声をかけてきた。いつの間にそこにいたのか、坟さんは玉座の座面に二本足で立っている。
「玉座に理王以外が座って良いのかな」
坟さんに聞こえないように、声を潜めて潟さんに言ってみた。潟さんは首を傾げて僕に耳打ちする。
「座ってはいないから良いのでは?」
立っているから良いと……。
もっとダメだと思うのは僕がおかしいのか?
「それじゃ、今から地獄の扉を開くさー。あっしが開けたら、露払いが引き継ぐから後はそっちに従いなー」
「坟が案内役ではないのですか?」
潟さんが間髪いれずに尋ねる。坟さんが案内役だって聞いたから、てっきり導いてくれるのだとばかり思っていた。桀さんと潟さんも不思議そうにしている。
「案内と言っても土師の役目は入り口を開くだけさー」
「そうですか」
潟さんは納得いかないような顔をしている。でも坟さんはシッシッと何かを払うような仕草で、潟さんを黙らせた。
「じゃ……逝くさー」
坟さんはそう呟くと玉座の肘掛けから短刀を取り出した。そんなところに隠しがあるなんて知らなかった。水の王館も同じなのか、あとで確かめてみよう。
そんな呑気なことを考えていたら……
坟さんが短刀で自分の腹を刺した。
「グ、坟さん!?」
自分の声が謁見の間に響いた。その大きさに構っている余裕はない。坟さんに駆け寄ろうとしたところを、潟さんに止められた。
「あわばばばばばわわわわわわ」
桀さんは平常運転だ。
「坟、何のつもりですか!?」
「……右に回すさー」
坟さんがそう言うと、玉座が激しい光に包まれる。間近で花火を見ているようだ。見ていられなくて腕で目を庇う。
バチバチという音が収まるのを待って、腕を下ろした。横の二人も同じような動きをしていた。
「坟さん?」
見上げる玉座に坟さんの姿はなかった。その代わり、玉座の背もたれに短刀が刺さって、柄が突き出ていた。
階段を駆け上がって玉座に近づく。刺さった短刀が異質さを放っていた。そこに惹き付けられるようにそっと柄に触れた。
あれだけ火花が出ていたのに熱くはない。試しに抜こうとしたらビクともしなかった。
後から上ってきた桀さんにも引っ張ってもらう。力持ちの桀さんなら抜けるかと思ったのに、やっぱり全然動かなかった。
「雫さま。それを右に回すのでは?」
見かねたのか、潟さんが声をかけてきた。確かに姿を消す直前、坟さんは右に回すと言い残した。
試しに右に捻ってみる。
ガチッという音が鳴った。解錠されたような手応えもある。柄を握ったまま引いてみると、玉座の背もたれが開いていった。
柄がドアノブの役目を果たして、玉座の背もたれ部分が扉になっていた。左側から少しずつ開いていく。玉座の中が見えるけでもなく、ただ吸い込まれそうな真っ暗闇が広がっていく。
「これは噂に聞く『王太子の試練』ですか?」
潟さんが顎に手を当てて考えている。でも残念ながらそれは違う。
「おおおう王太子の試練は同じ玉座でも背面からです。そそそそれはどの王館も同じはずです」
桀さんの説明に僕も頷く。王太子二人に否定されると、潟さんが扉に手を掛けた。
「ということは、ここが地獄への道。……私が先に参ります」
潟さんは腰の大剣に手を軽く乗せた。いつでも抜けるように用心している。
扉の中はただ暗いだけだ。何の音もしないし、何も見えない。
「未知の領域です。まずは私が先に入り、確かめて参ります。雫さまたちは少し後からどうぞ」
潟さんが玉座の座面に足を掛けた。なんとなく見送ってしまってはいけない気がする。
「そそそれなら某が先に入ります! 某、こう見えて頑丈なのです!」
桀さんが潟さんの足を掴んだ。そのせいで潟さんはバランスを崩して、玉座から落ちそうになった。
ついでに僕も潟さんの腕を掴んで引き止める。
「それなら……僕が地獄行きの原因なんだから、僕が先に行きます!」
「雫はダメです!」
「雫さまは最後です」
何故だ。即却下された。打ち合わせでもしていたかのようだ。
「露払いナリ! 露払いナリ!」
「わっ!」
何の前触れもなく、暗闇から頭が飛び出してきた。潟さんの腕を放して後ずさる。
本当に頭だけだ。髪もない。いや、そんなことより首から下がない。
潟さんは太刀を構え、桀さんも槌を肩に担いでいた。
僕だけ反応が遅れている。
「紹介状ナリ!」
「っ!」
二人に比べ僕だけ何の準備も出来ていなかった。そのせいで懐に入れていた紹介状を頭に奪われてしまった。
頭は紹介状を咥えて、再び玉座の向こうの闇へ飛び込んでいった。
「待って!」
「雫さま!」
「雫!」
頭を追って玉座の闇に飛び込んだ。
足場がなくなって、すぐに浮遊感が襲ってくる。そのはずなのに風を切る感じがない。落下しているのかどうかも怪しい。どっちが上だか分からなくなってきた。
しかしそれも束の間。
突然、トッと足が地に着いた。同時にムズムズとした浮遊感が消える。ホッと一息ついて辺りを見る。
真っ暗だ。
何も見えない。目を開いているのか閉じているのか分からなくなりそうだ。
ここが……地獄。
そう呟いたはずだった。確かに声に出したはずだ。それなのに自分の声が聞こえない。
ーーっ桀さん! 潟さん! どこですか!? ーー
大きな声で叫んでみた。でもやっぱり聞こえなかった。
自然と焦りが生まれる。でもその気持ちを強引に抑え込んだ。
深呼吸をして自分の耳を塞いだ。ゴーという音とドクドクという音が聞こえる。自分の中の血液が流れる音だ。この音が聞こえるということは耳に異常はない。
次に自分の喉に手を当てて小さく声を出す。喉は震えている。声帯も機能しているということは、自分の体に変化はない。
音を伝えるためには振動が必要だ。それならこの空間には振動する物質がないということだ。
意識を自分の体から周りへと移す。幸い辺りは理力に満ちている。王館レベルの理力の多さだ。この分なら理術は発動できそうだ。
心の中で詠唱をする。
ーー理の子 命じる者は雫の名 この身を包み この場を満たせーー
水の音は聞こえない。でも確かに湧き出ている。指に触れた冷たさがその存在を主張している。頭から足の指先まで、水が全身を飲み込んでいく。




