217話 土理王と水太子
ベルさまのメモを持って土の王館へ向かう。
道すがら、土の王館の庭には罠がいっぱい仕掛けてあったことを思い出した。潟さんが一緒だったときは良かったけど、一人でうまく避けられる自信がない。
何度か落とし穴にはまる覚悟をしておいた。
しかし土の王館へ足を踏み入れると少し状況が違った。一歩一歩を覚悟して進めていたのに、一向に罠にかかる感じがしない。
それに埴輪達も出てこない。以前に比べるとちょっと無防備すぎる。
もっとも、土の王館の警備体制が強すぎるのは事実だ。他の王館はここまで厳重な警備はされていない。
土の王館の次に警備がしっかりされているのは木の王館だろう。庭の草木が精霊本人と結びついているから、侵入者に対して王館の精霊全員で警備にあたっている感じだ。
金の王館は各所に警備が置かれていて、火の王館は必要な時だけ必要な人数が出てくる。
水の王館にいたっては警備などないに等しい。ベルさまがいるだけで警備は足りてしまうから、僕や汢たちが警備に当たったらかえって邪魔だ。
「水太子、どこへ行く?」
順調に庭を越えて建物内へ入ろうとしたとき、声を掛けられた。幼い女の子のが少し離れた廊下からこっちを見ていた。
「あ、土理王さま。こんにち……ご機嫌麗しゅう」
土理王さまに会うのは二度目だけど、一度目はとても印象的な出会い方だった。その姿を間違えるはずがない。
しかも、ひとりではなくて後ろにお付きをぞろぞろ連れている。二列で十人くらいだろうか。単純に考えて二十人だ。
いかにも王という印象を受けた。
木理王さまが腕をズンズン振って近づいてきた。更にお供が全員付いてきている。一瞬、百足のような動きだと思ってしまった。
「楽にしていいぞ。お前は余の王館で何をしているんだ?」
荒っぽい口調が可愛い見た目に似合わない。でもこれは高位の土精ならではの特徴だ。似合わないと思ってしまう僕の方に非がある。
「垚さんに用があって来……参りました」
ベルさまで慣れているはずなのに、理王を目の前にして、段々緊張してきた。
何か失言をしたら、控えているお供たちに何を言われるか分からない。さっきから少し睨まれている気がする。
「垚なら、不在だぞ? 奥方とお子が患ったとか言っていたな。急用なのか?」
小首を傾げる仕草は小鳥のようだ。顔を覆うような短めの髪がサラッと音を立てた。
「急用といえば急用なんですが……」
ベルさまのメモを渡しに来ただけと言えばそれだけだ。だけど、内容は潟さんのお見舞い関連だ。出来ればすぐに発ちたいところではある。
「……歯切れが悪いぞ。はっきり言え」
「は、はい」
組んだ腕に乗った指がイライラと動いている。それを見て、垚さんが岩の下敷きにされていたのを思い出した。あまりイライラさせては、同じような目に合いそうかもしれない。
「海豹人の視察ついでに、知人の見舞いに行くのですが、見舞いの品を融通して貰えないかと思いまして……」
色々省いて要点だけを伝える。グダグダと説明していたら、またイライラさせそうだ。
「ふむ。何が欲しいんだ?」
「これなんですけど」
メモを開いて土理王さまの見えやすい位置まで下げた。
「塩を墫二つだと!? こんな大量の塩を急に!?」
土理王さまの声がひっくり返った。子供特有のキンキンとした声が廊下に反響する。
すぐ後ろに控えた精霊と一瞬目があった。立ち位置的に侍従長か、それに次ぐ侍従か。
「だ、ダメなら良いです」
「ダメとは言っていない。ちゃんと対価も出すと書いてあるからな。だが、いきなり過ぎるだろ!」
小さな手がクシャッと紙を握りつぶした。イライラどころか怒っている。
「恐れながら……」
最前列の精霊が口を開いた。さっき目があった精霊の隣にいる精霊だ。 ずっと話に入りたいのに、我慢していた感じだ。
どうやらこっちが侍従長らしい。胸にも腕にも紋章の刺繍が入っている。後見がいっぱいだ。きっと名門の出身なのだろう。
「何だ。発言を許可する」
土理王さまは振り向きもしない。顔を前に向けたまま、精霊に発言を促した。
「失礼致します。僭越ながら水太子におかれましては、理王に対する礼を尽くしていただきたく存じます」
え、僕?
塩の話じゃなくて?
「す、すみません。僕が何か失礼なことをしましたか?」
「他属性の理王に対しても膝をついてのご挨拶が礼儀でございます」
呆れた顔をしている。少し前屈みだったのに体勢から腰を伸ばして、顎を上げている。
そんなことも知らないのかと馬鹿にされている気分だ。
でも、そう言われてから焱さんの姿を思い出してみる。仲が良いベルさまにも必ず膝をついてから本題に入っている。
僕の態度は確かに良くなかったかもしれない。
「失礼。気付きませんでした。土理王さま、改めてご挨拶致します」
ゆっくり片膝をつけた。土理王さまからは、すぐに楽にせよの声がかかった。形式的なものなのだろう。何の感情もこもっていなかった。
僕が立ち上がるまでの短い時間で、ヒソヒソと囁きあう声が聞こえた。
「知らなかった?」
「水太子は礼儀も知らないのかしら?」
「低位出身はともかく身内からも邪見にされていたらしいぞ」
「何かやらかしたのか?」
「態度が悪かったんじゃないの? 今みたいに」
流石に後ろの方は何を言っているか聞き取れなかった。でも内容は同じようなものだろう。
どうやら、僕の土精からの印象は良くないみたいだ。
自分達の理王に対して態度が悪かったら印象も悪くなって当然だ。僕もベルさまに態度を悪くされたら怒ると思う。
「無知でお恥ずかしいです。以後気を付けますので、どうかご容赦ください」
わざと皆に聞こえるように言った。
一度失った信用を得るのは難しい。今後、行動に気を付けて、少しずつ印象を良くしていきたいところだ。
「余は気にしていないぞ。おい、侍従長、お前も水太子に非礼を詫びろ」
土理王さまは意外に寛大だった。もっと短気だと思っていたのが、申し訳ないくらいだ。
侍従長は土理王さまから声をかけられると、あげていた顔を伏せた。隣の精霊も少し前屈みになっていく。
「どうした、侍従長。聞こえないのか?」
「あ、あの土理王さま? 後ろ……」
土理王さまは前を向いたままだ。だから気づいていないけど、後ろの土精たちが一斉に苦しみだした。皆、喉に手を当てて苦しそうだ。
土理王さまが驚いて勢い良く振り向いた。その頃には、顔の皮膚がボロボロになってしまった。剥がれた皮膚は土塊になって足元へ散らばっている。
「っおい、貴様!何をした!」
「え、ぼ、僕何もしてません!」
完全な濡れ衣だ。
小さな手が掴みかかってきた。僅かに重みを感じる。
「乾ききっているだろう! 貴様が腹いせに水分を奪っているんじゃないのか!?」
「腹いせって何ですか! 折角、礼儀を教えてくれたのに復讐する必要があるんですか!」
強く言われたので思わず強く言い返してしまった。こっちの方がよほど無礼だ。
「本当に……お前じゃないのか?」
「違います」
土理王さまは少し怒りを和らげた。けど僕の服は掴んだままだ。
すると僕から視線を逸らし、自分の手をじっと見つめる。土理王さまの指から煙のような細い湯気が出始めていた。
今度は僕の方が驚いてしまった。慌てて土理王さまの手を僕から外す。
「なるほど……世界が味方しているのか。仕方ないな。こんなことで唄うことになるとは……」
土理王さまはバッと後ろを向いて姿勢を正した。
砕けや砕け
積もりゆく地よ
この世の行の境を正し
この世の悪を塵としろ
在れよ在れ在れ
つくるなき地よ
この世の行の頼りとなりて
この世の善を包み込め
どこかで聴いたことがあるような懐かしい唄だった。




