215話 無患子との出会い
茘枝と無患子の木を探して雲を飛ばす。
川がかなり細くなり、流れが速くなってきた。これ以上、上流に行くと山に入ってしまう。
流石にそこまでは戻れない。そう思いながら飛んでいると、無患子の木が意外とすぐに見つかった。
「うわ。大きい」
思わず声に出てしまった。遠くからでも巨木だということがよく分かる。
このまままっすぐ行ったら、雲が引っ掛かりそうなほど高い。更に枝は横に大きく張り出している。暑い日だったら木陰が心地好いだろう。
近づくにつれ、その大きさに圧倒される。高さだけでなく、幅もあるから尚更だ。鳥が三百羽くらい住めそう。
木を一回りする。枝の先端に細かい花がいくつも付いている。既に所々は実になっていた。
「あ、誰かいる」
木陰で子供が二人遊んでいるのを見つけた。木の板で小さい球を弾きあっている。
雲を下ろすとひとりと目があった。
「君た……あ」
逃げられた。
ふたりとも全速力で駆けて行ってしまった。
僕はそんな変な精霊に見えたのか。
しばらく動けず呆然と立ち尽くす。
あげたままの手が下ろせない。
「あのー……」
ショックから立ち直れないでいると、男性から声をかけられた。初老の男性だ。頭は黒と茶色が混ざっている。
ぎこちない動きで男性と目を合わせた。一瞬、息を飲んだ音が聞こえた。
「……し、失礼ですが、水精の高位の方が何かご用で?」
「貴方は?」
しまった。
質問に質問で返してしまった。相手を余計警戒させてしまってどうするんだ。
「私はこの無患子の精ですが……」
「え、ホントですか!?」
詰めよったら距離を取られた。またショックを受けそうになった。でも考えてみればその行動は正しい。
この無患子の理力から判断して季位だ。意外にも木の大きさに似合わない。けど抑えているわけでもなさそうだ。
一方、僕はなったばかりとは言え伯位だ。ビリビリと理力の大きさを肌で感じているに違いない。
無意識に威嚇して歩いているようなものだ。ベルさまみたいに理力を抑えたい。
ベルさまは理力に言い聞かせていたけど、僕にもそんな器用なことが出来るのか。不審な顔をしている無患子を待たせたまま、少し試してみる。
目を閉じて理力が体の中に入り込むイメージをする。それだけで外側に渦巻いている理力を体内に回収出来た。
あっさり出来すぎてちょっと拍子抜けだ。
でもその甲斐あって無患子の顔から緊張が少しだけ抜けていた。
「驚かせてすみません。僕は水太子・淼。以後お見知りおきを」
「………す、水太子?」
今度は無患子が固まる番だった。信じられないものを見る目をしている。居心地は悪いけど、不審者を見る目より余程良い。
無患子は上から下までしばらく僕の様子を見ていた。腰の辺りを見た瞬間、サッと顔色が変わる。ぶら下げた徽章を目にしたようだ。
ワタワタと慌てて両膝を地に着けた。更にそれに合わせて肘を伸ばしたまま手を地に着けた。自然と頭が低くなる。
「水太子さまが何のご用でございましょうか? 近隣の子らが何か粗相を致しましたでしょうか?」
無患子の視線の先にはさっきの子供たちがいた。木の後ろに回ってこちらを窺っている。
安心させるように少し優しく語りかける。
「いや、実は……下流の川へ立ち寄ったら、上流から茘枝と無患子が流れてくるというので、様子を見に来てみたんだ。子供たちは関係ないのでご心配なく」
無患子は明らかにホッとしたようだ。ほぅと長く息を吐き出している。
「左様でございましたか。無患子の葉は手前が流したものでございます。茘枝は手前の妻でこの少し奥に生えております」
無患子と茘枝はご夫妻だったのか。
探す手間が省けた。
「そうなんだ。実は下流の精霊が茘枝が詰まって腐ることがあると言っているので、少し困っていてね」
僕がそう言うと、また顔色が一気に青くなった。顔色が忙しく変わる精霊だ。
「そ、それはっ、と、とんだご迷惑を。今後は控えますので、どうか、お、お慈悲を」
そんなに怖かったかな。
水太子の僕が木精に罰を与えるはずがない。
「そんなに畏まらないで。もし、流す時間が決まっているなら、教えて欲しいんだ。下流の精霊もそれが分かれば対処できるから続けてもらって構わないよ」
洗さんは流れてくる茘枝をうまく活用していた。ここで止めてしてしまったら恨みを買いそうだ。
「え、そ、それだけで宜しいのですか?」
無患子が頭を上げる。顔が赤くなっていた。多分、恐怖で。
「勿論。でも出来れば、茘枝と無患子の葉を流している訳を教えてもらえる?」
「あ……」
一気に無表情になってしまった。躊躇しているのがよく分かった。言いたくないことだったのかも。
「話したくなければ別に……」
「いえ、お話しします! 疚しいことなどありません」
何か疑われていると勘違いしたようだ。悪いけどそのまま話してもらおう。
「二百年前のことです。風も雨も何の前触れもなく、突然嵐に見舞われたのです」
ちょっと長くなりそうなので、無患子の根本に座らせてもらう。直接地に腰かけようとして、見かねた無患子が葉を差し出してきた。
でもそれを断って直接土に座ってしまう。土は汚れるものではないと学んだから。
「私たち夫婦の手元には生まれたばかりの栃がありました。しかし、その嵐で増水した川に流されてしまったのです」
木理王さまだ!
僕の予想が当たった。叫びたい気持ちを抑えて無患子の話に耳を傾ける。
「私たちは懸命に探しましたが、まだ小さな栃の実です。見つけることは出来ませんでした」
それはそのはずだ。
もし、それが本当に木理王さまなら川の精が拾っているはずだ。そして川の精から先代の木理王さまに託されて、王館まで運ばれている。
近くを探しても見つかるはずがない。
「私たちは栃が運良く岸に上がり、成長していると信じています。私たちは毎日、栃の無事を祈って実や葉を流しているのです」
洗さんが願掛けだろうと言っていたのはあながち間違いではなかった。
「会ったら……もし会えたらどうする?」
「へ?」
無患子が間抜けな声を上げた。パクパクと口を鯉のように動かしている。
「あ、あ、会えるのですか?」
「いや、分からないよ。でも栃で知ってる精霊がいるから、もしかしたらそうかもしれない」
無患子は複雑な表情をしている。もっと喜ぶかと思ったのに。
過度な期待をしないように自分を抑えているのか?
「どうする?」
「は、はいっ! 会えましたら、ゆ、許して欲しいと……守れなかったことへの謝罪をしたいと思っております!」
急に早口になった。色々な感情で思考がまとまっていないのかもしれない。
でもまずは木理王さまにちゃんと説明しないといけない。
「本人に尋ねてみるよ。でも精霊違いかも知れないから、あまり期待しないで」
「は、はい。それはもうっ、それはそれで結構です」
ふと違和感を覚えた。別人かもと言った瞬間、無患子の顔がどこかほっとしたように見えた。
気のせいか?
普通は我が子に会いたいと思うはずだ。
出来れば本人であって欲しいと……。
生まれてすぐ離ればなれになってしまった子なら尚更だと思う。
それとも、子供に対する僕の感覚がおかしくなっているのか?
雨伯や母上に歓迎され過ぎているのは間違いないけど……。
少し胸に引っ掛かりを覚えたまま、無患子に別れを告げた。




