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水精演義  作者: 亞今井と模糊
八章 深々覚醒編
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214話 福増川での休息

あらうさん!?」


 水精が自分の川で溺れることはない。でも今の落ち方は背中が痛そうだ。


 水面が泡立っている。


 僕も飛び込もうか。アワアワと迷っている内に洗さんが飛び出してきた。

 

 水の表面を走り回っている。上流へ行ったり、川岸へ行ったり落ち着きがない。


 しばらく走り回って満足したのか、僕の隣に帰ってきた。口元には乾いた薄ら笑いを浮かべている。


「……冗談が過ぎるよー。あははは。雫って季位ディルから侍従長になったってゆー超有名な精霊だよ?」

 

 バシバシと肩を叩かれる。痛くない。痛くはないんだけど、今の言葉はちょっと気になる。


 どうして、侍従長の名が雫だと分かっているのだろう。失礼ながら低位精霊にまで知られているのは普通のことなのか? 

 

 僕は低位のとき、王館で働く精霊の名前なんて知らなかった。ただ、当時の僕は身内から虐げられていた。僕を基準に考えるのは良くないかもしれない。


「しかも最近、理王の末裔ってだけで役に立たない嫌な奴をワンバンで倒したんだって! そんな精霊ひとがこんな所にいるわけないじゃん! 君ももっとマシな嘘つきなよー」

 

 更に中途半端な情報が伝わっている。侍従から王太子になったことは知られていないようだ。


 激を倒したことだけは伝わっている。『理王の末裔ってだけで役に立たない嫌な奴』っていうのが激のことで間違いなければ、の話だけど。

 

 激は低位精霊にもそんな風に思われていたなんて、ここ最近の行いのせいだけではなさそうだ。

 

「君も格好良いけどさー。洗練され過ぎ? 侍従長はね、まだちょっと子供っぽいのに格好いいんだよ! そこが良いんだけどー」


 洗さんがひとりで喋っている。けど僕はほとんど聞いていなかった。

 

 僕も激みたいな印象を抱かれたらイヤだ。あとで騙したって言われるより、今正直に言ってしまおう。


 徽章を手にし、洗さんに見えるよう目の前に掲げた。


「今はもう侍従長じゃなくて、王太子なんだ。宜しくね」


 洗さんはしばらく瞬きもせずに固まって、再び後ろに倒れた。


「『波乗板サーフボード』!」


 落ちる前に受け止める。今度は間に合った。

 

 波乗板に背中を預けたまま、洗さんは白目を向いている。 


「洗さん、しっかり」


 目の前に王太子がいるという事実を、改めて考えてみる。

 

 僕が低位だったとき……初めてベルさまに会ったとき、どんな感じだっただろう。

 

 理王が目の前にいるのが信じられなくて。

 自分を気に掛けてくれたのが嬉しくて。

 貴重な体験に驚いて。

 そして、少しだけ恐くて。

 

 だから洗さんの気持ちも少しは分かる。

 

 洗さんの腕を引いて背中を擦った。少しずつ白目に青い目が戻ってきた。

 

 僕はベルさまほど理力が強いわけではない。だからすみさんみたいに、理力に当てられたわけではないと思う。ただびっくりしているだけだ。

 

 直属の高位精霊を通さず、王太子と会うことになるとは思っていなかっただろう。

 

 別に取って食おうとか、罰を与えようとか、そんなことはしない。だからそんなに怯えないで欲しい。

 

「洗さん。何もしませんから。そんなに怖がらなく……」

「……っさ」

 

 さ?

 

「ッサイン下さい!」

「は!?」

 

 ものすごい腹筋力で洗さんが起き上がる。手にはいつの間にか小さい紙が握られていた。

 

 そのサイズの紙は……嫌な予感しかしない。

 

「こ、こっこここっここにサインが欲しいであります!」

 

 胸に紙を押し付けられた。片手は額にビシッと付けて敬礼の体勢だ。

 

 王太子である僕のことを全然怖がっていない。僕が自意識過剰だったみたいで恥ずかしい!

 

 でも、僕にベルさまみたいな威厳があるわけなかった。少し考えれば分かりそうなことだ。ちょっと自分の顔を殴りたくなった。

 

 押し付けられた紙を受け取る。案の定、僕の姿絵ブロマイドだった。侍従長の装いをしている。

 

「えーっと、洗さん、これは?」

「友達に頼んで、マーケットで買ってきてもらったんです!」

 

 僕が気絶したくなった。

 

 いつだったか、そうさんが言っていた。姿絵は一枚で金貨一枚の価値がある。そして金貨一枚で、低位精霊十人が半月暮らせる。


「高かったでしょ。無駄遣いしない方がいいよ?」


 こんな物のために食費を削って欲しくない。

 

「大丈夫です! 問題ないであります!」

 

 駄目だ。全然聞く耳を持ってくれない。サイン用の筆記具をグイグイ寄せてくる。

 

 とりあえず受け取った。でもここにサインをして問題ないのか?

 

 変な効力が発生したり、悪用したりされる可能性が……ないとは言えない。

 

 洗さんの期待の眼差しが痛い。宝石みたいな目がさっきよりキラキラしている。


 断るのは可哀想だし、かと言ってこのままサインするのも……。

 

 苦し紛れに首の後ろを掻いた。

 その時、衣擦れとは別のカサッという音が胸元から聞こえた。

 

 ……良いものがあった。


あらうさん。侍従長の姿絵ブロマイドにはサイン出来ないからこっちに書くね」


 そう言って姿絵ブロマイドを返す。懐に手を入れて大きめの紙を取り出した。

 

 前王太子……つまりベルさまの未使用の証書だ。大量に余ったものを捨てるというから、記念に貰っておいたものだ。

 

 激との戦闘の時も懐に入れたままだった。よく破れなかったと思う。

 

 瞬時に作った氷盤の上に証書を広げる。これはベルさまの紋章が入っていてもう使えない。ここに僕が何か書いたところで無意味だ。

 

 その無意味さが今はちょうど良い。

 

 サラサラと筆記具を走らせる。休憩を取らせてくれて感謝する、という内容で簡単に済ませた。忘れず最後に、雫とサインをする。

 

 書き置きやメモみたいなものだ。これくらいならあげても良いだろう。

 

「はい。あらうさん。こんなもので良ければ」

「ありがとうございます! 家宝にします! ありがとうごじゃいます!」

 

 今、噛まなかった?

 

 洗さんは自分が噛んだことにも気づいていないようだ。僕から渡された紙をうっとりと眺めている。

 

 すみさんや最近の沸ちゃんと同じものを感じた。ちょっとだけ鳥肌が立っている。

 

 ……これ以上、ここに滞在しない方が良い。

 

「じゃ、じゃあね。洗さん! お邪魔しました」

 

 返事を待たず、福増ふくまし川を飛び出した。とりあえずその場から離れたかった。

 

「ふぅ。何か疲れた……」

 

 休憩に寄ったはずなのに、逆に疲れてしまった。

 

 でも収穫というか……気になることも出来た。

 

 元来た経路を引き返す。低めに飛んで、川を見失わないようにする。上流に向けて遡ると、川幅がだんだん狭くなっていくのが分かる。

 

 流れてくるという茘枝ライチの実。

 そして無患子むくろじの葉。

 

 この二つは同じ系統の植物だ。桀さんが教えてくれた。


 そして、もうひとつ。

 栃ノ木もその二つと同じ系統だ。

 

 余計なことかもしれない。全く関係ないかもしれない。けど、もしかしたら木理王さまに通じるかもしれない。

 

 木理王さまには家族がいない。子供の頃、川に流されている。だから家族とまではいかなくても、もしかしたら親戚筋の誰かがいるのかもしれない。


 茘枝ライチで川が詰まる、という水精ならではの言い訳もある。少しだけと自分に言い聞かせ、来た道を戻った。


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