20話 襲撃
「どうしたのだ、水理?」
火理に声をかけられた。向かいに座る私が不自然に動きを止めたからだろう。
違和感を覚えて氷の瓶を取り出した。
パチンッパチパチッ……パンッパチン。
瓶が激しく音を立てている。中の雫を守ろうとして、激しく何かを弾いているようだ。弾く音はしばらく続き、やがて静かになった。
「早速狙われているな。攻撃を受けたか」
「いや、あからさまな攻撃はされていない。これは……奪おうとしている?」
瓶を握りしめる。これ以上結界を強くすることはできない。瓶も雫も私の力に耐えられないだろう。
「奪う? 理力か? それとも魂か?」
「いや魄を……雫の、最後の一滴を」
これを失えば雫はもう精霊として存在出来なくなってしまう。
「淡に任せておくがよい」
火理の声もあまり耳に入ってこなかった。
自分で送り出しておいて何だと言われそうだ。だが別に構わない。ただただ祈るような気持ちで瓶を額に付けた。
◇◆◇◆
「やっぱ、そうなるよな」
淡さんが腕を組んでうんうんと首を上下に振っている。でもそんな悠長なことしている場合ではない……と思う。
「おい! 開けろ!」
「このやろぉ! 母上と兄上を誑かしやがって!」
「出て来い! ゴルァ!」
ドゴンッ、ドンッという音が耳に煩わしい。恐らく入り口を蹴っているのだろう。その音と振動で深夜にも関わらず、目が覚めてしまった。
淡さんも起き上がって寝床で胡座をかいている。暗くて良く見えないけど、ガリガリと頭を掻く音がする。
「淡さん、ごめんね。僕のせいで」
「なんで雫が謝るんだ? お前のせいじゃないだろ?」
ドンドンという音は相変わらず続いている。ただ、攻撃の割には扉が軋む音はしていない。
ここの入り口は引き戸だから外れやすい。そろそろ扉ごと壊れてもおかしくない。
「水精では開けられないだろうな」
「淡さん?」
いくら鍵がかかっているとは言え、入り口はびくともしなかった。
「点灯」
淡さんが灯りを付けたので、ニヤニヤしているのが見えた。今日人の悪そうな笑みを見るのは二度目だ。
「入り口に水除けをしておいた。鍵穴を見てみろ」
扉に近づくのはちょっと怖い。相変わらず開けろという声は聞こえる。けど、淡さんに促されてて及び腰で近づいてみる。
鍵穴に何か刺さってる?
「蛟の骨だ。水の攻撃や威力を軽減する効果がある。雫の七竈の笄ほどの防御力はないけどな」
淡さんがさらに灯りを増やした。蝋燭なんてあったかな?
「日中、河に入るとき、淡さんが咥えてた棒?」
「そうだ。よく分かったな」
灯りのおかげでよく見えるようになった。川底とは言っても昼は日が射し込んでくる。でも、月や星の灯りはここまで届かない。
「さて、どうするかね」
「朝になって兄上が気づいてくれるのを待とうか」
流石に夜が明ければ兄上が来てくれるだろう。それまで扉が壊れなければやり過ごせる。
「んー、朝までは持たないだろうな」
「どうしよう」
相変わらず蹴り続けている上に、さっきから理術での攻撃が追加されている。怒声の中に詠唱が聞こえた。
「くそっ……河の気よ 命じる者は 大河の子 岩をば砕き 場を押し流せ『鉄砲水!』」
ゴーッという地鳴りが床から伝わってきた。少し遅れてジャバッという水が飛び散る音が聞こえた。
「やったか!?」
「駄目だ。中から押さえてるんじゃないか?」
「くそ! 卑怯だぞ!」
寝込みを襲おうとしたくせに卑怯も何もあったものではない。
「雫もやり返してみろよ?」
「え?」
いつの間にか淡さんがすぐ近くに立っていた。寝癖が凄い。食器洗い用の海綿が刺さりそうだ。
「ここは雫の母上の河だ。多分相性はいいだろう。理力の流れが掴みやすいんじゃないか?」
「でも……」
日中の失敗を思い出した。簡単な波乗板すら出来なかったのだ。今度も失敗したらどうしよう。
「失敗したらまた練習すれば良いだけだろ? その為に外に出てきたんだから。まぁ、物は試しでやってみろよ」
「う、うん」
淡さんに言われるまま、深呼吸をする。
初めて理術を使おうとしたときのことを思い出した。部屋をお湯浸しにした時だ。もう同じ失敗はしたくない。
左手を出して水の流れを掴む。
ん、掴む? 掴めたっ!
「気の理力 命じる者は 雫の名 理に基づいて 形をば為さん『水球』」
出来た……こんなにあっさり。
「やったな! じゃあちょっと貸せ。ここに……『ーーーー』」
淡さんが僕から水球を取って小声で詠唱している。
何の詠唱か分からなかった。ただ、聞き取れなかっただけなのか。僕が知らない詠唱なのか。僕の耳にも頭にも、淡さんの詠唱の言葉は残らなかった。
「『火球』」
ボ、ボール? 水球なら詠唱は分かる。何かちょっと雰囲気が違うような気がする。
そんなことを思っていたら、水球が明るく輝き出した。
「ただの水球のままだと、水除けに弾かれるからな。ちょっと細工させてもらったぞ」
淡さんの手の中で水球が小刻みに震えている。
どうやったんだろう、きれいだなあ。後で教えてもらおう。
淡さんが大きく振りかぶって球を扉に……投げた! 水球は扉にぶつかると思ったのにすり抜けていき、外にいる奴等にぶつかったみたいだ。
「ぅあ! ……なんだ水球かよ」
「はんっ。だせぇ、これが攻撃かよ?」
「変だな。理術は使えないと聞いてたが……」
淡さんはその声を聞き届けると、親指と中指をくっつけた。ニヤリと笑ってその指を弾く。
「『水蒸気爆発』」
ドンッという衝撃音が耳に飛び込んできた。思わず扉から離れる。
少し遅れて揺れが来た。
「うわっ」
「おっと……」
物凄い振動だ。扉を蹴られていた衝撃と比べものにならない。
天井からパラパラと細かい石が降ってきた。壁に掴まらないと立っていられない。
淡さんも壁に片手をついている。部屋の調度品がいくつか倒れた。
やがて振動がおさまる。静かになった。淡さんが鍵穴から蛟の骨を抜きながら僕に振り返った。
すごく悪い顔をしながら、扉を開けて外の様子を確認した。それから少し場所を開けて僕にも見るように促した。
「あ……」
「一丁上がりぃ」
水精が二人倒れていた。ボロボロだ。服も穴だらけで、見えている部分の皮膚は黒ずんでいる。あと一人は?
「吹っ飛ばされたのか」
淡さんが部屋から首だけ出してキョロキョロすると、一人が壁の出っ張りに引っ掛かっているのを見つけた。ぐったりしている。
「まぁ、これだけ騒げば流石に美蛇どのか、華龍どのが来るんじゃないか?」
「ど……どうかな?」
これは、僕が兄上に怒られてもおかしくない。
◇◆◇◆
「重ね重ね申し訳ありませんっ!」
駆けつけた兄上は跪くだけではなく、頭を床に擦り付けている。
「怪我をさせたのでお互い様ということにしておくが、美蛇どの……次はないと思っていただきたい」
「も……もちろんでございます! この身と名に誓いまして! 」
あの三人はぐったりしたままだ。治療もしてもらえず、捕縛されていた。
「恐れながら、もう一度だけ反省する機会を与えてやって下さいませんか。しばらくは自身の川で謹慎とし、私が責任をもって管理いたします! こんな者たちでも私の可愛い弟たちでございます。どうか!」
兄上は頭を擦り付けたまま起き上がらない。深夜だから母上はお休みなのか現れなかった。
「美蛇どの、この件はお任せする。それより申し訳ないが、我々はこれ以上ここに滞在する気はなくなった。よってこれで失礼したいと思う」
え? と思う間もなく、淡さんに腕を掴まれた。やっぱり淡さんは怒ってしまったようだ。ここにいたくないのだろう。
「いや、それは……いえ、何でもありません。確かにこちらではご不快でしょう。弁明のしようもありませんが、お泊まりはどちらで?」
「案ずるに及ばない。当てがある」
当てってどこだろう、と思いながらも話はどんどん進んでいく。僕が口を挟む前に淡さんはもうすでに二人分の荷物を掴んでいた。
「えと、淡さん?」
「行くぞ、雫。長居は無用だ」
淡さんからドサッと荷物を渡される。それを背負うと兄上が近づいてきた。
「雫、すまない。またお前に嫌な思いをさせてしまった。怖かっただろう? ごめんな」
「いえ、兄上のせいじゃないですし、淡さんが一緒だから怖くはなかったです」
兄上の瞳が揺れている。怒りと悲しみが入り交じった複雑な気持ちが映っていた。
「雫、また帰って来てくれるか?」
「もちろんです、兄上!」
兄上の両腕が僕に回される直前、淡さんに腕を引っ張られた。
「失礼する」
歩き出した淡さんに遅れないように荷物を背負い直す。
「雫、元気でな」
「はい、兄上も」
兄上から離れる直前、名残惜しそうに頭を撫でられた。どこか遠くでパチンッという音が聞こえた気がした。




