203話 静かな揺れ
取り囲まれた。背後は壁だ。後ろからは攻撃されないだろう。沸ちゃんをなるべく後ろに寄せて前に立つ。
ザッと見て二十人……いや、三十人くらいか。全員水精だ。視界が悪く、正確な数が分からない。目に頼ることを止め、理力を感じ取る。けれど理力も抑えているようで、十人分ほどしか感じ取れなかった。
その流れで僅かな空気の揺れに違和感を覚える。衣擦れや体の動きではない。もっと細かい動きだ。
「こんなところで逢い引きかよ」
「これが王太子とはな」
挑発してきた方を目を向けると、その奥で影が不自然に細かく揺れていた。上部からの灯りに照らされている人物がいる。横向きで細かく口を動かしているようだ。
すぐに詠唱をしているのだと分かった。次の瞬間、立てた人差し指を僕たちに向けた。
「沸ちゃん!」
「きゃっ!」
咄嗟に沸ちゃんを岩の隙間から押し出した。沸ちゃんに抱えられた魄失も一緒だ。
「……『氷柱演舞』!」
カカカカッと音をたてて僕に氷柱が向かってきた。それを沸ちゃんと反対方向に飛び出し全て避ける。放たれた氷柱は溶岩壁に刺さることはなく、無惨に散らばっていく。
囲まれているのであまり距離は取れない。でも避けるのには十分だった。一瞬、氷盤で受け止めるか、いっそのこと全部気化させてしまおうかと思った。
けれどここは火精が治める場所だ。ここ一帯の水の理力が弱い。いちいちそんなことで理力を消費するわけにはいかない。相手も水精だから条件は同じだけど、数が不利だ。
次の一手が来るのを待っていると、クスクスという笑い声だけで攻撃が来ない。辺りの高温で氷柱がシュウシュウ音を立てながら溶けていった。
「やめないか、お前たち。淼さまに失礼だろう」
渋い声が岩壁に響く。その声で不愉快な笑い声は止まり、あたりに静寂が訪れる。
大きな帽子を浅く被った男が三歩ほど前に出てきた。コツコツと靴をわざとらしく鳴らしている。先ほどの声の主はこの人物だろう。
「しかし、あそこに魄失が……」
近くにいた精霊が帽子の人物に言いすがろうとする。しかし、ひと睨みされただけで黙ってしまった。
「あぁあんたたち! また勝手に入ってきたのね!」
沸ちゃんが鼻息荒く大声を出した。お願いだから注意を引かないで欲しい。狙われたらどうするんだ。僕が沸ちゃんから離れた意味かなくなってしまう。
「は! お前に用はねぇよ」
「なら僕に用かな?」
注意を僕に向かせる。
話に割り込まれたのが予想外だったのか、一瞬驚いた顔をした。けどすぐに鬱陶しそうな顔で僕から目を逸らしてしまう。
出来れば沸ちゃんには今のうちに逃げて欲しい。でも沸ちゃんは今にも噛みつきそうな顔で睨んでいた。
「用があるのはそこの魄失だ。やっぱりそこの女が隠してやったんじゃねぇか! さんざん探したぜ。手間かけさせやがって」
別の精霊が食って掛かる。沸ちゃんはビクッと肩を震わせた。当の魄失は欠伸をしている。
……魄失って欠伸するの?
「その魄失は御上から然るべき裁きを受ける。貴方たちが口を出す問題ではない」
再び僕に意識を向けさせる。
「うるせーな。王太子サマがいつまでもたいじしねぇから、こちらの激さまが退治してやろーってんだ」
また別の精霊が大きな帽子の男を指し示した。この男は激というらしい。これだけの精霊を率いているところを見ると、それなりに人望があるようだ。
仲間から紹介されると、激が更に僕に歩み寄ってきた。
「淼さま、お初にお目にかかる。私は九代湖の伯位・激。以後、お見知りおきを」
「どうも。私は名乗らなくて良さそうだな」
短い挨拶の中で蔑みを隠そうともしない。『伯位』を強調しているあたり、仲位である僕を見下しているようだ。
「僭越ながら淼さまは魄失を見逃すおつもりか」
僕に威厳がないのは仕方ない。ないものはないんだから、ある振りをしても余計に舐められるだけだ。
「見逃すつもりはない。御上に判断を仰ぐまでここで監視を依頼したところだ」
「左様か。……それはそうとこの一帯に魄失が頻発しているのはご存じか?」
沸ちゃんが僕を見たのが分かった。沸ちゃんに近づく奴は今のところいないみたいだけど、目を光らせておかないと何をされるか分からない。
「いや? そんな報告は受けていない」
激は初めて顔を上げた。口髭がかなり濃い。
「そうだろうな。報告するまでもなく、私が淼さまに代わり退治しておいた」
腕を組み、顎を上げ……という割に威圧感がないのは背が低いからなのか。僕より高い地位にあるとは思えない。伯位というと、雨伯とか雷伯とか母上とか、もっと凄みを感じる。
何なら先日会った澗さんも凄かった。ベルさまの兄と言うだけあって、漣先生に匹敵する迫力があった。
「それはご助力に感謝する。貴殿の働きは後日改めて労おう」
「それには及ばぬ。労っていただけるのなら今、ここで褒美をいただきたい。淼さまのその地位を私に譲ってもらおうか」
予想通りの返答がきた。
薄々気づいていたけど、反王太子派だ。
僕を下ろして自分が王太子になりたいらしい。
「褒美は御上から受けとることに価値がある。働きに見合ったものが下賜されるだろう」
「ならばそちらの魄失をいただこうか。魄失三体分の残骸を献上し、私を太子と認めていただこう」
僕が王太子であることは世界の理に組み込まれている。だからもうこの地位から下りることは出来ないとベルさまが言っていた。
「激さまは第九代水理王の一族でいらっしゃるのだ。十一代、十三代も輩出しているのだ。貴様より余程其の地位に相応しい」
でもその事実を知るのは理王や王太子などの関係者のみ。この激がそれを知るはずがない。
何かに酔ったように激を称える精霊たちも同じだ。申し訳ないがここで引くわけにはいかない。
譲りたくても譲れないわけだし、それに何より……ベルさまの隣を譲るわけがない。
「ふっ。お前たち無礼なことを申すな。淼さまとて幻の初代理王のご子息だ。そうだろ?」
下卑た笑い声が響く。『幻の』を強調してきた。まるで僕の父上が存在しなかったとでも言いたげだ。
「神話を持ち出してまで、この男を担ぎ出すとは……一体、淼さまはどんな手を使ったのだ?」




