200話 理王と低位精霊
「泥さまも汢さまも優しくてとっても楽しかったです!」
澄さんを迎えに行くと、泥と汢と三人で何やら盛り上がっていた。泥と汢は仲位だから、叔位の澄さんは『さま』付けで呼んでいるけど、位の差を感じさせないほど仲良くなっていた。
泥と汢の二人は混合精だということで、肩身の狭い思いをして来たはずだ。自分より位が低くても偏見なく、話してくれるのは嬉しいのかも知れない。
澄さんを連れていこうとした時の、泥と汢の寂しそうな顔が目に焼き付いてしまった。
「普段見られない雫さまのお話が聞けたのが一番です!」
あの二人は一体、何を話したんだ?
執務室までの道のりが嫌に長く感じる。
「雫さまって、イライラすると机をカリカリ引っ掻く癖があるんですね! そんなこと姿絵では分からないから、ちょっと得しちゃいました!」
僕にそんな癖があったなんて自分でも知らなかった。二人とも良く見てる……というより、何故そんな欠点を会って間もない精霊に教えるんだ。
澄さんよりも僕に先に言うべきだろう。道理で自室の机が一部分だけ不自然に磨り減ってると思ったよ!
二人にはあとで言っておかないと……。
「そうそう姿絵の交換もしたんですよ!」
本当に後で言っておかないと!
それより何で泥と汢まで僕の姿絵なんて持ってるんだ。毎日、会ってるのに!
「雫さまと一緒に暮らせるなんて夢みたいですっ」
「………………ちょっ、澄さん」
階段を昇り始めた頃、澄さんが僕に腕を絡ませてきた。抱え込むように腕を持たれてしまい、歩きにくい。
「雫さまとひとつ屋根の下で、なんて、もうっ」
この子、能天気過ぎる。何故ここに来たのか、忘れてしまったのだろうか。
反王太子派の手から逃れるために来ているというのに……。出発直前、父親を心配していた姿はどこへ行ってしまったのか。
しかも、これから理王に会うというのに全然緊張している様子がない。僕が低位だった頃とは大違いだ。
「もうこれは魂繋と言っても過言ではないわ!」
いや、それは言い過ぎだ。大いに過言だ。
「そうすればお父さまも脅されなくて済むわ! だって王太子が婿になるんだもの!」
「……断る」
勝手に話を進めないで欲しい。こんなに図々しい娘だとは思わなかった。
「え、だってお側に置い」
「……ちょっと黙ってもらえませんか? もう着きましたから」
掴まれているのが気持ち悪くなってきた。振り払いたいのをグッと我慢して、やんわりと腕を外す。
ここに来るまで澄さんはずっと一方的に喋っていた。ベルさまの前でもそうだったら止めないと。
僕の執務室でもある部屋だけど、一応ノックをしてみる。入室許可は必要ないから返事を待たずに、扉を開けた。
扉にかけた手と反対側の肩に重みがかかる。澄さんが体重をかけて僕の衣装を引っ張り、ズルズルと沈んでいった。
「ちょっ、すっ澄さん、しっかり。立ってください」
顔色が悪い。さっきまで頬をやや赤らめながら興奮ぎみだったのに、今は真っ青な顔をしている。腕を引っ張って体を持ち上げる。立つのもやっとみたいだ。
「入るなら入れ。入らないなら扉を閉めろ」
ベルさまの声が中から響く。それを聞いた澄さんは、ヒュッと息を飲んで固まってしまった。
流石に理王の前だと緊張するらしい。さっきまでの饒舌はどこへやら。ちょっと可哀想な気もするけど、ほとんど引き摺るような格好で澄さんをベルさまの前に連れていった。
「御上、こちらが今指川の精霊です。澄さん、御上にご挨拶を」
澄さんを何とかひとりで立たせる。ベルさまと澄さんの間に立って紹介をする。澄さんに挨拶を促したけれど、澄さんは鯉のように口をパクパクしているだけで動かない。
「澄さん、頭が高い。無礼……」
澄さんに注意をしようとしたところで、ベルさまが片手を上げた。僕を制したようだけど、その動きで澄さんからヒッと悲鳴に似た音が漏れた。
「良く来た。そなたが今指川の澄か」
ベルさまが先に声をかけた。普通は逆だ。
澄さんはベルさまに声をかけられても何も言わない。頭を垂れることも、跪くこともない。
流石に無礼が過ぎると思ったところで気がついた。動かないのではなく、動けないのだ。
ベルさまからいつになく理力が漏れている。いや、漏れているなんて量じゃない。僕が全力で理術を放ったときと同じくらいの量だ。
足元を冷たい理力が流れて、部屋を満たしていく。まるでドライアイスでも溶かしているみたいだ。理力が川になって流れていると言っても良いかもしれない。
ドンッという音で視線を動かすと、澄さんが倒れていた。ピクピクと痙攣している。
澄さんの元へ寄り、呼吸を確かめる。やや過呼吸になっていて息が出来ていなかった。
「『大水球』」
ひとまず水の中へ囲ってみる。水精にとっては落ち着けるはずだ。このまま少し様子を見よう。
「雫、分かった?」
気づけばベルさまの理力は収まっていた。
何故、低位精霊が理王に会えないのか、分かったかという意味だ。
「ベルさまの理力に当てられたんですよね」
ベルさまは僕に返事をする代わりに、茶器に向かって漕さんを呼び出していた。
「でも、僕もですけど美蛇がベルさまにお会いしたときも低位でした。あれはベルさまが抑えていて下さったんですか?」
美蛇は仲位に近い叔位だったからまだしも、僕に至っては季位だった。今の澄さん程度じゃすまない気がする。
「多少はね。でも雫も美蛇も初代理王の理力を受け継いでいるから、耐性はあると思うよ。一介の低位ならこれが当たり前だ」
ベルさまがそう言い終えるか終えないかの内に、澄さんを包んだ大水球から漕さんが飛び出してきた。
僕を見つけるとまっすぐに飛び込んできて、頬にすり寄ってくる。摩擦をほとんど感じない。
「漕、そこに転がっている叔位を元の場所へ返してこい」
ベルさまがそう言いながらドンッと判を押した。印の写りを確認すると、それを丸めて漕さんへ渡した。
「今手川には褒美をやる。河川の管理を抜かりなく行っている模範として、ある意味で見せしめる」
理王の目が向いているところで、手出しをしようとする度胸があるかどうか……。多分そこまでの勇気はないはずだ。
反王太子派は新しい王太子を擁立したいらしいから、理王の機嫌を損ねるようなことはしたくないだろう。僕の評価を下げることに力を注いでいるようだから。
「漕、早く行……どうした?」
漕さんは紙を受け取っても出発しない。ベルさまが異常を察して声をかけた。
漕さんは紙を咥えたまま、ベルさまの髪の間を泳ぎ、耳へ近づく。そのまま首を一回りすると、今度は澄さんの大水球に飛び込み、澄さんごとスッと消えていった。恐らく今手川へ向かったんだろう。
「雫。至急、貴燈山へ向かえ」
「貴燈……沸ちゃんたちに何かあったんですか?」
鼻息が荒くなってしまった。
「慌てるな。有事ならば煬が目覚める。漕が魄失らしきものを見たらしい。確証はないようだけど念のため見てきて」
貴燈へはまだ視察へ行っていない。どのみち行く予定だったし、まだ外出用の装いのままだ。このまま行ってしまおう。
廊下へ出ようとして、ふと思い止まった。向きを変え、窓に足をかけた。ちょっと行儀が悪い。帰館用に乗ってきた雲はまだ完全に散っていない。
「では行って参ります」
「ちゃんと着雲するんだよ」
ベルさまが苦笑しながら見送ってくれた。残りの雲を核に一気に成長させ、勢い良く窓から飛び降りた。




