198話 精霊質
今手川は僕の反応を待っている。相槌を打たず、続けるよう促す。
「新太子はその座に相応しくない。自分達は認めない。相手をすれば王太子として認めたことになる。だから相手をするな、と」
「……そうですか」
全員に受け入れてもらえるとは思っていない。でも予想よりも反対派が多そうだ。
「そいつらは雫さまがどんなに素敵か分かっていないのよ! 雫さまぁ! 握手してください!」
いつの間にか今手川の隣に澄さんが来ていた。父親の袖を引きちぎらんばかりに引っ張って、叫んでいる。
僕はそんなに素敵な精霊ではない。多分、僕の実体を知ったら澄さんも失望すると思う。今手川は鼻息の荒い娘の手をそっと引き離した。
「自分達は新たな太子を御上に推薦するつもりだと、協力しなければ川を塞き止めると脅してきたのです」
僕のことで善良な精霊が脅されているなんて、僕が思っているよりも事態は深刻かもしれない。
「それで何故僕にそれを教えてくれるんですか? 貴方の身が危なくなります。勿論、王館としては、サポートしますが……」
四六時中監視するわけにもいかない。ベルさまも僕もやることがいっぱいだ。今手川ばかりに手を回すことは出来ない。
「……妻は高潔な精霊でした」
突然、話が変わってしまったかのように思った。前後の繋がりが良く分からないまま、今手川は話を続ける。
「流没闘争の折、この近くでも戦闘があり、大穴が空きました。年月が発つに連れ、そこに水が溜まり、池が生まれたのです。それが私の妻でした」
身の上話に耳を傾ける。流没闘争で失われた魂が多い中、流没闘争で生まれた精霊がいるなんて想像もしなかった。
「しかし、自然に出来たものではなく、意図的ではなくとも人工的に作られた精霊です。水精とは言え短命でした」
水精や土精は長生きだ。僕はまだ若年だけど、ベルさまは三百歳を越えているし、漣先生に至っては年齢を聞いても分からないと言っていた。
今手川の配偶者が流没闘争後に生まれたなら、まだ二百年も生きていない。
「妻はそれを総て運命と受け入れていました。もし、彼女が消滅に抵抗すれば魄失になっていたかも知れません」
魄失という言葉にほんの少しだけ鳥肌が立ってしまった。幸いなことにしばらく出会っていない。
そのことをベルさまに言ったら、頻繁に生まれるわけではないと笑われてしまった。本来は一匹出ただけで大騒ぎになるらしい。僕が何体も出会ってしまったのは何だったのか。不運としか言いようがない。
「妻は全てを理に従って生きてきました。亡くなった息子たちもです。今、私が太子さまや御上に反目してしまえば、妻や息子たちに会わせる顔がありません」
澄さんが今手川の背中を擦っている。今手川は息切れしている。僕が相づちを打つこともなく、黙って聞いていたから、一気に喋ってしまったようだ。
澄さんも最初はちょっと変な精霊かと思ったけど、父親思いの優しい一面が見えた。
僕が澄さんを見ていると、目が合ってしまった。次の瞬間、今手川に添えてあった手を自分の頬に当てて、崩れ落ちてしまった。
「いやーー! 雫さまが私を見つめてるわ!」
……やっぱり変な精霊だったかも。
ちょっと壊れている澄さんを完全に無視して、今手川は真面目な話を続ける。
「恐らく彼らは今もどこかで見ているでしょう。そこでお願いがあるのです」
「何でしょう」
やっと本題に入った。お願いがあると言っていた割りに、中々長い話を聞いてしまった。
「この娘をお側に置いていただくことは出来ないでしょうか?」
「……………………………………は?」
たっぷり時間をかけて瞬きを五回した。でも今手川の言っていることが理解できない。
「この娘を質に取っていただきたいのです」
なるほどそう言うことか。
「今手川が逆らえないように澄さんを人質に取るってことですね」
「そうです」
それだと強引に従わせたっていうことになる。益々悪評が立ってしまう。出来れば他の方法にしてほしい。
「僕、そんな……」
「雫さまぁ! 捨てないでください」
断ろうとすると、澄さんが僕に手を伸ばしてきた。父親に阻まれて僕には届いていない。
捨てないでなんて人聞きの悪いことを言われてしまったけど、捨てるも捨てないの選択肢ではない。
「理由はもうひとつあります。娘が王館に居れば、淼さま方に守っていただけるでしょう?」
もちろんだ。水精を戒めるだけでなく、守るのも王太子や理王の仕事だ。打算的と言えばそうだけど、今手川の考えは合っている。
もし、僕の反対派が来て今手川を涸れさせようとしても、支流である澄さんへは王館にいれば手を出せない。今手川が涸れてしまえば澄さんも巻き添えを食う。不自然な涸れ方をすればベルさまや僕がすぐに気づけるはず。
「しかし、今手川だけを涸れさせることが出来ないわけではありません。支流を分離して独立させる方法を彼らが知っているかもしれない」
美蛇の兄も昔、華龍河から独立しかけた……考えるの止めよう。嫌なことを思い出してしまった。
「その時は……理に従い、涸れる所存でございます」
涸れると言っても寿命に余裕はありそうだ。完全に亡くなることはないだろう。一時的に消えて、深い眠りに付くことになるだろう。でも、そうならないように目を光らせるのが一番だ。
「分かりました。今指川の澄さんを預からせてもらいます。念のため聞きますが位は何ですか?」
僕の返事を聞いて澄さんは拳を突き上げようとした。またもや父親に腕を捕まれ抑え込まれる。
どこに反対派が潜んでいるか分からない。質になって喜んでいたら自作自演だとバレてしまう。
「私は仲位ですが?」
「それは分かっています。娘さんは?」
視察に来る高位精霊の地位が分かっていないはずはない。今手川も怪訝な顔をしていたけど、自分の勘違いに気づくとやや顔を赤らめた。
「叔位です」
そう、問題はここだ。高位精霊ならまだしも低位では王館で働くことはできない。
今手川はそれを知っているのか。知らないなら仕方ない。でももし、知っていたとしたら、僕が季位で王館に上がったことを突いてきそうだ。
「いずれにせよ御上に許可をいただかなくてはなりません。この件は一旦持ち帰ります」
僕のせいで前例が出来てしまった。頭が痛い問題だ。
「恐れ入りますが、娘も連れていっていただけますか? 彼らがいつ来るか分からないので」
今手川が娘の背中に手を当てて、僕の方へ少し押した。澄さんは一瞬父親の顔を見上げると、すぐに僕に飛び込んできた。
「ぐぇっ」
「いやぁあ! 雫さまとご一緒出来るなんて夢みたい!」
澄さんの肩が鳩尾に入った。息が詰まる。横を向いて軽く咳き込んだ。
今手川の顔が固まっている。
娘が他人に抱きついているのを見るのは複雑な心境だろう。肩に手を置いて離れさせようとする。でも腰ががっちりホールドされていて全く動かない。
「よ、よろしくお願いします」
「お父さま、元気でね」
二人で別れを惜しんでいる。その間に雲を少し大きめに作って二人で乗れるようにする。
……ベルさまに何て説明しよう。




