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水精演義  作者: 亞今井と模糊
七章 一滴太子編
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196話 天形盆地

 桀さんの声を浴びて、周りの樹木がざわめき始める。木が揺れて風が生まれ、顔を掠めていった。


 左右の木を往復するように、複数の影が飛び交っている。何が跳ね回っているのか目では確認できない。影がひとつではないことが分かるだけだ。


 これならいつでも僕たちに飛びかかれるだろう。襲われることを覚悟したけど、桀さんは一歩も動かない。その様子を黙ってみていた。


 やがて木の揺らぎが止まり、飛び回る影もなくなった。代わりにクスクスという乾いた笑い声が降ってくるようになった。


「もしかして歓迎されてない感じですか?」


 桀さんの背中に語りかける。桀さんは振り向かなかったけど、同じ思いのはずだ。


「し、仕方ないです。ここは伯位アルの生まれる場所です。それがし仲位ヴェルですから」


 僕と同じだ。仲位で王太子になってしまった者に共通する悩みなのかもしれない。高位精霊なら王太子になれるとは言っても、実際は伯位であることがほとんどなのだろう。


 焱さんだって、垚さんだって、鑫さんだって伯位アルだ。


「でも、ここで舐められてはいかないと、おおお木理王おかみから強く言われています。雫、ちょっと下がってください」


 桀さんは前を向いたまま、手を振って僕に下がるよう言った。大人しく指示に従って二、三歩下がる。


 その間も相変わらず頭の上の方で嘲笑が聞こえる。何がそんなに楽しいのだろう。出迎えがなくて慌てふためく様を見たいのか。それとも出てきてくださいと懇願でもしてほしいのだろうか。


 桀さんが少し振り向いて、僕が下がったのを確認する。その手には大きなつちが握られていた。


 背後からでも分かる。花茨城で戦ったときよりも大きい。確実に一回りは大きくなっている。僕より重そうだ。


 桀さんはそれを片手で軽々と持ち上げ、勢いを付けて地面に振り下ろした。衝撃に備えて息を止める。


 槌は予想通り体が飛び上がりそうな大きな揺れをもたらした。いや、一瞬持ち上がったかもしれない。


「きゃぁああっ!」

「ぅうわぁぁぁ!!」

「…………っ!」 


 笑い声が悲鳴に変わった。バサバサと木が揺れる音に負けない音量だ。中には声を出せない者もいるようだ。


伯位アルの貴殿らに気を使ったのが間違いであった。太子の訪問に嘲笑で返すとは、なななななな何事だぁ!」


 おしい!

 途中まで格好良く決まっていたのに、最後の方でどもってしまった。でも木精たちはそれどころではないようだ。


 桀さんが最後の『だぁ!』に合わせて、槌をもう一度地面に叩きつけたので、今度は悲鳴ではなく、精霊そのものが木から降ってきた。


 全員、小さくて手足が短い。子供のようだけど、長命な木精のことだ。雨伯みたいに中身は大人ということもあるかもしれない。


「まして、親族の弔問を無視するとはなななななな」


 桀さんの槌が三度目の衝撃を与えようと振り上げられた。僕も足がビリビリしてきた。立っていられるか心配だ。


「お待ち!」


 桀さんの槌が落とされる寸前、高い声が止めに入った。


「木太子ともあろう方が木精を傷つけるのはお止め」


 桀さんの後ろから覗きこむと、年老いた女性がひとり立っていた。腰から背中にかけてかなりの角度で曲がっている。高い所に手を伸ばすより、落ちたものを拾う方が簡単そうだ。


 見た目に似合う杖を手にしている。けれどその杖は体を支えるためには使っていない。桀さんが振り上げたつちを、つっかえ棒のように一点で抑えている。


 桀さんがつちを下ろすと、相手も杖を下ろして地に付いた。二人の間に緊張が走る。


「全く乱暴だね。太子がこんなに乱暴者だとはね。お前たちもちゃんとお迎えしな! 何やってんだい!」


 地に落ちたままの子供たちに声をかける。子供たちは、肩を震わせてササッと木の間に隠れてしまった。 


「仕方ないね。教育がなってないよ。……さて、あんたが新しい木太子だね。あたしゃ天形盆地ここ管理者トップ、桜のやわらだ」


 柔さんが歯を見せて桀さんに挨拶をする。でも歯はあまり生えていないようだった。歯の間から葉っぱが見え隠れしている。


 言の葉を噛んでいるようだ。先代木理王さまと同じように、会話に気を使ってくれているようだ。


「し、しんです。この度は誠にご愁傷さまです」

「いやぁ、あの子は寿命だったんだろ。それよりうちの子たちが失礼したね」


 身内が亡くなったというのに柔さんはカラッとしていた。杖に片手で体重をかけて、もう片方の手をヒラヒラさせている。


「う、うちの子? 天形に幼児はいないはずですが」


 桀さんはその辺りもちゃんと調査済みだ。吃音を我慢しているのか、少し膝がプルプルしていた。


「あぁ、あれはしもとの子達だよ。まだ届け出てなくて悪かったねぇ」

「楚!?」 


 僕が大きな声を上げてしまった。桀さんも柔さんもびっくりしている。


「んん? その格好は……何だって水太子がこんなとこにいるんだ? えぇ?」


 杖の先を向けられる。剣だったら刺されそうだ。


「えーっと、僕は雫と言います。僕も先代木理王さまにお世話になったので、弔問に……」

「弔問? なんだい揃いも揃って、無駄なことに時間を使うんじゃないよ!」


 柔さんの杖が風を切った。やわらという名に似合わず、攻撃的だ。


「いいかい? 弔問ってぇのは残された生者のためにするんだよ。今、残ってるのはあたしだ。あたしゃそんなことされたって嬉かぁないね」


 フンッと鼻息荒く、捲し立てた。見た目の年齢に似合わずすごい勢いだ。


「それとそこの水太子。あんた、あの子達が楚の子供だから何だってんだい。えぇ? しょっぴこうってんかい?」


 杖でビシッと指されて大きく首を振る。しょっぴくってどういう意味だろう。興奮した柔さんの口から葉っぱが飛び出した。


「そだなごど言っでっどごしゃぐ……ん?」


 自分の言葉が変わったことで、葉を落としたことに気づいたらしい。懐から新しい葉を出して口に放り込んだ。多分、あれは言の葉だ。


「どうして貴女が楚のこどもたちを預かっているんですか?」


 少し間が出来のを見計らって尋ねる。余計なことかもしれないけど、聞かずにはいられない。


「どうもこうも楚が死んじまったからだよ」


 桀さんが頭をカリカリ掻いた。自分の住んでいた花茨城を襲った張本人だ。どう反応して良いか分からないだろう。


「あの子達だけじゃないよ。あと何人かあたしが育ててる。楚が王太子になるために有力な高位精霊をことごとく始末していったからね。孤児が増えちまったんだよ」


 桀さんをチラッと見上げる。桀さんは大人だから孤児とは言えないけど、立場は似ている。柔さんが僕と桀さんを交互に見て、鼻を鳴らした。


「太子んとこの芳伯はあたしの従兄弟いとこだ。あたしも悲しいんだよ。でもね、あたしにとっちゃ先代木理王は甥っ子で、しもと再従兄弟はとこだ。あたしゃ親戚に被害者も加害者もいる」


 そういえば楚は芳伯とも先代木理王さまとも親戚だって言ってた。ということは先代木理王さまの実家の方も繋がりがある。


「そのあたしがあの子達を引き取れば誰も文句は言わない。まぁ例え言ってきても聞かないけどね」


 柔さんは強気だ。改めて顔を見てみると、顔はしわしわで瞼は下がっており、瞳も何色だか分からない。


 この女性のどこからそんな意欲が湧いてくるのか分からない。


「ほ、ほ本来なら王館がするべき仕事です。感謝します」


 ずっと黙っていた桀さんがやっと口を開いた。柔さんの勢いに負けてしゃべれなかった感じだ。


 すると柔さんは急に長い溜め息を付いた。年齢相応の仕草でゆっくり木のトンネルを振り向いた。


「あたしも年だ。まだ寿命はあるが限界はある。しんさま、対策を考えな」

「しし至急王館で検討します」


 そうか。視察は現状を確認したり、顔を合わせたりするだけじゃない。今、抱えている問題にも向きあって対処する必要がある。


 僕も桀さんのようにしっかり取り組まなくてはならない。


「桀さん、僕、そろそろ行きますね。帰りは大丈夫ですよね?」

「あぁああ、気を付けて。帰りは大丈夫です。根の道を借ります」


 桀さんと柔さんに別れを告げる。雲に飛び乗って上昇すると、楚の子供たちが木のてっぺんから手を振っていた。

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