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水精演義  作者: 亞今井と模糊
七章 一滴太子編
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194話 夜の執務室

「ベルさま。あの精霊たちは名前を没収されたと聞きました。一体何の罪を犯したんですか」

 

 ベルさまの動揺には気づかなかった振りをした。そうしないと問い詰めてしまいそうだった。

 

「罪は犯していない。皆、名に相応しい精霊ではなくなったから名を没収したまでだよ」

 

 さっきまでの僅かな動揺はどこかへ行ってしまったらしい。ベルさまは軽い調子で過去の事実を教えてくれた。

 

「そ、それだけで?」

「……みちるという名でる浜だったらおかしいだろう?」

 

 確かにそれはそうだ。

 

 でもそれを言うなら僕だってそうだ。一滴しかなかった頃は『雫』でちょうど良かったかもしれない。でも涙湧泉が戻った今、雫という名は僕には合っていない。

 

 そう思うと急に寂しくなってきた。雫の名はベルさまから頂いたものだ。その名が相応しくないと……まぬがに言われたことを思い出してしまった。

 

「考えていることは大体分かるけどね。雫の場合は、通称を『涙の雫』にしているから問題ないよ」

 

 僕の考えなどベルさまにはバレバレだ。恥ずかしいのと、驚いたのと、ほっとしたのと……色々な感情が湧いて出てきた。

 

「まぁ、普通はこんなことはしない。名に合うよう理力を調整したり、それでもダメなら名を変えるのが一般的だね」

 

 僕みたいに消滅しかかっていても新しい名を貰うことが出来た。暮さんだって、本名は晩だったらしいけど、暮を真名として上書き出来たという。

 

「じゃあ、どうして……」 

 

 名を変えるのはそんなに難しいことではないはずだ。それなのに何故、名の没収という罰が下されたのか。

 

「先代理王の希望だった」

 

 意外な答えに次の言葉が出てこない。ベルさまから先代さまのことを聞くのは初めてかもしれない。

 

「先代さまの残した命令だ。施行されなかったので、私が代わりに実行した。媛ヶ浦の悪夢を終わらせよ、と」

「媛ヶ浦の悪夢?」

 

 ベルさまは軽く頷いて肩の髪を軽く払った。銀色の髪は灯りと月光を反射して、より美しさが際立っていた。

 

「師匠が帰ってきたら詳しく聞くと良いよ」

 

 その台詞が垚さんと同じ内容だということを、ベルさまは知らないだろう。


 引退した理王は王太子の教育をするという。ならば先代さまは僕の先生になるはずだった方だ。

 

 先々代の漣先生が嫌だとか、そういうことではないけど、ただ単純に会ってみたかったと思う。

 

「どんな方だったんですか?」

 

 弱かったんですか、と聞くのは避けた。垚さんから不敬だと言われたからだ。それにもし本当に理力が弱かったとしても、理王は理王だ。

 

 きっと知識や技術、性格など総合的に秀でている方に違いない。

 

「……さぁ?」

 

 ベルさまから返ってきたのは素っ気ない声だった。いけないことを聞いてしまったのかと一瞬慌てた。

 

 でもベルさまの様子は本当に分からないという感じだ。首まで傾げている。

 

「私も知りたかった」

「ベルさま?」

 

 払ったばかりの髪がサラリと音を立てた。ベルさまが下を向いてしまって、表情が分からない。

 

 何故、ベルさまが先代さまのことを良く知らないのだろう。同じときを何百年も過ごしてきたはずなのに何故……。

 

「それこそ師匠の方が詳しいだろうね。後で聞いてごらん」

 

 ベルさまが再び髪を払った。鬱陶しそうに首の後ろに手を置いている。

 

「話は変わるけど、今手いまて川には行った?」

 

 ベルさまは手を首に置いたまま顔を上げた。濃い色の瞳と視線がぶつかる。正面からじっくり見るのは久しぶりかもしれない。

 

「いえ、まだです。西と南の方から廻ったので、北はまだ一ヶ所も行っていません」

 

 今手川いまては北の高位精霊だ。僕の立太子の儀にも来ていたらしい。

 

 今手川は北の水精の中では最も有力な精霊だ。隣接する土精と魂繋けっこんして、支流や土手などの子供がたくさんいるらしい。そこまでの情報は得ている。

 

「今手川近くにある天形盆地は、先代木理王の出身地でね。木理が天形あまかた盆地に桜桃さくらんぼを届けたいらしい。雫も持ってるね?」

「はい、ここにあります」

 

 肌身離さず持っている。これのお陰でどれだけ助かっているか。

 

「……直に持ってるの?」 

「えぇと、磁鉄鉱が足りなくて……」


 潟さんから貰った磁鉄鉱は残り少なく、腕輪にするには長さが足りなかった。金理王さまから頂いたかざりだまに繋いでしまおうかとも思ったけど、相性が悪いらしく、お互い反発してしまった。

 

「そのままだと落とすよ。くんから鎖を貰うか、森から紐を貰うか、何かした方がいい」

 

 その通りだ。懐にコロンと一粒入れただけだは確かに心許こころもとない。

 

「そう致します。それで僕が今手川に行くついでに、天形盆地に行って桜桃を届けてくればいいんですか?」

 

 木理王さまにはお世話になっているし、一ヶ所寄るくらいなら、僕でも大丈夫だろう。そう思っていると、ベルさまは首を横に振った。

 

「いや、雫が行ったら越権行為だよ。森が行くから途中まで一緒に行って欲しいそうだ」

 

 危ない。また気づかない内に調子に乗った発言をしてしまった。ここにいるのがベルさまだけで良かった。

 

「それはもちろん構いません。でも木太子は根の道を通っていけるのではないですか?」


 花茨城と王館が繋がっているように、天形盆地にも根の道が拓かれているはずだ。

 

「勿論、根の道は通ってる。でも森も初めての訪問だから、正面から行きたいらしい」

 

 なるほど。

 確かに根の道は近道だけど、自分の領地に裏口から入られるような気分になりそうだ。 

 

「途中まで方向が同じだから乗せていってあげるといい」

「分かりました。あらいさんと話をしてみます」

 

 とは言っても今は夜。しかも真夜中。

 

 昔の僕だったら熟睡しているころだろう。僕はもう睡眠は必要ないけど、木精はそうもいかない。

 

 夜は呼吸だけなのに対し、昼間は光合成も呼吸もしなければならない。夜の内にしっかり休んでおかないと、太陽の光をしっかり吸収することが出来ないらしい。

 

「あぁ待って。ぬりぬたも今の時間は寝てるはずだから、下手に戻らない方が良いよ」

 

 執務室から出ようとすると、ベルさまには止められた。話の区切りが着いたので、部屋に戻ろうと思ったけど、今戻ったら控えにいるふたりを起こしてしまうかもしれない。

 

「今の内に視察の記録をつけると良いよ」

 

 そう言われたので、この間書いた華龍河と竜宮城の記録を出そうとした。ベルさまはそれを制して分厚い冊子を渡してきた。

 

「これは?」

「先々代から使っている視察記録だよ。この間は実家二件だったから練習みたいなものだ。正式にはこっち。多分、雫が何枚か書いたら頁がなくなるから、すぐに新しいものにするよ」

 

 ずしりと重い冊子は角が擦れていて、歴史を感じさせた。ベルさまのお仕事を補佐していても、これは見たことがない。

 

 自分の席に着いて明かりをつける。頁を捲るとすぐに見慣れたベルさまの字が出てきた。整って読みやすい字の羅列が、情報を適格に伝えてくる。

 

 更に前の方を捲ると、字体が極端に変わった。先代さまの字に違いない。整ってはいるけど、全体的に細くて神経質そうな字だ。何度も書き直したのか、紙がよれているところがいくつかあった。

 

 更にそのずっと前は、漣先生の字だ。太く自信に満ちた字で、生き生きとした様子が伝わってくる。何て言うかすごく元気そう。

 

 字でこれだけ個性が出るのかと、ある意味感心してしまう。

 

 それと同時に緊張もしてきた。僕がここに記録するということは、後世で誰かがこれを見るということだ。

 

 あとで字が汚いと思われないようにしたい。ペンを持った手がプルプルと震え、影が揺れている。

 

 それを見たベルさまに笑われてしまった。視察で疲れてはいるけど、こういうのも良いな、とちょっと思ってしまった。 

今手川→岩手

天形→山形 響きも寄せてみました

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