189話 水太子と火太子
「貴燈山ですか?」
水の王館に戻ると、早々にベルさまから視察のリストを手渡された。まだ自席についてもいない。
リストの一番上にあったのは沸ちゃんと滾さんのいる貴燈山だった。
「別にその順通りでなくても良いよ。雫が今見ているのは私が行った方が良いと思ったところだ。裏を見てごらん」
言われた通り紙をひっくり返す。表面より項目が多い。紙が黒く見える。
「そっちが申請があった方。そっちは一応、申請順にしておいたけど、距離別が良ければ自分で並べかえて」
その振り分けは僕がしていた仕事だ。多分出来ると思うけど、自分で視察に行くとなるとどう組めば良いか分からない。
「遠い方から回った方が良いでしょうか」
ベルさまは日付優先だったけど、僕はベルさまと違って移動に時間がかかってしまう。
「まぁ、普通はね。でも今回は数が多いから、それだと先に申請した者をかなり待たせてしまう」
困った。どうしたものか。ベルさまなら手際よくこなせる仕事だ。それなのに僕は計画を立てるだけで行き詰まっている。
「木乃伊を借りて影移動することも出来るけど、借りっぱなしはまずいな」
ベルさまが一緒に悩んでくれる。何だか申し訳ない。ベルさまの役に立つどころか、煩わせてどうするんだ。
「漕もいつもいつも使っていると、譲位の噂が立ちそうだな」
水先人は水理王直属だ。王太子の部下ではない。それを僕が濫用するのは良くない。
「雫、雲は乗れないの?」
「乗れると言えば乗れますが、動かせないと言うか……」
竜宮城から帰ってくるとき、雲に乗って降りてきたのだ。密かに練習した効果があった。王館の真上に竜宮城止まってくれたのもあり、ただ乗っているだけで自然に降りることが出来た。
しかし、操縦となると別だ。雲を右へ左へと操ることはまだ出来ない。
「あぁ、風は木の理力に左右されるからね。まぁ、乗れるなら先代木理王の桜桃を使ってごらん。安定して操縦できるはずだ」
へぇ、そうなんだ。それは良いことを聞いた。さっき貰ったばかりで、まだ懐にしまってある。部屋に戻ったら落とさないよう少し加工しよう。
潟さんがくれた磁鉄鉱がまだ残っていたはずだ。
「移動問題は解決したな。今日は戻って休むと良いよ」
そういえば王館に戻ってからまだ自室に戻っていない。泥と汢はうまくやってるだろうか。
「では部屋に戻ってみます。何かあったらお呼びください」
ベルさまに挨拶を済ませ、執務室を退出する。扉を向けて歩きだすと、壁の窪みから泥と汢がヒョコッと顔を出した。
「泥、汢。ただいま。出迎えてくれたの?」
出てくる様子はないので、僕から声をかけてみた。軽く手を上げたところで、二人とも駆け出してしまった。
僕から逃げるようなその動きにショックを受ける。
僕、何かしたかな。まだ会ってそんなに経ってないのに。
嫌われるようなことをするどころか、まだ大して話もしていない。いくら思い出そうとしても心当たりがない。
中途半端に上げてしまった手が所在ない。ぎこちなく下ろしながら、二人の動きを目で追う。
二人が入っていったのは僕の部屋だ。視察に行く前、家具の設置をお願いしておいたはずだ。僕の部屋に入ったってことは少なくとも避けられているわけではなさそうだ。
いや、待てよ。内側から鍵をかけられて閉め出される可能性もある。そうなったら……どうしよう。執務室で過ごそうかな。まぁ、悪いことばかり考えても仕方ない。
そう思って自室の扉に手をかける。とりあえず鍵はかかっていないようだ。閉め出されることはなくなった。
「「雫さまー! おかえりなさいませー!」」
「わわわわわっ!」
パーンという軽い破裂音が響く。それと共に色とりどりの細長い紙の蔓が降ってきた。びっくりして声あげたせいで、何本か口に入ってしまった。ナニコレ?
「雫さま! 視察お疲れさまでした!」
「お茶を用意しておりますので、こちらへ!」
口の中の紙屑を取り除く。カラフルな紙が床を埋め尽くしていた。掃除が大変そうだ。
足を紙の蔓から掬い上げて、汢に腕を引かれるまま奥へ進む。紙の蔓は床だけでなく、電飾にも引っ掛かっていてカーテンのようになっている。
前が良く見えない中でやっと安楽椅子に辿り着いた。汢は僕の体を安楽椅子に押し込むと、泥の後を追って、控えに入ってしまった。
多分歓迎してくれたんだと思う。良かった。散らばった紙の蔓を片付けようと腰を屈める。
指が触れるか触れないかというときに、紙が火を上げた。長い紐の上を虫が這うような素早さで火が走っていく。
「焱さん……?」
僕の部屋でこんなことをするのは火太子くらいしか思い付かない。
「よぉ。遅かったな」
向かいの安楽椅子では焱さんが寛いでいた。紙の束が邪魔で、いることに気づかなかった。気配で気づくべきだったのに。
「どうした、視察で何かあったのか? それとも俺の顔になんかついてるか?」
「いや、別に何でも。……なんでここにいるの?」
最近、良く僕の部屋に来ている気がする。
「暇なんだよ。お忙しい水太子サマと違ってなー」
焱さんが安楽椅子に胡座をかいている。ちゃんと靴を脱いでいるところが焱さんらしいというかなんと言うか。
「そんなわけないでしょ」
火太子が暇なわけはない。目も最近完治したって聞いた。見え方も以前のように元通りだという。
僕のことを心配してきてくれているのだとしたら申し訳ない。
「いや、実際暇なんだよな。前はくっそ忙しかったのによぉ。『水精にやられたー』とか言う自作自演の法螺吹き野郎共がついに絶滅してな。水太子サマの就任にビビってんだろーな」
泥と汢が色々抱えて戻ってきた。泥が温かいお茶と冷たい蜂蜜水を、汢が大量のお菓子や果物を卓に並べる。
「こんなにいらないよ」
僕がそう言うと二人はあからさまにしょんぼりしてしまった。お盆を両手で抱えて、泣き出しそうだ。
焱さんは黙っていて、決して手を伸ばそうとしない。いつもなら飲み物もお菓子もすぐに手をつけるのに、安楽椅子にそっくり返ったまま様子を窺っている。
「温かいのと冷たいのと、どちらが良いか聞いてから入れて。それとお菓子と果物は、どちらかで良いからね。食べきれないから。あと、お客さんの方から先に並べること。……焱さん、どっち飲む?」
二人が悄気ている様子を見ていると、僕が悪いことをしているようだ。早口で指示をして、焱さんに飲み物を勧める。
焱さんは無言で温かい茶器を手に取った。僕も焱さんと同じものを卓に残し、冷たい飲器を二つとも泥に返す。
ついでに大量の果物の内、小振りなものをいくつか選んで汢のお盆に乗せた。
「それは二人で飲んで良いよ。果物は残ったら冷暗所に置いておいてね」
なるべく優しく二人に告げる。悄々と下がろうとする二人を見ていると嘗ての自分を見ているようだった。
ベルさまは僕が何かを失敗しても怒ったことはない。責めることもなく、次は期待しているといつも笑って流してくれた。
「二人とも出迎えありがとう。次も待っててくれると嬉しいな」
そう言うと二人は一瞬驚いた顔をした。でもすぐに顔をほころばせて、小走りに控えに入っていく。
「ほぉー。上に立つ者の心構えが出来てきたんじゃねぇ?」
「ベ……御上の真似しただけだよ」
焱さんが焼き菓子を齧りながら僕を茶化す。からかわれているのに温かさを感じるのは、お茶のせいだけではなさそうだ。




