185話 蛟の養父
このままでは侵入者になってしまう。養父の家だから問題ない、とも言い切れない。
最初に出会う精霊が都合よく僕を知っているとは限らない。養子の僕がここに来たのは一度きり。知っている精霊の方が少ない。
もし警備の精霊に見つかりでもしたら、侵入者扱いされてしまうかもしれない。いや、実際、侵入しているけど。
ゴトッという音がした。意外と近くで使用人風の精霊が庭仕事中だったらしい。音の発信源は草の上に落ちた石だ。足に落とさなくて幸いだ。
「あ、あの」
「だ、誰かーーーーっ!?」
まずい!
王太子になったばかりで侵入者扱いは非常にまずいっ!
走っていく精霊を追いかけようとして石につまずいた。庭に障害物が多くて追い付けない。
「ち、違うんです!」
何が違うというのか。何を否定しているのか自分でも分からない。
「雫坊っちゃんがお帰りになりましたーっ!!!!」
あ、良かった! 僕のこと知ってる精霊だ。
いや待って待って待って。何か大事になってきた。いっぱい精霊が集まってきた。
何故、左右に分かれてズラーッと並ぶのか。
何故、後から入ってきた精霊が赤い絨毯を転がしているのか。
「雫ーー! 帰ったのであるかーー!」
あ、雨伯の声だ。
赤い絨毯の上を歩いてくるに違いない。礼をとる準備をしながら待ち構えた。
けれど待っても雨伯は現れない。これは僕から行った方が良いパターンなのかな?
並んでいる精霊に尋ねようとすると、ふと大きな影が射した。
次いで強烈な旋風が巻き起こる。庭の木や草、岩に至るまで共鳴している。僕も体がビリビリするほど衝撃を受けている。
頭を守りたいのに腕が顔まで上がらずに中途半端な高さで止まってしまう。目が開けられない。
「待たせたのである!」
雨伯の声が頭の上から聞こえ、風を感じなくなった。体を包まれる感触に目を開けると目の前は真っ白だった。
白い鱗だ。
そっと鱗に触れるとギュッと締められた。なのに全然苦しくない。
冷たくて湿り気があって、蛇にしては鱗が固い。
「雫を覗き見していたつもりだったが、よく帰ったのである!」
覗き見って言っちゃうんだ。
頭のから上をわしゃわしゃとされている。顔を上げると龍の顔が超間近にあった。
「養父上、龍だったんですね?」
そう尋ねると頭を甘噛みされた。頭皮をマッサージされているみたいで気持ちいい。龍に頭を噛まれるって貴重な体験だ。
「我輩のこの姿は初めてであったか。撫でても良いぞ?」
雨伯が頭を擦り寄せてきた。龍の体に巻かれたまま鬣を撫でる。
しっとりとした鬣はしなやかに揺れている。まるで川淵の葦のようだ。
「格好良いです」
「ふむ。そうであろうそうであろう。だが龍種なのは間違いないが、少し違うのである」
雨伯はそう言うとシュルシュルと縮んでポンッと人型になった。それから僕の手を取って赤い絨毯に乗り、並んだ精霊の間を進んでいく。日陰に入って少し涼しくなった。
「水精の中で、龍を本来の姿に持つ者は伯位の中でも最上位級なのである。我輩も二百年前は確かに龍だったが、今は蛟なのだ」
蛟は龍の一歩手前だったはず。元々龍だったのに何故退化してしまったんだろう。僕が尋ねる前に雨伯が答えてくれた。
「流没闘争の折、少々理力を使いすぎたのである」
また流没闘争だ。
流没闘争は解決したと思っていた。けど、至る所で爪痕が残されている。雨伯自身も被害を受けているなんて、今まで知らなかった。
「あと二、三回脱皮すればまた龍に戻るのである。今、水精の中で純粋な龍であるのは玄武伯の四人の息子だけであるな」
大精霊・玄武伯には五人の子供がいるという。今、雨伯が言った四人の中にベルさまは入っているのかな。
「先日、立太子の儀で三男の澗どのにはお会いしたであろう? 長男の潤どの、次男の濶どの、四男の瀾どのは、皆立派な龍なのである」
僕の聞き間違いでなければベルさまと思われる名前はない。愛称しか知らないけど、今聞いた名前はベルという愛称にかすってもいない。
どう反応すれば良いのか分からなくて、話題を少し逸らす。
「そういえば、焱さんが持ってた蛟の骨ってもしかして……」
僕の帰省に付いてきてくれたとき、焱さんは水避けに蛟の骨を使っていた。咥えたり、鍵穴に差したり、結構便利に使っていた。
「そうである! 脱皮して余った骨を熀にやったのである。ついでに皮も繋いで外套にしてやったのだ」
脱皮で何で骨が余るのだろう。ドヤ顔で振り向く雨伯に尋ねる気が削がれた。
雨伯は僕の手を握ってズンズンと進んでいく。
「今日は泊まっていくのであるか? 泊まっていくのだな? よし、泊まりだな」
答えを待たない辺りに華龍と似たものを感じた。どのみち帰りは明日の予定だ。
「御上から帰館は明日で良いと言われているので一泊させていただけますか?」
「よし! それならば肖像画を見せてやるのだ! 雫の分がやっと出来上がったのである!」
雨伯が僕の手を引いて駆け出した。前屈みのまま走るのはちょっと腰に来る。あれだけいた使用人はいつの間にかいなくなっていた。
「今日は雷伯や霓さんはいないんですか?」
先日の立太子の儀を除けば、雨伯はいつも誰かを側に連れていたイメージだ。
「城の周りにいるのだ。城が見えないように雷雲で覆い、注意を背けるために霓が虹を出しているのだ。だが雫にはバレてしまったようだな!」
悪戯がバレた子供のようだ。とても楽しそう。
「ところでどうやって昇ってきたのだ? 雲に乗れるようになったのか?」
「知り合いの精霊に送ってもらいました」
暮さんのことをどう説明したら良いか分からず、誤魔化してしまった。実際『木乃伊』という役職がどんなものか僕も分かっていない。
もし説明しろと言われても僕が困ってしまう。
「そうか。友は大事にするのである」
僕が遠慮して知り合いと言ったのを雨伯はしっかり見破っていたようだ。僕のことを覚えていない暮さんを友だちと言っても良いのだろうか。
「すぐそこである!」
見覚えのある館内に入った。この先の廊下に入れば肖像画がびっしり飾ってあるはずだ。
僕の肖像画って……また姿絵みたいなダレコレってのが出てきたらどうしよう。
「雫のは奥である! 早く見るのだ!」
雨伯、雷伯、霓さん……と生まれた順に並ぶ肖像画を過ぎる。壁の端に『雨垂れの霤』が目に入った。
「こっちである!」
霤と向き合う場所に真新しい絵が飾ってあった。間違いなく僕だ。
緑の髪、緑の目、少し前に着ていた侍従長の衣装。キリッとした表情で斜めを向いている。顔はちょっと美化されているけど、市場に出回っている姿絵よりも実物に近く感じた。
「よく出来ているであろう? 今度、これを縮小して市に回そうと思うのだ」
「やめてください!」
何で皆、絵を市に出したがるんだ!
「冗談である。雫の姿絵が出回っていると聞いたから我輩も欲しくなったのだ。雫は持っていないのか?」
「持ってません!」
何が悲しくて似ていない自分の絵を持って歩かなくてはいけないのだろう。
「冗談である!」
どこからどこまで冗談?




