183話 母と子
「よく帰って来てくれました、涙! こんなに立派な装いで……もう一度後ろを見せてください」
母に言われるままグルグルとその場を回る。完全におもちゃにされている。
前回帰ってきたのは昇格が決まって、母から独立することが決まったときだ。まだ衣装を作ってもらう前だったから、この紋章入りの立派な衣装を見せるのは初めてだ。
「背中は涙の紋章ですね。鷺とは、また高貴な……。母の紋章も添えてくれたのですね。まぁまぁ雨伯と並べていただくなんてどうしましょう」
王太子になってから紋章の配置と大きさが少し変わっている。
右の二の腕辺りに母、左が雨伯だ。右胸には当代理王であるベルさま。母上と水理王の位置が入れ替わったようだ。細かい理は聞いていないけど、何か意味はあると思う。
変わらないのは背中にある僕の紋章と、左胸に縫い込まれた初代理王の紋章だけだ。
「母上、お聞きしたいことがあります。父上が初代理王だというのは本当ですか?」
直球で聞いてみる。最近遠慮がなくなってきたと言ってたのはベルさまだったか、焱さんだったか。
母に確認するまでもなく、事実だということは知っている。先生やベルさまが嘘をつくはずないし、その必要もない。
だけど母の口から聞きたかった。
「ええ、そうですよ。それがどうかしましたか?」
意外にも母の答えはあっさりしていた。何か隠しておきたい事情があるのかと思っていたのに、あまりの呆気なさに面食らう。
「別に隠しておくことでもありません。事実を知ったから母に聞くのでしょう?」
まぁそれはそうなんだけど。
「何故、今まで教えてくれなかったのですか?」
僕が尋ねると母はふっと微かに笑った。本当に微かにだ。
「渾にも伝え忘れていましたからね」
忘れていただけ。母上の補佐として活躍していたはずの兄でさえ、伝えられていなかった。大事なことだと思うんだけど、母の中では優先順位が低いらしい。
「それに父が元理王だというだけで、それを鼻にかけるような子たちに育って欲しくなかったのですよ」
にっこり微笑む母の言葉が響いてこない。取って付けたような理由に不信感が湧いてきた。
「父上はどんな方だったのですか?」
滲み出る感情に蓋をして、質問を重ねてみる。父が理王だったという確認を母からも取った。
父が家庭ではどんな精霊だったのか、とても知りたい。
「どんな……そうですね。母が生まれたのはこの世界が出来てしばらく経ってからです。その時父上は世の理を浸透させるため、東奔西走する日々を送っていました」
初代理王と大精霊、いわゆる始祖の精霊はこの精霊界を築き上げた精霊たちだ。それを見てきた母に実際の話を聞くと、本で読むよりも現実味がある。
「王太子制が確立された頃のことです。当時の父上は偉大なことには違いありませんが、疲れきっていましたね」
母から椅子を薦められる。円卓に二人で向かい合って掛けた。本当はそろそろ視察にいかなくてはいけないけど、あまり長くならなければ大丈夫だろう。
「金精で跡目争いがあったころ、次期理王の座を狙って水精でもちょっとした騒動があったようです。しかし父上は優しすぎました」
父が優しかったという言葉は根拠もないのに納得できた。母も優しいけどその母が言うんだから余程だったんだろう。
「他者を思いやる気持ちが強く、その分悪意に敏感です。ただでさえ水精は感情を受けとめやすいのに、父上は流れの少ない湖でしたから、溜まっていく一方でした」
規模は僕と違うけど、流れが少ないという意味では僕と一緒だ。
「一時期は引退も考えていたのですが、まだ王太子を選出できていなかったため、それも出来ませんでした。それで母が父上と魂を結び、華龍河を通して湖に流れを生んだのです」
父と母の馴れ初めを初めて聞いた。今の話だと、母がいなかったら父は心を病んでいたかもしれない。
「それで父上は……」
「父上は厳格な理の下、王太子を選出し、次代の育成に勤しみました。そしてそれを終えた後は世を支える柱となったのですよ」
初代理王はまだ世を支えている。完全に引退したわけではないから名前は記録に残っていない。配偶者である母なら知っているはずだ。
「母上、父上は何という名前だったんですか?」
そう尋ねると母は少し悩む素振りを見せた。それからいたずらを思い付いたような顔で美しく笑うと、少しだけ口を動かした。
「あの泣き虫さんはちゃんと支えていられるかしら」
「母上、今なんと?」
母がボソボソと独り言のように呟く。その声は僕の耳に届かなかった。
「さて、そろそろ美蛇の視察にいくのでしょう?」
はぐらかされてしまった。母でも教えてはもらえないのか。
別にどうしても知りたい訳じゃないけど、会ったこともない父のことだ。せめて情報だけは知っておきたかった。
「そうそう。王太子着任の少し前に泉の土手が少し崩れました。決壊するかと思いましたよ」
それは免に襲われたときだ。免に誘導されて泉を濁らせ、決壊させるところだったのだ。そうなったら地下で繋がっている母に、ひいては母に繋がる兄姉にも影響があったかもしれない。
「すみません、ご迷惑を。美蛇を見たあと直してきます」
それ以上崩れたら取り返しがつかない。せめて水が漏れないことを確認しておきたい。
「それは大丈夫です。母が気合いで直しておきましたから。ですが涙、時々は手入れに帰ってきてください」
「……はい」
気合いの具体的な方法は聞いてもいいのだろうか。
「とはいえ、貴方も王太子です。今まで以上に帰ってくることは出来ないでしょう。母も出来ることは協力します。御上や雨伯へのご恩を忘れてはなりませんよ」
独立したはずなのにまだ母に頼ってしまうことが多い。本来なら自分の泉くらいしっかり管理するべきだ。
「精進致します」
「さぁ、もう行きなさい。母が登城することもあるでしょうが、また顔を見せてください」
母に退出を急かされる。予想外だ。もっと引き留められるかと思ったのに。
「では、失礼します。またいずれ」
王太子と伯位ではなく、親子の別れを告げる。別に永遠に会えなくなる訳じゃない。それでも帰れるときは帰ってこよう。
いつもそう思いつつ、帰省してないような……。
「そうそう、涙。貴方の姿絵を入手しましたが、なかなか素敵な仕上がりでしたね」
「母上!?」
出ていこうとする僕に母が姿絵を見せてきた。しかも三枚。市で売っているという姿絵はそれなりに高価だったはず。それが三枚も。
何でそんなものを買ってるんだ。美化され過ぎた息子の姿絵を見て何が嬉しいんだか。
「冗談ですよ。漕どのが入手したものを母に分けてくださったのですよ」
「漕さん……」
ちょっとホッとした。母がそんな無駄遣いをするような精霊だったことに少しショックを受けたので、誤解だと分かり安心だ。
しかし、なんでわざわざこんなものを母に見せる必要が……。恥ずかしすぎる。
「父上の姿絵もありますよ。あとで見せてあげましょう」
「本当ですか!? ありがとうございます」
それは嬉しい。父の姿が見られるなら早く言って欲しかった。でも今日は時間がないからまたの機会にするしかない。
「だから早く帰ってきてくださいね」
「……ソウデスネ」
母の魂胆が分かってしまった。




