17話 精霊市場
「あぁあああの、あのですね! 母へのお土産を探しているんですけどっ」
まるで『氷結』をかけたように、笑顔のまま動かなくなってしまったおじさん。
それと相変わらず怖い顔をした淡さんの間に、ちょっと強引に割り込んだ。
おじさんはハッとしたように僕に顔を向けた。笑顔のまま目だけを大きくしている。それはそれで淡さんとは別の怖さがある。
「お母上へのお土産を! それでしたらこちらはいかがでしょうか? 竹の繊維から作りました肩巾、もしくは笹の葉で染めた木綿のハンカチ、それから、み」
「装飾品なら金精か土精の方がい、んぐっ」
淡さんの口を抑えて、それ今言わなくてもいいでしょと背伸びをしながら軽く耳打ちをした。僕が手を離すと分かったよと言いながら、淡さんは通りの方を向いてしまった。
「すみません、おじさん」
「いえいえ、仲が良いですなぁ」
おじさんは相変わらずニコニコしているけど、怒っていないだろうか? 淼さまは微笑んでいても、ものすっごく怒りながらお仕事をしていることがある。
「あ、これ……」
ちょっと関係ないことを考えてしまったけど、品の一ヶ所で目が止まる。
櫛だ。
派手さや艶やかさはないけど、細かい装飾が施されていて美しい。母上の長く美しい碧の髪に似合いそうだ。
「おじさん、これ触っても良いですか?」
「もちろんどうぞ! 流石坊っちゃん、お目が高いですな。それは私の兄にあたる竹が自ら作ったのです。ひとつ仕上げるのに三ヶ月を要したそうです」
「待て。竹どのは伯位だろう。竹伯が自ら彫り物をするのか?」
大通りの方を向いていた淡さんが急に振り向いて話に乗ってきた。変なことを言わないか僕がそわそわしてしまう。
「左様でございます。兄が治める竹藪も管理がなかなかに大変でして。時々、竹や筍を処理するのです。その際に刈った竹でよく細工物を作るのですが、なかなかに器用な兄でございます。ただ、市などの賑わいは苦手とかで来るのはほとんど私の仕事でございます」
なんか突然意気投合している。共通の知り合いがいたみたいだ。さっきまでの険悪な雰囲気はなんだったのだろう。今度は僕が置いてきぼりになった気分だ。
「なるほどな。竹伯とは二度ほどお会いしたことがある。静かだが真っ直ぐな性格の方だったのは覚えている。久しくお会いしていないがご健在か?」
二人が話している隣で櫛をじっくり観察する。見れば見るほど綺麗だ。表側に彫ってある鳥は川蝉だろう。大河を治める母上にぴったりだ。
作るのに三ヶ月かかったと言っていた。僕が理術を学び始めたくらいから、ずっと製作していたということだ。
「おじさん。これ下さい」
言ってから値を聞いていないことに気づいた。しまったと思った時はすでに、おじさんと淡さんとの話は止まっていた。
「ありがとうございます。ただこれですと少々価値が高いのですが、何と交換なさいますか? 私としては、もし可能なら今、お召しの火鼠の衣と交換させていただきたいのですが」
おじさんが僕の外套を手で示しながら中腰になって丁寧に提案してきた。でも駄目だ。これは淼さまに借りたものだ。外套をギュッと握りしめる。
「ごめんなさい、これは」
「金貨と交換する。金ならばいくらだ?」
淡さんに袋を預けていたのをすっかり忘れていた。本当にその金属と変えてもらえるのだろうか。淡さんは袋の口を緩めている。
「あ、左様ですか」
おじさんはちょっと残念そうだ。よっぽどこの外套が気に入ったんだなぁ。
「かなり値がはりますので、金貨ですと二枚半になりますが」
それは高いのか安いのか、僕には判断できない。隣で淡さんがごそごそと金属を取り出している。二枚をおじさんにそのまま渡して、一枚はパキッと半分に折った。おじさんが目を丸くしている。
「ほんとに金貨で。やはり高位の方でしたか。兄とお知り合いならば……確かに。只今お包みいたします」
「ありがとう」
おじさんはぶつぶつ言いながら、金貨二枚と半分をしまった。そして棚の下から大きな笹の葉を何枚か取り出す。それで櫛を包むみたいだ。
「おじさんは何の精なんですか?」
待っている間、手持ち無沙汰なのでちょっと聞いてみた。おじさんは手は止めずに少し笑みを深くした。淡さんはチラッとおじさんに目を向けたけど、黙って聞いていた。
「私は『笹』の精でございます。私の家系は兄『竹』の下に集う古い一族です」
「へぇ。あ、だから笹の葉」
笹の葉で櫛を綺麗に包む。折り目が華のような模様を作り、見た目も美しく仕上がっていく。
「はい。実は先程、火鼠の衣をご提案したのは、姪の筍が以前から欲しがっていたからでして。失礼を承知でご提案してしまいました」
「僕もこれ借り物なんです。だから……」
「いいえ。高位の方にこちらから対価を提案するなど、失礼を致しました。もし、良ければまたお越しくださると光栄です」
おじさんが笹の葉の包みを渡してきた。僕は高位じゃないけどな、と思いながらも、淡さんからの視線が痛くてそれを言い出せない。
「綺麗に包んでくれてありがとう!」
「いえいえ、お母上が喜んでくださるといいですな! 今後ともご贔屓に!」
淡さんがタイミングを見計らって黙って歩きだした。僕も慌ててついていく。
「思ったよりも時間をくっちまった。少し急がねぇと夜どころか夜中になるぞ」
「夜中に帰ったら母上に迷惑だよね。急ごうか」
市を出て川へ向かう。遠回りになってしまったので歩くとちょっと遠い。淡さんの方が背が高くて足も長いので、付いていく僕は大変だ。
「川まで歩けば送迎役がいるはずだ」
「迎え? 誰が?」
迎えに来てくれるような知り合いはいない。兄姉は多いけど、皆僕のことはいないものだと思っているか、毛嫌いしている。実際、泉はないわけだし。
「ホントは、雫の兄上が迎えに来たがってたぞ。水理皇上が華龍どのに帰郷の知らせを出したとき、王館まで迎えに行くと兄の方から返事があったと言ってたな」
兄上が! そうだ。親しかった兄が一人いた! 昔から長兄は僕に優しかった。皆から虐げられていた時も仲間はずれにされた時も、兄上がいつも守ってくれていた。朧気だけど何となく覚えている。
「まぁ、でも定時報告でもなけりゃ、あの方は誰かを王館に入れはしないだろうな。速攻で断ったらしいぞ」
「え、じゃあ、誰が?」
兄上が迎えに来てくれれば早く帰れたかもしれない。でもそうすると、市には寄れなかっただろう。兄上には申し訳ないけど、今回は迎えがなくてちょうど良かったかもしれない。
「お、ちょっと見えるぞ」
「え?」
淡さんが進行方向に向かって指を突き出す。僕にはまだ何も見えない。多分これは身長差だ。もうちょっと近づけば分かるかな。
「おーい!」
淡さんが大きな声を出した。隣にいる僕は耳が痛い。
遠くで何かがキラッと光った。淡さんの声に反応したらしい。眩しさに目を眇ながら前を見ると、もう一度キラッと光る何かが跳ね上がった。
透明な魚だ。
僕に手紙を運んできてくれた水の魚だ。僕たちが近づくに連れて跳ねる頻度が下がっていく。僕たちが気づいたからだろう。
「よう! 久しぶり!」
「…………」
「あの、こんにちは」
淡さんが挨拶しても黙ったままだったけど、僕が声をかけると尾ひれで水をかけてきた。
「わっ!」
「なんだよ、ずいぶん気に入られているな。それは親しみを持った者にしかしない。なぁ、漕?」
魚が潜ってしまった。嫌われるようなことをした覚えはないけど、慕われることも覚えがない。
「照れてやがる。これは水先案内人。通称、水先人の漕。水先人選抜試験をぶっちぎりの首席で合格して以来、水理王直属の使い兼運び屋だ」
水先…………人?
人型じゃなくても水先人と呼んで良いのだろうか。
「水の中なら人型よりもこの姿の方がいいんだとよ」
淡さんが僕の疑問を見透かして解説をくれた。なるほど名前があるなら人の姿もとれるはずだ。でも水中の移動は魚の姿の方が断然速い。
「俺たちを華龍河まで安全に導くってよ、さっさと行くぞ」
「え、ど、どうやって?」
「波乗板、作れるだろ?」
淡さんが深い笑みを浮かべた。
一部、元ネタは竹取物語です。
そろそろちゃんと里帰りできる……はず。




