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水精演義  作者: 亞今井と模糊
六章 土精縁合編
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165話 隣の闇

「……どの……雫どの!」


 近距離から名前を呼ばれた。本を持ったまま自分の部屋の真ん中でぼーっとしていたようだ。


「え、あぁ、くれるさん。どうしました?」


 暮さんは今日は一日、水の王館での雑用に勤しむ予定だ。掃除も洗濯もなんでも……とは言われたものの、困ってしまった。僕が理術を使えるようになってから、そう言った雑用は一瞬で終わってしまう。改めて暮さんにお願いすることがないのだ。


「どうしたではござらん。何度も呼んでいるのに」


 そう言う暮さんの両手には植木鉢が嵌まっている。


 僕が苦し紛れにお願いしたのが、土の王館へのお使いだ。坟さんに言って、可能なら植木鉢と土を貰えないか聞いてほしいとお願いした。坟さんが僕の部屋に植木鉢がないのが不便だと言っていたから、これを機に花でも育ててみようかと思う。


「考え事でごさるか? もしかして邪魔をしてしまったか」


 事前に何のお願いもしていなかったので、断られるかもしれないと思っていた。けど、どうやら分けてもらえたようだ。


 素焼きの鉢を持ったまま、暮さんは所在なさげに立ち尽くしている。  


「いえ、そういうわけではないので……大丈夫です。鉢はその左側に置いてください」


 暮さんは床を確認すると膝を曲げてそっと鉢を置いた。今まで見えていなかったけど、鉢の中にはすでに土が入っているようだ。


「それ、重かったですよね。すみません、こんなこと頼んでしまって」

「心配ござらん。拙者、腕力には自信がござるよ」


 そう言いながら、暮さんは腕を捲って力瘤を作った。僕より小柄だと思ったのに見えないところを鍛えているようだ。


 腕が意外に太いのはともかく、顔は……やっぱり誰かに似ている気がする。


「……拙者の顔に何か付いてござるか?」


 暮さんが頬に手を当てて、汚れを拭うような仕草をした。僕はまた黙ってじっくり観察してしまったらしい。


「す、すみません。何でもないです」

「お加減でも悪いのでござるか? 先日会ったときと様子が異なる。失礼なことを言うようだが、素はボーッとしているのでござるか?」


 ひどい言われようだけど、今の僕では否定できない。


「実は暮さんが誰かに似ている気がして、ちょっと考えてました」


 本当は暮さんに声をかけられるまでは淼さまがどこに行ったのかを考えていた。けどそれには触れなかった。


「拙者は姉に似ているが、こちらに来てからそんなことを言われたのは初めてでござる」


 まぁ姉弟だし、似ているのは不思議じゃない。僕と美蛇の兄だって他から見たらきっと似ているはずだ。


 でも暮さんのお姉さんには会ったことなんてないから比べようがない。誰かに似ていると思ったのは僕の勘違いか。


「ところで雫どのは王の側にいなくて良いのでござるか?」


 暮さんが痛いところを突いてきた。


「侍従ならば側に仕えて然るべきではないのか?」

「……そうですね。僕もそうしたいです」


 仕えたくても仕えるべき主がどこに行ったのか分からない。


「それにこの水の王館は精霊が少なすぎる。他の王館はもっと精霊がたくさんいて、賑わっていたでござる。まるで太古の地球のように精霊が生き生きしていて……」


 暮さんの言葉はあまり頭に入ってこなかった。淼さまがどこにいってしまったのか。他の理王が戻っているというのに、何故淼さまだけ帰ってこないのか。


 僕が何かご機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。


 もしかして僕の顔なんかもう見たくないのか。


 どうしたら淼さまに帰ってきてもらえるだろう。どうしたら喜んで貰えるだろう。


「それで火の王館では煙突を……雫どの?」

「え、は、はい、何ですか?」


 また考え事をしてしまった。暮さんの話をほとんど……いや、全部聞いていなかった。


「雫どの、もしかして体調が優れないのでござるか?」


 心配してくれる暮さんには申し訳ないけど、体は至って元気だ。どうして今日はこんなに思考が悪い方向へ行くんだろう。淼さまがいたら注意されていたかもしれない。


「大丈夫ですよ」

「そうは見えないでござる。顔色が良くない。木の太子から頂いた万能薬があるので少しお譲りしよう」


 暮さんは自分の懐に手を入れると小さな袋を取り出した。その中から黒い真珠のような粒をひとつ摘まみ、僕の手のひらに乗せてきた。


「桀さんが作ったんですか?」

「そのようでござる。詳しいことは聞いてはいないが、先代理王の滋養のために太子がお作りになったそうで……それが大層効いたので、木精の多くに配ったらしい。効くのは確か腹痛、吐き気、頭痛、寒気、倦怠感、筋肉痛、捻挫……あとは覚えていないでござる。どこの馬の骨とも分からぬ拙者にまで分けてくれたでござる」


 流石桀さんだ。刑期中の暮さんにも優しい。暮さんだって誰かを傷つけたとか、陥れたとかではなく、元々はお姉さんを助けたくて犯した罪だ。芳伯を助けたい桀さんには気持ちが分かるかもしれない。


「ありがとう。あとでいただきます」

「木の太子と言えば、明日の木の市には久しぶりに笹の精霊が出るとか言っていたでござる。拙者のことを捕らえた笹の精霊……あれは中々の強者でござった」


 等さんのことだ。暮さんはひとりでうんうん頷いている。きっと捕らえられた瞬間のことを思い出しているのかもしれない。


「拙者が影に隠れたところをあの男に見つかったようでござる。土太子たちをやり過ごして、影から地上に出たところを穴にはめられてしまったでござる。しかも拙者を抑えつける笹が強いの何の」


 暮さんは自分の敗戦談を何故か楽しそうに語る。垚さまの尋問を受けているときも思ったけど結構おしゃべりだ。話すことが好きなのか、それとも今まで話す精霊がいなくて寂しかったのか。


「木の市か……僕、初めて行った市が笹の等さんの所だったんですよ」


 部屋の真ん中に置かれたテーブルに手を付いて、暮さんにも掛けるよう促した。このあとは特にする仕事もない。


「それは稀な体験でござるな。笹どのは普段は店を構えないという話でござる」

「それはここ最近の話ですね。等さんのお兄さんが木の重臣に取り立てられて、等さんが品を扱えなくなってしまったそうです」


 素直な相槌を打ちながら、暮さんが頭をガリガリと掻いた。その手首には重そうな銀の枷が嵌っていた。両手は繋がっていないから動かすのは自由みたいだけど重そうだ。ただ縁だけ青く輝いている枷は遠くからなら装飾品に見えないこともない。


 装飾品と言うと母上に送った櫛を思い出す。あの時はたまたま木の市で等さんに出会えたのはとても幸運だったんだと今なら思う。実家からの帰り、焱さんに強請って立ち寄った水の市では散々な目にあった。


 そういえば水の市では淼さまに筆記具を買ったんだった。大事に使ってくれて、他の理王や王太子に自慢していると聞く度に、うれしいような恥ずかしいような気持ちになった。


 でも、最近はどうだろう。淼さまの執務机を思い出してみた。


 きれいに整えられた机の上には筆記具が一か所にまとめて置いてある。その中に貝の筆記具なんて置いてあっただろうか。差し上げた当初はいつも机の上で使っていたけど、ここ最近は触れるどころか、机の上でも見かけない。


 飽きてしまったのか。インクが切れてしまったのか。それとももう用済みなのか。


「また市へ行きたいなぁ」


 僕も用済みと思われる前に淼さまの喜ぶことをしたい。もし市へ行くことがあったら、今度は違う贈り物をしよう。


「行けばいいでござる」


 テーブルの上にあった焼き菓子を齧りながら、暮さんが明るく言う。焱さんが差し入れてくれた焼き菓子だ。きっと美味しいと思う。


「び……御上が戻るまで王館から出ないように言われているんですよ」


 何度も念を押して言われた。命令ではなかったけど約束したのだ。守らなければならない。


「王館から出なくても行けるでござる。拙者の影移動を使えば良いでござるよ」

「え?」


 暮さんは自信げに胸を張って顎を引いた。 


「影が出ている晴れた日の昼間なら、移動は一瞬。影同士を繋げば隣の部屋へ行く感覚で行き来が出来るでござる」


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