159話 光闇の姉弟
暮さんが急に立ち上がった。もし石の椅子が床にくっついていなかったら、倒していただろう。
「母上ってこちらにいるの?」
垚さまが暮さんを掴んで椅子に戻した。暮さんは鼻息が荒いけど大人しく従った。
「左様でござる。母上は闇の精霊の長。精霊の新たな世界に『夜』をもたらすため、尽力されたと聞いている」
「それって……」
多分、十二人いるという始祖の精霊のひとりじゃないだろうか。でも闇と光の精霊はすでに理力を使い果たしてこの世にいないはずだ。
「あの、それって」
「拙者が幼少の頃、母上は新天地に旅立たれたそうでござる。だから拙者は覚えてはいないが……今何か言ったでござるか」
暮さんの問いに思わず首を振る。言えなかった。
「……そもそも何で連れ戻したいのよ」
垚さまが長い足を組み換えた。衣擦れの音が耳に残る。垚さまだって多分分かっていると思う。暮さんの言う闇の精霊はもう存在しない。けどそれには触れずに質問を重ねる。
「拙者の姉が病魔に犯されているのでござる」
「病魔に……」
相づちが分からなくて言葉が鸚鵡返しになってしまった。けど気にした様子もなく、暮さんは先へ話を進める。
「姉と言っても双子で、光の精霊でござる。光と闇は表裏一体で同時に生まれるのが常でござる」
属性が違う姉弟はこの世界でもあり得る。両親が違う属性なら子供たちがどちらの性質を受け継ぐか分からない。焱さんだって両親は水と木なのに本人は火精だ。別に不思議なことではない。
「そのお姉さんはどんな病気なんですか?」
「力の増長でござる」
増長って別に悪いことじゃないよね。そう思って隣を見ると、垚さまは真剣な表情で暮さんの話に耳を傾けていた。いつものちょっと軽い感じとはイメージが異なる。
「姉上に尋ねても原因が分からないと言う。その内、夜も休めなくなってしまった」
「休めない病気なんですか?」
力が強くなって休めないってどういうことだろう。
「そうではない。姉上の力が強引に底上げされているのでござる。原因が分からないまま、姉上は有り余る力を逃がすために一日中働かなければならないのでござる」
垚さまがなるほどね、と口を挟んだ。
「光の精霊は昼の安定を司るわ。そのお姉さんの意思は関係なく、何らかの圧力がかかって光の理力を強引に引き出しているのね」
流石垚さま、詳しい。淼さまが言ってた知りたがりっていうのは本当みたいだ。
一方、その垚さまの隣で暮さんが『理力?』と首を傾げていた。暮さんの世界では理力っていう概念はないらしい。
「姉上は強くなり続ける力を抑えきれずに、とうとう夜にまで光の力を撒き散らすようになってしまった。おかげで夜の間中、あちこちで明かりが点いたままでござる」
「明かりって火じゃなくて……ですか?」
暗いところで灯りをつけるなら、僕たちも火を使う。蝋燭や松明を持ち歩くことだってある。それも暮さんにとってはいけないことなんだろうか。
「火の力で明るいのなら、それは光の力ではない。が、あの明るさは光の力そのもの。それが姉上を無理矢理働かせているのでござる」
火の明かりは光の理力とは別物か。確かにそうでないと焱さんが光の精霊になってしまう。はっきり言って似合わない。
「もう……姉上に話しかけても返事すら返ってこない。もはや暴走寸前でござる。しかし拙者の力ではあの強引な光を止めることはできない。それゆえ母上にお戻りいただき、諌めていただこうかと思った次第でござる」
暮さんの話が終わった。口をギュッと結んで垚さまと僕とを交互に見てくる。そのきつい目には強い意思が見てとれた。
「貴方の事情は分かったわ。これからいくつか質問をするから正直に答えてちょうだい。少しでも偽りがあれば痛め付けるわよ」
少し考えていた垚さまが沈黙を破った。暮さんは垚さまをまっすぐ見据え、力強く頷く。
「ひとつ目。貴方はどうやってこの精霊界に来たの?」
暮さんの身の上話で忘れるところだった。暮さんには色々聞かなければならないことがある。
「夕方を出て最初の夜を右へ曲がって、そこから朝までまっすぐ来たでござる」
夜の右って何?
何を言ってるのかさっぱり分からない。もしかして僕の知らない慣用的な言い回しだったのかも知れない。垚さまは今のが理解できたんだろうか。
「ひとりで来たの?」
「左様でござる」
間髪入れない答えは嘘でないことを示している。真っ黒な瞳は一切揺れずに垚さまを見つめていた。
「そう。じゃあ、ふたつ目よ。月長石を集めていたのは何故?」
「闇の精霊が力を強めるのに最適だと聞いたからでござる。拙者が力を付ければ姉上の力を抑えられると思い、持ち帰るために集めていたのでござる」
なるほど。
先生が言っていたけど、月長石は夜の理力を秘めているらしい。ただ確認できる精霊がいないので、信憑性は分からないとも言っていた。
「それで暮さんの理力……力は強くなったんですか?」
「あ、いや、まだ試していないので」
「確認してから集めるべきだったわね」
どれくらい集めたのか知らないけど、小さい石でも集めれば相当重い。持って帰ってから効果がなかったなんてことになったら無駄骨だ。
垚さまが呆れたように暮さんを一瞥して、ゆっくり瞬きをした。
「まぁ、いいわ。三つ目の質問よ」
「まだあるのでござるか」
暮さんは緊張感がなくなって来たのか、椅子に腰かけたまま足を前にダラリと伸ばした。捕まったばかりの精霊とは思えない。
「ひとまずこれで最後にしてあげるわ。市で水理王の侍従長を名乗ったのは何故?」
垚さまの言葉に僕の方が緊張してしまう。僕が一番聞きたかったことだ。
「それは……巷で話題になっていたからでござる」
「話題って具体的に言うと?」
嫌な予感がする。
「何でも最弱と言われていた精霊が自分を陥れた兄を倒して、王に見初められて侍従長にまで昇り詰めたとか。王に大事に育てられた末に今や寵愛を一身に受けているのだとか」
ぎゃあと品のない叫び声をあげそうになった。見初められていないし、寵愛も受けていないし、色々おかしい。こんな噂が出回っているのかと思うと顔が火で焼かれたようだ。
「他にも色々聞いてござるが、姿絵を拾ったので真似たのでござる。今をときめく水理王の侍従長を名乗れば、月長石も母上の情報も手に入りやすいと思った次第でござる」
姿絵が出回ってるなんて聞いていない! ここが自室だったら床でのたうち回っていたと思う。潟さんに全力で止められそうだ。
「それは軽率だったわね」
ひとりで悶えていると垚さまが白けた目で僕を見ていた。
「理王周辺の者が対応に乗り出すとは思わなかったの?」
パラッと細かい砂利が落ちてきた。天井を見上げてみたけど、特に変わった様子はない。
「王という立場の者がこんな末端の市まで手を伸ばすとは思わなかったのでござる」
「市は理王や王太子も関わるわ。貴方の世界がどうかは知らないけど」
ドン、ドシンッという音が上から響いてきた。音から少し遅れてパラパラと砂が降ってくる。ただ事ではない雰囲気を感じて席を立つ。
垚さまだって異変を感じているはずなのにあまり慌てた様子はない。
「大丈夫よ。あれは坟が痺れを切らしてるの。別に敵襲じゃないわ」
坟さんがイライラしている様子が目に浮かぶようだ。
「でもそろそろ戻ったほうがいいかもしれません。等さんにもお礼を言いたいですし」
僕が立ったままそう言うと、垚さまもやれやれというように立ち上がった。それから下に向けて指を鳴らすと、暮さんは透明な箱に閉じ込められていた。
「暮って言ったわね。貴方を偽称の罪で連行するわ。異存はないわね?」
暮さんは黙って頷く。もう色々話した時点諦めていたんだと思う。大人しく箱の中に納まっていた。
「まだ尋問することがあるけど、御上にも相談してからにするわ。王館に戻りましょう」
「はい!」




